プレイステーション3に代表される次世代ゲーム機の競争が本格化するに先立って、ゲーム業界の再編が進んでいることが語られている。
2003年に起きたゲーム業界の再編は、「規模の再編」であったのに対し、2005年の再編は、ゲームのみならず、ビジネスの間口を広げて、総合エンターテインメント型を目指す再編が目立ち、バンダイとナムコの統合はその典型例であるという。
その背景には、ソフト開発費が急増しており、これまでの事業規模では金融負担に耐えられないことのほか、ゲームという狭い枠を破ることによってソフトの有効活用が求められていることが語られている。「ゲーム会社は、収益機会を増やすために、映画やアニメ、携帯電話向けゲーム、パソコン向けオンラインゲーム、そしてグッズの販売といった周辺事業にも本格的に取り組まざるを得なくなる。」というのである。世代ゲーム機の画質は、アニメ映画の画質にも匹敵するものになっており、ゲームと同時進行で、映画やアニメに流用するために画質を作りこむことが可能なのだという。
さらに、完成したゲームをパッケージ化して店頭販売するビジネスモデルに代わって、ネット化を受けて、「ゲームソフト本体は安価で売り、ストーリーの続きをネットから有料でダウンロードしてもらうビジネスモデル」などが考えられるという。
従来のゲームビジネスに染まった人材だけでは、このような環境変化には対応できず、人材は自社で育てるだけではなく、外部から得ることも考えざるをえなくなっているという。
・・・このような描写を読むと、ゲーム業界に関わる人材マーケットは、新しい収益モデルを手がけた人材がプロ人材として各社から引っ張りだこになる、現在の金融人材マーケットのような人材市場になってくるのではないかとも思える。
ただ、ここで、金融との大きな違いがあるとすれば、金融と違ってコンテンツビジネスであるという点である。金融、たとえば不動産金融であれば、不動産から得られる収益の天井は決まっている。その価値を顕在化させたら終わりである。その価値をいかに早期に顕在化させるか、が金融である。金融のプロは、不動産金融が一巡したら、また新たな収益機会を求めていかなければならない。
しかし、コンテンツビジネスは、コンテンツという基礎を、何倍にも何十倍にも、膨らませていくことができる。ディズニーを見よ、あるいは、TV時代を通じて長嶋茂雄が生み出してきた価値を見よ、ということである。どれだけの強いキャラクターを持ち、それをどれだけ長い期間に渡って生きさせるか、ということにビジネスの成功要因があるのではないだろうか。そのために、長嶋茂雄のような天才性、そしてディズニーのような、ブランドの求心力が必要になるのではあるまいか。しかも、「国内だけでは生き残れない」中、そのキャラクターは、国際的に通用する普遍性を持つものでなければならない。
そのための、人材論、組織論は、金融業界とは全く違ったものになる筈である。
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