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サラ金の歴史(小島傭平):調査が多面的、具体的な事例も多く時代・社会背景など良く分かる

2021-07-16 02:17:36 | マクロ経済

 著者は39歳にもかかわらず、明治の貧民窟から始まる文献調査とヒアリングにより、サラ金の歴史を体系的かつ、多面的・具体的にとりまとめている。バブル前後の日本社会の考察としても面白い。書籍として楽しめる。

 家計を取り巻く、政府、金融機関、企業の分析でグレー金利( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3%E9%87%91%E5%88%A9  過払い資料https://www.fsa.go.jp/policy/kashikin/manual/05.pdf )を正面から取り上げても良かったと思う。また、グラフが時系列で細切れになっているため、通期のグラフを巻末にでも添付するのが良いかと思う。

 とまれ、楽しめる著作だ。

 知見は:

・サラ金はセイフティネットかという投げかけ→小口金融のニーズ、アメリカならカード(金利が高いが限度額まで借り入れるケースが多い)

戦前

・貧民窟での素人高利貸し 高利貸し→使い→走り→債務者のピラミッドで毎日顔合わせ管理

・サラリーマンと素人高利貸し:社員間の金貸し

・日本昼夜銀行(→庶民銀行→国民金融公庫へ)のサラリーマン金融

敗戦後

・1960年がピークの質屋(インフレで質草値上がり)主婦(1947年までは「限定無能力者」で夫の許可なくして利用ができない)が利用

・月賦(割賦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E8%B3%A6%E8%B2%A9%E5%A3%B2 ):ミシンが元祖(→前払い式のはず、ダイエーのリッカー買収などもこの手法を取り入れたかった)、電化製品(炊飯器、三種の神器:冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビ)が対抗意識や「義務感」で買われた、特に均一的な団地で顕著、

・団地金融:団地入居者は一定の与信がある、ビラで勧誘、年利109.5%、贅沢な生活向け資金として 現金の出前も、団地マダムは質屋に行かない、妻の独断なら貸すが夫も承知の場合は一家で危ないため貸さない、田辺と森田が元祖でここからサラ金の社長が育つ

・サラ金創業者(アコム(マルイト)、プロミス、レイク)は当初、信頼の輪、人間的な金融、人を生かす金貸し を目指した

・高度経済成長とサラリーマンの社内評価「情意評価」のため「つきあい」の交際費が必要、しかし小遣い制→サラ金の活用へ

・ヤタガイ・クレジット 学生ローン、父親を担保に電話番号で確認、電話が持てることが与信

・武富士、半グレに近い経歴、接待で金主から融資を引き出す、1976年から「営業の個性化」を図る東京相互銀行(第二地銀 無尽講)をメインバンクにし資金調達、急成長、武富士ダンサーズのCM

・サラ金の与信 上場企業サラリーマンから「求めるすべての人」へ、1968年プロミスが転換、業界が審査基準を緩和し融資拡大に→信用情報の設立と共有、ネットワーク化に

・団信の導入 1977年武富士が千代田生命と業務提携、自殺の増加(13ヵ月目)2006年まで、団信の死因のうち25.5%が自殺

 

第一次サラ金パニック 1977~78年

・信用情報機関と団信に支えられ、審査基準を引き下げ、融資残高が5年で10倍程に成長

・サラ金3悪 高金利、過剰融資(リボルビング払い)、過剰取り立て

・百貨店系クレジットカード・キャッシング、銀行の個人ローン(審査が厳しい)は’83年まで伸び悩み

 

第二次サラ金パニック 1981~83年

・外資からの融資、店舗拡大、79年から4年で10倍程度に

・自殺の増加、「サラ金被害者の会」、自己破産のマニュアル化(1982年から増加、2003年ピーク)

・貸倒比率増大、「勘定労働」としての債権回収(取立)

・1983年大沢商会破綻で外資が融資引上げ、準大手ヤタガイ、エサカが破綻、プロミスは綱渡り、長銀(後に破綻)・住信が協調融資、日本生命も役員派遣、各社銀行との関係強化

 

バブル崩壊後

・店舗数は増加、堅実な融資方針

・レイクは株で損失、GEキャピタルに1998年営業譲渡、2008年新生銀行(破綻後の長銀)

・銀行の無担保貸付1988年:BIS対策で小口、高利→バブルで不良債権に

・1993年自動契約機でロードサイドに進出、株式上場にアコム、プロミス1993年、武富士96年、アイフル97年、CP発行や株式の店頭公開

・クレジットカードとサラ金の複合汚染

・フリーターへ・アルバイトへの貸付解禁89年プロミスから

・消費者信用残高の対可処分所得比率はピーク25%(バブル後時期)でアメリカより高かった、2015年は15%程度→とあるが現状サラ金の消費者向貸付残高は7.5兆円ほどだ、2017年で可処分所得は303.5兆円のため2%程度にしかならない。図6-6には懐疑がある

( https://www.fsa.go.jp/status/kasikin/index.html  https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h29/sankou/pdf/bunpai_20190405.pdf )

・2000年頃 失業者増加で貸倒増加しサラ金が倒産、多重債務者がヤミ金に行く、商工ローンも問題に。サラ金は新規開拓に乗り出す

・2003年ヤミ金対策法がヤミ金をオレオレ詐欺への転換のきっかけ

・2006年改正貸金業法:上限20%、利息制限法とのグレーゾーン金利消滅、借入は原則年収の1/3まで、信用情報機関に加入→過払い金の支払いはサラ金の「利息返還損失引当金」

・立ち行かなくなったサラ金が銀行の傘下に

・サラ金の審査厳格化もあり親戚・知人からの借り入れが増加傾向→昔に戻る

 

アイフル

・ITの導入とおまとめローン(不動産担保の厳格評価、流動性の高いもの)

・2005年被害者対策全国会議、ノルマの達成率による報酬が過剰融資や取立の要因と業務停止命令

 

武富士

・1985年嵩仁地区の開発にからみ反社勢力との関わりを指摘される

・藤川忠政(初の大卒:国士舘大)が「汚れ仕事」対応、50億円の報酬を約束されるが払われず、訴訟で勝訴

・粗雑な労務管理と社員の不正がメディアに

・2003年社長の武井が盗聴により逮捕、有罪判決、2010年会社更生法開始

 

 個人的な経験として2003年頃、難波を歩いているとサラ金のアンケート呼び込みがあり訪問した。すると、アンケートの選択肢にある年齢は若く、年収は低位層に集中し、貯金の額なども少ないのしかなかった。成程、ターゲットが明解だと納得した。名のある企業の役職者がサラ金に行っても貸してくれない。なぜなら、よほど切羽詰まっていないと来ないからとのことだった。普通は、社内貸付や銀行の小口ローンなどあるからだ。

 

 読み物としても面白い


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