90年代末のアジア金融危機を乗り越えた今や韓国一の財閥であり、時価総額でもソニーや松下を超えている、そして李健熙(イ・ゴンヒ)会長の強烈な「カリスマ」「トップダウン」マネジメントで有名な、サムスンの「人力経営」についての記事である。紹介されている内容は2つ。
- 人心を一体化するための教育研修、特に「熱狂と絆」の新人研修、及びGEのクロトンビル研修所に例えられる「人力開発院」
- 世界各地に戦略的に人材を送り込んでグローバル展開に備える「国際化プログラム」
サムスンの新人研修の強烈さとサムスンマンの猛烈な働きぶりについては何度か聞いたことがあったが、本記事を見ると、たしかに、エグい。新人研修の最後に来るフェスティバルの頂点は次のような具合だという。
会場の1万人にキャンドルが配られた。まず、一角に立つある役員のロウソクに火がともされた。その役員は周りの数人のロウソクに火をつなぐことを繰り返し、あっという間に会場は1万人の炎で埋め尽くされた。舞台で役員が叫ぶ。「サムスンは1つだ!」そして、1万人が復唱する。「私達は1つだ!」
伝統的キリスト教では大昔から一年間の暦の頂点である復活祭の頂点で、キャンドルの火を伝播させて「キリスト復活!」「実に復活!」と会衆が叫ぶのだが、そのパクリである。私にとっては胸が悪くなるようなエグさである。カリスマ経営者の元、疑似宗教儀式を用いた人心統一かよ・・・とその先を読むのをやめてしまいたくなるのだが、しかしちょっと待てよ、と思わせるものがある。
それは、李健熙(イ・ゴンヒ)会長は二代目だよな、ということだ。普通、創業者がカリスマであるのに対して二代目というのはシステマティックな理論的な経営をするものではないのか?二代続けてカリスマ経営というのは珍しい、ということなのである。実はカリスマ経営ではないのではないか?
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本記事には、ナンバー2の尹鍾龍(ユン・ジョンヨン)副会長兼CEOのインタビューが載っていてそれが興味深い。至ってクールでさわやかなのである。サムスンのユニークな哲学についてなど何も語っていない。逆に、そのようなものはないと言っている。特に、次の発言には、注目させられる。
企業経営とは「資源」と「プロセス」を管理することだと考えています。経営者の仕事は、資源とプロセスをどのように配置し、組み合わせるかということに尽きるのですが、資源もプロセスも時代の流れによって常に変化していきます。・・・経営者は経営のプロセスをためらわずに変える。
経営者は普通「自らの(自らの会社の)経営」について語るものであって、それを一旦突き放したメタ言語で経営を語ることは、普通ないからだ。日本企業の経営者が自らの経営行為をメタ言語で語っているのを聞いたことはない。
そして徐々に、李健熙(イ・ゴンヒ)会長の経営姿勢も、極めて合理的で冷徹なものであることには想像がついてくる。そして背景には、生存に向けての猛烈な危機意識があることが見えてくる。
「熱狂と絆」の教育研修群は、人心を統合するために冷静に組み立てられたプロセスだと考えるべきではないか。生存を賭けての強烈な戦いの意思を持つ時、そこまで踏み込もうとすることは当然である。そうでなければワールドカップで戦えない。おっと違うか。
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「人心とそれを統合するためのプロセス」についても、経営の管理対象として真剣に考慮に入れられるべきかもしれない。人心が経営資源である以上、企業が従業員との合意の上で人心に踏み込む、すなわち「生き方」の価値観に踏み込み、合意された方法でマインドコントロールを行う、ということは、避けられなくなってくるのではあるまいか。
ただ、普遍性を持つグローバル企業を指向するからには人間の思想信条の自由に対する配慮は持つべきだろう。
- たとえ宗教のシンボルは用いないとしても、疑似宗教の信奉を前提としたり、
- 思想信条は問わないものの、人心操作の目的で宗教的シンボルを用いたり、
・・・どちらも適切ではないだろう。その点、やはりマインドコントロールを感じさせるGEのジャックウェルチ元会長の言説あたりに絶妙なバランスを見る。彼は自らの経営手法を「生存」という見地から合理的に説明しきっている。「良いGEパーソンであるとともに良いカトリック信者でもあることはできるのか?」との社員の問いに、「I am !(私がそうだ!) 」とパワフルに答えるなど、鈍感さをも同時に披露しているが、それすらオープンに行っていることで、普遍的企業としての基準を満たしていると考えられる。
人心とそれをコントロールするプロセスは、これまでほとんどの日本企業が、同質社会であることに依拠してその操作を暗黙知的に行ってきただけに、今後、「見えないエンティティ」として重要さを増していくのではあるまいか。