人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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進化するアートマネージメント
林 容子
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社会におけるアート及びアーティストの存在が決定的に重要なものであるとするとその根拠は何か?アート及びアーティストの存在が重要なものであるとすると、アートとアーティストの活動の維持・振興のために、誰がどのような仕方でお金を出し、またその配分の仕方を決めるのか?・・・ということが、欧米及び日本のアートマネジメントの現場の臨場感を持って、しかも網羅的・体系的に書かれている貴重な本である。アートマネジメントを支える価値観や哲学から始めて、アートを支えるための仕組みが、歴史的経緯から現状に至るまでまとめられている。

日本においては、アートの価値とその根拠は、閉鎖的な家元制度の習慣の中に埋もれてしまいがちであり、それは近代以降の美術やクラシック音楽等においても例外ではないということは知られている。それは家元を軸とする濃密な人間関係を背景にした談合によって価値が決まる世界であり、その価値体系は外部社会とリンクされることはない。そのような中では、アートの価値やそのためのリソースが社会・経済の中で循環することでますます価値が高まるような、発展と創造のプロセスは生まれようがない。


さて、アートマネジメントを用いることでこのような状況を打破できるだろうか?そして、社会・経済の中でアートの占める比重を拡大していけるだろうか?

現在、日本のGDPの中でアートの占める比重は微々たるものでしかないことは明白であり、また、いくら地域振興やメセナを謳ったところでアートの原資が大幅に増えることはないことも明白であるが、しかしなお、アートの経済規模は莫大なものになりうると考えている。

それは、アートの価値を支えてきた哲学にまで立ち戻るならば、アートの価値は、アートが「彼岸の財」であることにあるからだ。アートの創造やその支援、作品の収集、そしてその社会還元の背景には、自分を歴史につなぎとめたい、永遠に連なりたい、という欲求が常にあった、ということがわかる。その欲求をどれだけ顕在化するかで、アートの原資の多寡は全く違ってくる。

日本人の持つ個人金融資産が、大雑把に1500兆円あったとして、それを、55歳~85歳の世代が各年代均等に保有していたとすると、一つの年代あたり50兆円とほとんど国家予算並みになる。そして一つの年代が毎年確実に遺産を金融資産として残すことになる。そして、死ぬ時における金融資産の使い道の選好は、自分が健在だった時の選好とは全く違ってくる筈なのだ。日本人の多くが、永遠に連なりたいとの欲求のもと、アートのために遺産を遺していったら大変なものになる。まあ、それが起こったのがエジプトのピラミッド時代であり、膨大な教会建築を残した中世以降のヨーロッパだったのだろうが。。。

このように、アートの原資がどこから来るかということに照らしてアートの目的を再検討することに、アートの存続と発展はかかっているのではないだろうか。



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