院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

弁護士資格がプラチナ資格でなくなった本当の理由

2015-03-08 05:25:19 | コンピュータ

(弁護士バッジのレプリカ。RGJPのHPより引用。)

 法科大学院を作って弁護士が大量生産されたからという理由だけで、弁護士資格がプラチナ資格ではなくなったわけではありません。弁護士の仕事が世のコンピュータ化に乗れなかったのが問題の本質です。

 弁護をコンピュータで行うソフトはありません。法学や法理論や法哲学の研究もコンピュータに馴染みません。「計量裁判」は研究されましたが、実用化できませんでした。

 一方、医師免許は未だにプラチナ免許です。それは医学のあらゆる分野にコンピュータが導入されたからです。これにより医学は長足の進歩を遂げました。失礼ですが、法曹界でのコンピュータ利用は文書がワープロ化されたくらいではないですか?争点や損害などのもろもろをコンピュータに入れて、調停や裁判などの法的手続きの参考にしてみようという機運はあるのですか?法曹の作業は微妙すぎてコンピュータには馴染まない面も多いでしょう。ですが、名医が天才的な勘で行う診断治療も、じつはコンピュータには馴染まないのです。

 CT,MRIはコンピュータなしには実現しませんでした。心電図もコンピュータで読まれます。ゲノム解析、薬品の開発、疫学的研究、診断学・・何をとってもすべてコンピュータが有効です。打診や聴診は必要がなくなりました。むかしの2次元単純レントゲン撮影の読影名人より、現在の研修医のMRI診断のほうが正確です。この30年で医学界は別世界のように変わってしまいました。

 こうした医学界から見ると、法曹界は未だに打聴診のような個人的職人芸が幅を利かせているように見えるのです。法曹界ではまだ30年前の知識が通用するのではありませんか?


※今日、気にとまった短歌

  二時間目三時間目と死にそうだ弁当の時間生き返ります (都立鷺宮高校)伊藤未来

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
誤解も甚だしい (へのへのもへじ)
2015-03-13 22:53:37
非常に強いタイトルで失礼します。
法曹資格がプラチナ資格でなくなった、というのはおっしゃるとおり。

ですがまず、法曹界では30年前の知識など通用しません。
また弁護士増員がうまくいかなかったのは法律による社会紛争の解決はコストがかかるとみなされており、訴訟に訴えるくらいなら泣き寝入りしたほうが安くつく、というのが現実だからではないでしょうか。

☆30年前の知識?
「法曹界ではまだ30年前の知識が通用するのではありませんか?」
というのは大きな誤解です。。
なぜならここ30年間で民法、刑法、刑事訴訟法、商法という基本的な法律に大きな改正があったからです。人間の肉体そのものにここ30年で大きな変更があったとは聞きませんね(というのはもちろん冗談。人間の肉体に関する自然科学的知識の集積は30年で飛躍的に伸びたことは承知しております)。

刑法については漢文書き下し文体から現代口語体への書き換えだろ、という話もなくはありませんが……
刑事訴訟に関しての非常に大きな変更といえばご存知裁判員制度の導入です。

民法については文体の変更もありましたが、先生にも関係するであろうところとしては制限行為能力者制度の大きな変更がありました。

商法に至っては30年前には商法の一部分を指して「会社法」と呼んでいたものが今は本当に「会社法」という独立の法律になりました(固い話だけではつまらんのでバカバカしいお笑いを一つ。当時不勉強な法学部生が「『会社法』って六法全書の目次に載ってないよ。どこにあるの?」と聞いて物笑いのタネになったという伝説があります。もちろん今は通用しないネタです)。でもって会社法は2-3年に1回の割で改正があります。現行の会社法は最終改正が平成26年です。

法曹界も、毎日勉強しなければとても通用しない世界です。


☆訴訟による問題解決には需要があるのか?
法学部時代に異色の助教授がいて、「日本人が裁判を嫌うのは裁判による紛争解決のほうがコストがかかるからで、伝統的法学者のいう『日本人は権利意識が低いから』なんて理由ではない」と挑戦的なことを言ってました。そのコストには「時間」も含まれるのでしょう。ですが今振り返ると、その先生は日本の裁判に時間がかかることに関する制度変革という考え方はお持ちでないようでした。

日本の裁判が結果が出るまでに時間がかかる、というのは割とよく知られた事実だと思っていました。それは主として裁判官が少なすぎる、多忙すぎるということによります。時間がかかる、というのがコストであるというのはご理解いただけるかと思います。

先生のご趣旨は「医師がプラチナ資格であるのは、コンピューターの活用によって生産性を高めることに成功したからだ」「逆に法曹は生産性を高めることができなかったので儲からないのだ」と理解してもよろしいでしょうか?
実際のところ、法律界のボトルネックになっている裁判所が裁判官を増やし迅速な裁判を実現するつもりがないようなので、司法試験合格者を増やし(検事判事は定員があるので)弁護士だけを増やしてもしょうがないのです(刑事裁判に関しては、裁判員裁判の導入に関係して迅速な裁判を行うように制度改正がなされましたが、問題がないわけでもない)。弁護士増員の背景には「法律による紛争解決、紛争予防を浸透させる」という考え方もあったようですが実際のところ浸透していない。時間がかかる、煩わしいという一般の認識は変わらないので、弁護士だけ増やしても需要がないでしょう。
※日弁連は実際に「裁判官を増やせ」と意見表明していますが、空振りのようです。
http://www.nichibenren.or.jp/activity/justice/saibankan_kensatukan_zouin.html

「争点や損害などのもろもろをコンピュータに入れて、調停や裁判などの法的手続きの参考にしてみようという機運はあるのですか?」
タイトルに「弁護士資格」とあるのでちょっと誤解してましたが、日本の法律手続きのボトルネックになっているのは裁判所の審理が遅いことですから、そこは重要な観点であることには同意します。が、そういう話は聞きません。それにそれは裁判員裁判の導入された意図とはまるっきり逆です(裁判をブラックボックスにしない、ということ)。
なお、アメリカでは法律事務所が人工知能の活用を試しているそうです。
2015年1月のNHKスペシャルで放送していました。
でもそれは「コンピューター活用によって『コンピューターを使う』弁護士と『コンピューターに使われる』弁護士の格差が生まれる、もしくはコンピューターより能力の低い弁護士はクビになる」という文脈でしたが。


また枝葉末節にコメントしちゃいますが
「むかしの2次元単純レントゲン撮影の読影名人より、現在の研修医のMRI診断のほうが正確です。」
早く精神科にも同様の進歩があるといいですね(嫌味ではなく、当事者としての切実な感慨です)。



返信する
コメントありがとうございます (管理人)
2015-03-13 23:51:41
へのへのもへじさん、いつも貴重なコメントありがとうございます。たいへん長文のご教示、感謝いたします。とても勉強になります。私の放言部分は無知な素人のたわごととしてお許しください。

おっしゃるように、この記事の趣旨は「医師がプラチナ資格であるのは、コンピューターの活用によって生産性を高めることに成功したからだ」「逆に法曹はIT利用がうまくいかず(興味がなく?)生産性を高めることができなかった」ということです。

ここのところ医学は検査値重視であり、症例ごとに違うパターンをバッと全体像としてとらえる仕方を「エビデンスがない」と退ける傾向にあります。そこは憂うべきことですが、検査値が数字なので、コンピュータに乗せやすいという利点には捨てがたいものがあります。

法曹の場合、裁判ほど難しいことではなく、例えばテレビで宣伝している「過剰返済を取り戻す」程度の作業なら、会計ソフトと適用する法律一覧を組み合わせればコンピュータ化できるのではないかと思います。(すでに、行われているのかもしれませんが・・。)

ご指摘のように、医療の中でも精神科はとくにコンピュータに乗せにくい領域です。それにもかかわらず、例えばうつ病のハミルトン尺度のように質的な問題を強引に量的に読み替えてコンピュータに乗せる努力をしています。(私個人は、やや無理を感じているのですが・・。)

DSM(アメリカ精神学会の研究診断マニュアル)にもいろいろ批判がありますが、同じ症例にまったく違う診断名がつくことは防げています。(むかしは違う診断名がつくのは当たり前でした。DSMはコンピュータ利用を前提として作られました。)

それにひきかえ、法曹界では(私の交友範囲内だけですが)コンピュータでできそうな部分はコンピュータにやらせようという発想がないように見えたのです。それがこの記事を書かせたきっかけです。

今後とも鋭いご意見と、ユーモアあふれるご指摘をよろしくお願いいたします。
返信する
自然科学と法学 (へのへのもへじ)
2015-03-14 12:30:06
長文のコメントに早速のお返事ありがとうございました。
何を書いても長くなるのは自分の本当に悪い癖です。

なお「30年前の……」のくだりについては私の方も誤解があったかもしれません。
単に30年の間に成文法が変更になった、というのはもちろん間違いのないところですが、先生の主眼の「方法論」についてはどうなんだろう。
そもそも法学部に入った時に一番戸惑ったのは「法学」の方法論は高校の物理や化学とはまるで違う、ということでした。実は方法論的なことは未だに理解できてません。
そもそも統計データで仮説を検証するとかいうのではないのは確かです(だからコンピュータがどうとか、ビッグデータ活用とかは最初から問題でない)。

余談ですが、元金融屋からは "Evidence Based Medicine"というのは保険屋の発想にしか思えないのですが、その成立過程はどうだったのでしょう?
返信する
文学的方法と自然科学的方法 (管理人)
2015-03-14 16:57:47
へのへのもへじさん、コメントありがとうございます。

私は法学のことをよく知らないので、文学部心理学科で行っていることについて述べ、研究方法について示唆してみます。

心理学は、人間心理を元来「文学的に」記述して相手に説明ないし説得する学問でした。いまでもそのつもりで心理学を志す学生は多いのですが、科学的心理学側からは「文学的な」が「思弁的な」と攻撃されることがあります。

攻撃する側はどういう研究をしているかというと、(私の捏造ですが)赤い部屋にいると血圧が上がる、青い部屋だと下がる。その滞在時間は何分で血圧の変化は何㎜Hg であるというようなことをやっています。どちらのほうが役に立つのでしょうか?臨床に役立つのは「文学的な」研究のほうですが、学問とは役立たなくてもよい側面がありますから、部屋の色と血圧の研究も存在価値はあるのでしょう。

Evidenced Based Medicine はじつは非常に役に立ちます。一時、最高血圧の基準が140から147上げられて物議をかもしたことがありますが、高血圧学会は10年以上追跡調査して、将来動脈硬化になる確率は最高血圧140を境にして急速に高くなることが証明されたので、140がひとつの基準になっていたわけです。このような研究がEBMの果実でしょう。

http://blog.goo.ne.jp/nakazato-hitoshi/e/610252125c57a308ccee9650298c2dc7

DSMは医者にも売れましたが、もっと買ったのは法曹人と保険屋でした。DSMは診断基準があって明快に言い切るので彼らに好まれたのでしょう。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。