人材マネジメントの枠組みに関するメモ
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ホンダの福井社長のインタビューが興味深い。興味深い発言がいくつもあるが、一番は次。

例えば、電気自動車。バッテリーを積んで重くなる今の状態は現実的ではない。クルマを動かすバッテリーを積むために、さらにバッテリーを積むという矛盾が起きる。電気自動車よりも燃料電池車の方が現実的で、ハイブリッド車も無駄がない軽いシステムがいい。それよりもバッテリーやモーターを積まないディーゼルの方がいい。だから、ホンダはクリーンディーゼルにも注力することを決めました。(搭載バッテリーを増やして家庭用電源から充電する)プラグイン・ハイブリッドが今、話題ですが、我々の常識では考えられない。

シンプルな解を追求する原則が示されていると思う。それをホンダの常識とまで言ってしまうところは強い。このような原則は、電気自動車へのポリシーのみならず、様々な技術的な選択にあたってのポリシーを規定することだろう。また、組織マネジメントをも規定することだろう。


よく考えると、福井社長のロジックも、そこだけとらえると筋が通らない。というのも、「重量あたりの出力」が、「エンジン+ガソリン」よりも「モーター+電池」の方が上回っているのであれば、電池を多く積む方がかえって効率が高いポイントが出てくる筈だからである。だからこそ、電池の量を増やすという解がトヨタやフォードから出てくるのだろう。

福井社長はおそらく、複雑さが増しソフトウェアによる走行制御の比重が重くなるようなソリューションは避けたい、ということも含めて言っているのだろう。おそらく、次のことを問題にしているのだろう。アクセルを踏み込んだ時、エンジンの出力とモーターの出力とがどのように配分されるかということが、ソフトウェアによって制御されるような車を目指すとすると、

  • (例えばエンジンの)技術者にとっては、エンジンのパフォーマンスが、車の最終的なパフォーマンスとは切り離されてしまう。最終製品のデザインからの距離が遠くなってしまう。
  • ユーザーにとっては、自ら車を直接コントロールしていることを感じることができる余地が狭くなる。

これを問題としてとらえるとすれば、それは必ずしも定量化できることではなく、車に対する哲学であり美学の問題、ということになる。「車を駆って走る喜び」を重視するとすれば、アクセルを踏むこととエンジンの回転音と走行フィーリングとの間に直接的な関係が感じられないソリューションなど考えられないことになる。


この価値観によって、おそらくは、新しい車を開発するプロジェクトに参画するメンバーの役割や責任のあり方も変わってくる。

  • トヨタのソリューションのように、ソフトウェアによる電子的な走行の制御を思い切り活用しよう、ということになると、エンジン等の車のサブシステムも、最終的な走りのイメージよりも、設計上の仕様の数字に基づいて設計され、製品のトータルなパフォーマンスは、後から他の部品と組み合わせて初めて検証されることになる。開発者にとっては、システムの一部分として動く行動特性が重視されるとともに、開発プロセスの中には、データを取得して仮説検証サイクルを回すプログラムを厳密に作り込む必要があることになる。合わせて、最終的なパフォーマンス・品質保証の仕組みも、まさにソフトウェアのテストなみに精緻なものになる。
  • ホンダのソリューションのように、エンジンのような鍵となる部品のパフォーマンスと、最終製品のパフォーマンスとをできるだけ直結させよう、ということになると、魅力的な製品づくりに向けて、様々なチャレンジを促すことが重視されることになるだろう。

「自動車」は、自動車という単体の製品を超えて、移動インフラそして社会システムへと、製品としての多面性/多元性をいよいよ露にしているが、「自動車」というものに対する考え方、そしてそれに基づく製品アーキテクチャの選択方針は、組織運営や人材マネジメントの方針とも表裏一体であると考えられる。



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