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「俺はタイガースを越えたい」日本レコード大賞炎の4番勝負

2013年12月08日 | 新聞・雑誌 記事

「アサヒ芸能」
男性向けの雑誌、女性が買うにはかなり躊躇われる本ですが、大きな書店には無く、コンビニで立ち読み後に資料価値ありと、購入決定。本の表紙を下にしてレジに差し出したら、バーコードは裏側だから、店員さんは一度も雑誌の表紙を見なかった。
でも、なんでいまさら「レコード大賞」なの?と思ったけれど、レコ大の55年の歴史の中でも 特に印象に強い大賞争いを連載しているそうだ。もう30~40年近い昔のことでも、見ていた人の記憶に今も鮮やかに残っているジュリーの受賞シーン。
歌謡曲華やかなりし頃と、今の音楽シーンは大きく変わった。今のレコード大賞に昔の値打ちは有るの?もはや存続の価値はなさそうな気もする。が、残っている限りこうして取り上げてくれます。

ソロ転向後、どこにいっても「元タイガースのジュリー」と紹介され、「タイガースの曲を歌ってください」といわれて、うんざりしたと言っていませんでしたっけ。
ちょうどいま、ザ・タイガースとしての活動を再びやっているジュリー、ソロ転向後の活躍はザ・タイガースのジュリーとしての出発点があってこそ。そしてジュリーの活躍があるからこそ、ザ・タイガースは忘れ去られることが無い。
森本元マネに取材しているようです。
4ページにわたる記事です。

日本レコード大賞 炎の4番勝負!


俺はタイガースを越えたい」
ザ・タイガースのボーカルとして頂点を極めた沢田はソロに転向後、日々、自分に言い聞かせていた。「俺は一人でもタイガースを越えてみせる!」


この記事のあと、ソロ歌手として順調にヒットを重ね歌謡大賞を受賞するが、レコード大賞には届かない。新幹線事件で謹慎などもあった。TBSの砂田チーフプロデューサーは
『沢田研二という人は画面から美しさが伝わる本物のスター。コンサートを終えた直後のジュリーの仕事に対する厳しい姿勢に驚いた』
「勝手にしやがれ」で大賞を受賞後、森本マネが「おめでとう」と告げると
「バカヤロー!喜んでないでお前は次の年の事を考えろ。てっぺん獲った翌年がダメってジンクスにはなりたくないんだよ!」
やがて沢田は常に「一等賞」というフレーズを公言するようになる。

二年目のジンクスを阻止するため78年の年明けから精力的に仕事をしたジュリー、歌番組だけでなくバラエティにも積極的に出た。78年の大晦日「LOVE抱きしめたい」はレコ大の下馬評ではⅤ2確実とみられていたが、最優秀歌唱賞となった。
その日、レコ大受賞のピンクレディは紅白を辞退したが、ジュリーと百恵の「初のポップス勢によるトリ対決」で火花を散らし、大トリを締めくくったのは、ジュリーだった。



※ここの森本は、ソロ時代のマネージャーだった森本氏。今やお嬢さんの方が有名人です
大賞シーンがジュリーの意向により封印されていたのは、このシーンだけ封印していたというのではなく、1990年代のジュリーが一切のTV出演や昔のTVを封印していた時代の事です。あの頃は、ジュリーのシーンだけが放送されず、とっても哀しかった~ 
阿久さんの追悼番組でジュリーの歌う姿を見てファンになってくれた人も多いようだから、やっぱりTVに出る出ないって重要です。でも、封印当時はジュリーなりの考えがあってのことだから、何とも言えないわ。しかし、ファンとしては淋しかったのは事実です

 

 

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