人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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賃金水準が決まる理由に関して議論がなされています(こちら)。私は経済学を体系的に学んだことのある者ではありませんが、本件は当然、池田信夫氏が正しいと考えます。つまり、人を雇う立場で考えれば一目瞭然ですが、賃金は、その人を雇うことによってどれだけの収益が得られるか、という「限界生産性」に基づいて決まります。

グローバル市場の整備によって、多くの産業において世界中どこからでもモノやサービスを調達できるようになり、モノやサービスの価格が下がり、モノやサービスを売ることによって得られる収益が低下し、限界生産性もそれに応じて下がっています。そこで賃金破壊と言われる現象が起こっています。

一方、グローバル競争力のあるごく一部の人やサービスにおいては、サービスの供給先がグローバルに拡大する結果、限界生産性が高まり、松坂選手のように賃金が高騰する場合もあります。

人々が今従事している仕事を変えない以上は、「賃金破壊の影響を受ける大多数の人」、「受けない少数の人」、そして「賃金高騰のメリットを受ける極小数の人」、に分かれていくことは必然だと思います。「少数の勝ち組と多数の負け組への二極分化」に向けての力は容赦なく働いていると思われます。

もっとも、そのこと自体は良いとも悪いとも言えないと思います。というのも、そこで起こっていることは、市場の開放によって日本国内市場が世界の経済格差を反映するようになる、ということであって、世界が等しく豊かになっていくためにはそのようなプロセスを経ないわけにはいかないのですから・・・

しかしながら、実際にそのような二極分化が実現したら、日本に住む私達としては大変に困ります。社会不安が起きるかもしれません。そこで福祉が登場します。憲法第25条に基づいて強制的に富の分配がなされ、最低賃金の保証がなされなければなりません。

憲法第25条【生存権,国の社会的使命】
(1)すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(2)国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

・・・というわけで、「勝ち組」の人が十分に稼いでくれる限り、そして憲法第25条がある限り、まずは安心の拠り所があります。近い将来の日本では、私などを含む「賃金破壊の影響を受ける大多数の人」は、社会福祉による富の再分配によって、「賃金高騰のメリットを受ける極少数の人」の稼ぎに依存しながら、「健康で文化的な最低限度の生活」を維持していくことになるのでしょう。


ただし、以上の議論にはちょっとした落とし穴があります。それは、「限界生産性」を測定することは極めて困難である、ということです。ある企業において、青色発光物質の製造法を発明した「中村さん」の力によって、何百億円もの収益が得られました。

  • 「中村さん」は、一人で研究計画を作り、一人で実験方法を設計し、一人で特許を書き上げ、一人で製造部門との調整を行ってきました。「中村さん」がいなかったとしたらそのような発明はありえなかったと言えます。「中村さん」を組織に迎え入れることによって何百億円もの超過収益が得られたのです。「中村さん」の限界生産性は、「何百億円/一人」です。

しかし、「中村さん」だけがヒーローではなかった筈です。

  • 「中村さん」の研究の将来性を予見し中村さんに道を開いた「上司」や、「中村さん」との絶妙なコンビで困難な実験を支えた「部下」はどうでしょう?
  • 「中村さん」の行動パターンを熟知して中村さんを支え、「中村さん」の仕事が回る状態を一手に維持してきた「秘書」はどうでしょう?
  • 「中村さん」が10年前に本研究に取り掛かる前に、中村さんが採用した製造法以外の製造法を、生涯かけてことごとく試みて失敗し、それらの製造法ではうまくいかない、という証明を遺書として残して、会社からいなくなってしまった人はどうでしょう?その人が(幸い生きて)再び会社に現れ、「中村さんの業績は9割がた私に負っている」と主張したらどうでしょう?
  • 「中村さん」のために毎日特別においしいコーヒーを淹れ、中村さんをして「マスターのコーヒーはおいしいなあ、このコーヒーがあるから仕事を続けられるよ」と言わさしめた、研究所前の喫茶店のマスターはどうでしょう?

人それぞれの「私が世界を支えている」という主張を反証することは、誰にもできないのです。「人は全員がかけがえのない存在であってその人なしに今ある世界はない」ということは、尊重されなければならないある種の真理なのです。

そのような一人一人のかけがえのなさ、すなわち「一人一人の高い限界生産性」を擬制することによって心理的に納得のいく分配を実現するとともに、実際に一人一人のかけがえのない役割を発揮させることによって「組織全体としての生産性」を高めることこそが、組織と人事の機能ということになります。

もっとも、現実に分配できるパイの大きさが一定である以上、「一人一人のかけがえのなさを互いに認め合うことができる範囲」に、どこかで線を引かなければなりません。その線が現在、「正規雇用社員」と「非正規雇用社員」との間に引かれようとしていると考えられます。その線引きの仕方でいいのか、相互のかけがえのなさの擬制の体系として、社会的にどのような線引きをしたらいいのか、ということは、また別の問題となります。



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