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格差の起源(オデッド・ガロー):統一成長理論としてマルサス経済時期と産業革命以後200年を一体に考察、グラフの軸の定義と論拠など不明

2024-04-21 02:30:50 | マクロ経済

 Oded Galor( https://en.wikipedia.org/wiki/Oded_Galor )はコロンビア大学の博士号のようだ。統一成長理論( Unified growth theory  https://en.wikipedia.org/wiki/Unified_growth_theory )として200年前までマスサスの法則(食料増=人口増)のため経済成長がなかった時期までと、産業革命以後の(食料増>一人あたり子供の数の減少による人口減)による経済発展を多面的に考察している。

 内容は、ジャレド・ダイヤモンドやSocial Capitalのパットナムなどの孫引きが多い。しかも、Gordonによると1870年を起点として1940年が変革の年との考察もある。( https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/d407f650d35bd5bfeffa1c2d54a53cb4 )

 筆者の観点は独自だが証明や根拠が分からない。

 技術は収斂進化に似て各所で同じ技術の発生が見られること。農業革命(技術)が人口を増やすが人口の増大は一人当たり所得を向上させない(図4)というのも概念的だ。

 さらに、マルサス時代(産業革命以前の意味)の人口増加でも人口に対数を利用しておらずセンスを疑う(図6)指数関数的増加には対数を使うのは常識だ。

 マルクスの推測は産業革命により人的資本の重要性を低下させ、生産手段の所有者(資本家)は搾取するという「階級闘争」の仮定は確かに正しくなかった。共産主義が工業でなく農業国家(ロシア、中国など)から進行したのも指摘の通りだ。(逆に国家と国民の争いや飢饉・虐殺が発生した ピンカーなど https://blog.goo.ne.jp/n7yohshima/e/0a0470b08fea4ec903991c0cd52138e3 )

 但し、小子化、教育の充実、生産の高度化の「人的資本」尊重の生産性向上サイクルは結果論ではないか。乳幼児の死亡率が減る医療体制になると出生率が下がり(成長の期待値が高まり、平均寿命も延びる)、そのため教育への投資が時間と金額とも上がるというのが本来の姿だろう。そのため、先進国では、出生率低下、高齢化(平均寿命の伸長)、人口減少のサイクルがあるのは常識だ。

 産業革命と「相転移」も説明が良くわからない。一般に生産に石炭や石油という化石燃料を利用するようになればその分生産が増える。ゴードンの指摘にあるとおり1940年からは生活の質も更に良くなり、小子化と男女平等などが進行した。

 社会システムとして「収奪的」か「包括的」かどうか、「専制」か「民主」主義か、「資本主義」か「共産主義」かの論議は大きすぎるテーマだ。この1冊で語りつくせると思えない。

「文化はゆっくりしか進化しない」は「文化の慣性」であり水平(同年代)・垂直(世代)の価値観の維持とあるが、それだから文化というのではないのか。その他、行動経済学からカーネルマンの引用などあるが付け足しのように見える。

 最後のグラフにある「人口集団の均質性(多様性の反対)」と人口密度や都市化率、GDPなどのラッファー・カーブ( https://en.wikipedia.org/wiki/Laffer_curve )のような形状は、計算手法、根拠、証明が全く分からない。何をもって「最適」と判断するのか理解に苦しむ。逆に適度な均質性とはどういう状態なのか?

 結果からその要因を逆に分析しているとしか思えない。オリジナルな発想があるなら、その理論で事象を証明すべきだ。「格差」の根拠は普通に思いつく分類にしか過ぎない。

 本書は疑うべき内容が多く、既存の知見の流用も散見され、避けるのが得策としておく


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