J友さんから情報です、サリーのインタビュー掲載。→「浄土」 ※ずっと下にタイガース時代の話しなど。有難うございます(^-^)
古稀さんから、ショーケンが50周年のライブを東京・大阪でします。と教えていただきました。有難うございます。 自分的に只今、ショーケンがプチブーム♥ もちろん、テンプターズ時代限定ですけどね。( ´艸`)
デビュー50周年を迎えた萩原健一、5月に東阪ビルボードにてプレミアム公演を開催
テンプターズはタイガースのだいぶ後にデビューしたような感じがしますが、1967年末かな?調べてみたら10月。「エメラルドの伝説」は翌年6月でした。今のショーケンはGS時代の曲を歌うのかしらん?歌うのなら、聴いてみたい気もするし~と、料金を調べてみました。→ 大阪のビルボード 料金がタカっ!高くてビックリ(-_-;) もしかして、お食事付き?別? ビルボード・ライブは阪神電車にいつも広告が載っていて、名前だけは知っていますが、高い・・・知らなんだ。(食事は別でした)
ところで、ジュリーショーケンと並び称された割には、テンプターズの解散コンサートは 武道館とは比べものにもならないサンケイホール。かなり差はあったようです。
1971年1月24日、タイガースは解散、終止符を打った。
解散コンサートの映像が流れ、ジュリーの歌声が・・
※何度も何度も繰り返し聴いた、タイガース・フィナーレのアルバム。
ジュリーの言葉、タロー、サリーの言葉は空で言える。
ピーの「生涯で最後のステージ」という言葉は、長く私の心に
突き刺さったままだった。それは40年もの間
LOVE LOVE LOVE
T:もうこれで歌わないんだろうなと思うとね
もう二度と皆で一緒にステージに上がることはないという思いが強いですね。
(司)僕の生涯でこれが最後のステージですと・・
P:そう思っていた、また出てくるなんて本当に有りえない。
でも有り得ないことが有り得るんだね、人生はね
(鴻上)最後、ものすごく清々しい顔でドラムを叩いていましたね。
P:当時、すごく吹っ切れた感じがしましたね。もういいんだ。
(鴻上)あ、この人は本当に辞めようと思っていて、ドラムを
叩いているんだと思いました。
(司)ピーさんはその日のうちに家財を積んで京都に向かわれます。
同行された、坂田さんにインタビュー。
坂田:やめるのはわかっていた、ピーを一人にするのは やばいな
と思って、一緒に帰ることにした。家財道具一式積んで今から思えば大変でした。
レンタカーはヒーターもなく、眠い寒い・・
芸能界は辞めて、勉強して大学に行くと言っていたが、まさか
先生になるとは思わなかった。
P:これでお終いだな、一つの世界が終わった。清々しい気持ちだった。
T:静かな感じがした気がする。
別々の人生を歩んだ二人のその後は・・・
来週の予告が流れて、次も期待ができそうです♪
感激です。
ザ・タイガースは青春!
私は…ずっと沢田研二様を 愛してついてきた。
解散コンサートにも
行きました。
トッポの乗った車を発見!
じゅり友と一緒に
興奮しました。
時は流れて
再復活するとは
夢にも思わず
ジュリーがNo.1〜♪
(〃⌒ー⌒〃)ゞ
おお、解散コンサートに行かれたのですね!それは羨ましいです~!
やっぱり泣きましたか?コンサート映像が見られるようになって良かったですね(^-^)
私も再結成は夢かと思っていました。長くファンでいて、本当に良かったです。
『応援します。』この私に??どうも有難うございま~す(^-^)