明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

祝 29000 仏華を見せていただきました

2010-10-31 22:58:55 | Weblog
浄土真宗のお寺で、年間を通じて一番大切な法要は「報恩講」です。だから、仏様にお供えするお花の中でも、松を中心にした最高のお花にて荘厳します。
今日、私は法要終了後にそのままの姿で、現在も伝統的な仏華で荘厳されている大安町照光寺さんに行かせていただいた。
照光寺さんは、11間四面の本堂を誇る員弁郡随一の古刹である。明日から報恩講という事で、ご住職は準備に忙しい中で時間を確保していただいた。(午後4時過ぎで申し訳なし)
写真は、御本尊前の仏華である。高さ2mに及ぶと思われる巨大な仏華。圧倒的な迫力を感じます。しかし、本堂が大きいのでこの程度の仏華は必要なのだそうだ。

桧の葉の組み合わせで、見事な枝ぶりの雰囲気を出しています。

写真は、親鸞聖人前・蓮如上人前の仏華。自坊の本堂も、決して小さくはないが照光寺さんの親鸞聖人・蓮如上人前の仏華が、自坊の御本尊前の仏華と調度同程度の大きさ。
写真は、親鸞聖人前の仏華

写真は、蓮如上人前の仏華。

また、お供物も立派にお荘厳されていた。本願寺派の場合は、ご本尊の阿弥陀様に近い方から「お餅」・「お菓子」・「果物」と並べていくのが原則。照光寺さんも原則通りに並べてあるのが分かります。

特に、紅白のお餅をうまく積重ねた荘厳が目を引きました。何でも学習させていたく事は極めて大切です。大変参考になりました。

自坊ブログの訪問者が、29000名(正確には、29108名)を昨日超えていました。いつも訪問していただき有難ございます。尚、明日は事情がありブログの投稿はありません・・・・・・


おそまつな話

2010-10-30 20:18:44 | Weblog
心配した台風14号も、何故か東海地方を避けるような進路。今日一日、風も吹かず。雨も降らず。拍子抜けの一日。でも、感謝すべき事ですね。
午前中、ご門徒宅にて年忌法要と報恩講。午後は、近くのお寺の報恩講に出勤。途中、工事の為に「通行止め」の看板がありました。しかし、田舎の通行止めは、経験上は通行できるのです。ですから、何の迷いもなく通過し、目的のお寺に到着しました。到着してビックリ。他のお坊さんはまわり道をしておられるのです。皆さん、正直ですね。無視をする私はおうちゃく?
さて、本題です。写真を見てください。これは、腰を安定させるためのベルト。

母親が、通販にて3700円で購入したもの。早速、着用し「これはラクだ」とご満悦の様子。ところがです。着用して、3時間程経過した時です。母親が着用している筈の「ベルト」が畳みの上に落ちているではありませんか・・・・母親に、「ベルトはどうしたの」と聞きますと、母親は、「勿論しているわさ。しっかり調子が良い。安い買いもんしたわ」との事。そこで、私が「何をいうとんの。ベルト畳の上に落ちとるで」。母親「うそ、そんな事ない。ちゃんとしとる。腰も安定して調子が良い」。そこで、ベルトを見せますと、母親は「アッ。便所にいった時に忘れた」との返事。
ということは、どういう事なのでしょうか。つまり、ベルトをしていないにもかかわらず本人はしている積もりで、しかも「ベルトのお陰で調子がよい」と錯覚していた事になります。おそまつな話となりました。
でもです。よくよく考えてみますと、人間はこんな錯覚の中で生きているのかも知れません。人生そのものが錯覚の連続なのかも。無いにもかかわらず、有ると信じて生きているかも知れません。

員弁組門徒推進員会研修会無事終了

2010-10-29 23:22:40 | Weblog
やっと終りました。色々な事が重なり、レジメ作成がかなり負担になっていました員弁組門徒推進員会の研修会。今日、隣のお寺にて午後7時30分から開催。
テーマは、前回の続きで親鸞聖人の生涯(後半)のお話。承元の法難(親鸞聖人35才)からご臨終の90歳まで。親鸞聖人55年間を、1時間30分でお話する事はかなりの冒険です。どこれも重要なポイントばかり。レジメは、昨晩から作成開始。8ページにまとめました。写真は、最初のページ。このページは、承元の法難の箇所。愚禿親鸞誕生の説明に力が入った箇所です。レジメの絵は、竹の前草庵(現国府別院)にての親鸞聖人(奥の人物)です。有髪の姿で描かれています等を説明しました。

でも、30名近い門徒推進員さんが研修会に参加しておられます。熱心に聞いていただきました。一念多念文意を引用するなど、かなり難しい箇所もあったと思いますが、親鸞聖人のご生涯を学ぶ事の大切さを少しでも理解していただければと思います。
親鸞聖人に近づく方法は、二つあると思います。一つは、教え(教義)と聞き、同信の友と語りあい、本も読み、教団(お寺)の活動に参加する事。もう一つは、親鸞聖人の苦労多き人生を実体験する方法。どちらが欠けても駄目とは思いますが、私はあきらかに後者。そのような観点でお話しました。

越後に、関東に、親鸞聖人のご旧跡は数多く残されています。なぜ、旅行は海外まで行かれる人も多いのに、肝心のご旧跡には行かれないのでしょうか?そこでしか感じる事のできない事も多いのです。
上記のレジメは、関東の親鸞聖人で使用。当時の関東は、大小の河川の氾濫原の多さと湖沼の多さを説明。現在の関東の地形とは大きく違っているのです。そんな中で、家族ともにご苦労いただいたのです。そんな思いが伝わればと思いました。しかし、午後7時45分から午後9時36分までの講義。休憩は、わずか5分でした。かなり苦痛に感じられた方も多いと思われます。申し訳なし・・・・・
結局、京都に帰られてからの親鸞聖人(60才~90歳)が全く手付かずで終りました。また、機会があればと思います。
ところで、今日は宿題をだしました。それは浄土真宗聖典註釈版について。門徒推進員さんは中央教修の際に購入された筈。でも、ほとんどホコリが被った状態の人が多いのではと思われます。

で、今日の宿題とは、この浄土真宗聖典註釈版から、本日の講義の場面である「歎異抄義後序・・流罪記録」の確認。そして、恵信尼消息(文意)から、「さかいの郷の夢告」の箇所、最後に親鸞聖人の御消息集から山伏弁円「(明法房ご往生)」箇所を探し確認する宿題でした。・・・・ともかく無事終了に感謝です。

今日は、勝手に休日

2010-10-27 23:43:36 | Weblog
今朝は、各地で冷え込んだ。真冬並みの寒気団が南下したことが原因。北海道では、本格的な積雪も。本州でも、山岳地帯では初冠雪の便りも。ニュースで、誰かが「今年は、春・秋抜きで、夏・冬のみ」と話していたが全くその通りと思う。
こうなると、じっとしておられないのが私。この間の激務(勝手に、そう思っている。)の反動にて、早朝より車で飛び出した。
しかし、今まで暖かかった為か、紅葉(こうよう)もいまいち。麓の山では紅葉(こうよう)は来週以降。それでも、真赤に色づいた目の覚めるような紅葉(もみじ)も。





車が進む林道の両側では、唐松の紅葉がきれいです。





でも、熊が恐ろしくなかなか車外には出れません。何しろ鈴鹿北部(地元の藤原町)でも熊の目撃情報が多発しています。本来、鈴鹿山脈には熊はいませんでした。昔は知りませんが。そうすると、鈴鹿北部の熊は、伊吹山系から名神高速道路を横断してはるばる来たことになります。ともかくも、熊よけの鈴を持っていない私としては車からは出られないのです。そこで、林道の側で色づいていた漆の紅葉を撮影し帰宅となりました。









歎異抄後序の流罪記録

2010-10-27 00:47:31 | Weblog
やりました。ついに一応完成。員弁組寺報第50号。第5面記事・第6面記事の原稿を書き終わりました。それこそ、一心不乱という言葉がありますが、この二日間寸暇を惜しんで書きました。第6面は、連載の親鸞紀行です。
今回のテーマは、承元の法難(建永の法難ともいう)。この弾圧事件により、法然教団は壊滅的打撃を受け、事実上崩壊した。死罪4人・流罪7人。法然上人は土佐国、親鸞聖人は越後に。1207年、親鸞聖人35歳の時であった。このような事を書いた訳ですが、その際に『歎異抄後序の流罪記録』もふれた。『歎異抄』は、親鸞聖人の直声(じきせい)が聞こえるがごとくに書かれ、古今(ここん)の名著とされ作者とされる唯円房の名前を不滅なものにしている。

しかし、後の「流罪記録」は余り注目を集めない。でも、何故最後の場面に「流罪記録」があるのだろうか・・・・現存する最古の『歎異抄』は,蓮如上人の手になる。では、蓮如上人が加筆したのであろうか。そうではあるまい。おそらくは、当初から有った筈。誰が書いたのか。やはり、唯円房であるだろう。これだけは、絶対に伝えなければならない記録として認識されていたのではないか。「無実の罪により」と書かれている。いわゆる冤罪(えんざい)に等しいデッチアゲにより死罪・流罪となり、法然団は崩壊した事件。それが、承元の法難の真実である。だから、「流罪記録」が残る事となった。一度、『歎異抄』後序に目を通して欲しい。
それにしても、慌しい一日であった。日中は、葬儀。夜は、百ケ日法要と報恩講。そして、原稿を書く。心底疲れました。

つらいです

2010-10-26 07:05:52 | Weblog
日曜日(10月24日)は、午前中はご門徒宅にての年忌法要、午後は近くのお寺の年忌法要の筈であった。年忌法要を勤めさせていただき、お寺の報恩講に出勤の為に移動直前に携帯が鳴った。ある方の死を知らせる内容。ビックリした。最近までお元気の筈。信じられず今一度聞きなおした。しかし、事実であり枕経をお願いする内容。
お寺の報恩講に出勤し、一座だけ法話を担当し、ご門徒宅に駆けつけ「枕経」を勤めた。
自坊の境内には、多数の紅葉がある。実は、今から10年ほど前にその方が植えられたもの。参詣者の目を楽しませるまでに大きく成長。枕経から帰ると、境内にはイヤでも紅葉が目に入る。そして、紅葉を植えていただいた当時の事が思い出される。いつまでも、その方は紅葉の中に・・・・・・今日、葬儀。




かなり焦っております

2010-10-24 23:14:02 | Weblog
季節は、確実に秋。あんなに猛暑・猛暑と騒いだ夏も、気がつけば秋のよそおいを深めている昨今です。その先頭を切るのが大好きなドウダンツツジ。色づきを深め、赤く紅葉してきました。



やはり、なんのかんのと言いましても自然は確実に流れていきます。しかし、確実に流れないのが人間社会。
今、私は内心かなり焦っております。しなげればならない仕事が山積みの状態。その中の一つであった『観無量寿経』のお話は、昨日無事終了しました。でも、まだまだ大きな課題をクリアーしなければなりません。
①員弁組の新聞である『員弁組寺報第50号』が全く進んでおりません。予定では、11月1日発行となるのですが、とてもとても無理の状態。6面の紙面があるのですが、今は4面の記事を書いています。今晩は、徹夜でもしなければと思いますが、気が重たい話です。しかし、遅くても11月10日には発行と考えており、今必死の作業中。合間に、このブログを書いています。
でも、11月1日2日は、「信越地方の親鸞聖人ご旧跡を巡る研修の案内」、その他もろもろの障害が立ち塞がりまして、作業の時間を確保するのが大変難しい・・・・涙・涙
②上記の新聞発行の話より一段と悲惨であるのが、11月29日の員弁組門徒推進員さんを対象とした研修会の講師。前回の「親鸞聖人のご生涯に学ぶ(前半)」を受けて、今回は「聖人の後半」の講義となるのです。具体的には、聖人の越後流罪から最後までです。年齢でいえば、聖人35歳から90歳までのご生涯。このレジメが全く手付かずの状態。はたしてレジメができるのかも疑問視されるところです。しかし、受講していただく40名近い熱心な門徒推進員さんの顔を思い浮かべますとそういう訳に行かず・・・・・
エンジンのかかりが遅い自分も、今回は最大級に焦っております。結論は、頑張るしかないのですが・・・・・
オマケのドウダンツツジ

第2回仏婦研修会が開かれました

2010-10-23 23:01:04 | Weblog
午後7時から、明源寺仏教婦人会の第2回研修会が開かれました。テーマは、『仏説観無量寿経を読む』です。講師は、私。今年は、従来の仏華講習会・香道講習会・マンガ仏事入門講習会等ではなく、真正面からの『浄土三部経』の講習会。
ですから、今までのように参加していただけるのかどうかはなはだ疑問な講習会となりました。でも、23名の方が参加です。テキストは、普段から購読を勧めている百華苑から出版の『仏事勤行聖典』(362円)。

どんな素晴らしい真理を説く経典があっても、宝の持ち腐れでは、何の意味もなしません。特に昨今はそうです。年忌法要の儀式の一つとして、なんやら坊さんが訳のわからないお経を読んでござる程度の認識。ですから、『浄土三部経』の講習会を始めました。今回は、第2回目『仏説観無量寿経』です。この経は、「王舎城の悲劇」等の劇的内容を持つ判りやすさではピカイチのお経。
一番盛り上ったのは、この部分。散善義(さんぜんぎ)という箇所。釈尊は、「今まで述べてきた精神統一よって、躍動する阿弥陀如来の世界を観察せよ。教えの通り実践しようとすれば、自分の愚かさが身にみにしみるであろう。さあ、これからは、阿弥陀如来のお姿を、自分の力ではとでも拝めそうもない、愚かな者のために、阿弥陀如来の世界に生まれる道案内をしてあげましょう」と述べられて、次のように言われた。「およそ、人には出来のよい者から、出来の悪い者に至るまで、9通りの姿がある。それに応じた修行方法があるのだ。」有名な、9品(ぼん)往生の場面である。

「皆さんは、法話を人ごとと思って聞いておられます。自分と照らし合わせて聞く事、これが基本なのです。」と私。このような言葉をよく聞く事があります。「判りやすいお話でした。でも、山門をでたら関係ありません」という話。自分を、どこかに置いておられるのです。「自分の事として聞く事、ここから始まります。そうすると今まで気がつかなかった自分の姿が見えるです」と話した事です。
次回は、仏説無量寿経です。





本堂の天井にあがりました。

2010-10-22 22:47:24 | Weblog
今日は、自坊本堂工事を担当していただく金剛組大工棟梁の土居さんが早朝より来寺。午前8時には大阪より到着。勿論、若いお弟子さん達は事前準備の為に、午前7時20分には到着。聞けば、大阪を午前5時に出発したとの事。今日の目的は、本堂天井裏の事前精密調査。棟梁を始めとして5人の大工さんがチームワークよろしくテキパキと作業。
写真は、本堂縁にて準備される土居棟梁

梯子を天井裏に通じる箇所にかけます。梯子の先を注意してください。ムシロが巻いてあります。理由を聞きますと「梯子の先端で、天井に傷をつけたらいけないから」と返事。正直にビックリしました。こんな配慮をされて天井に梯子をかけられた大工さんは初めてです。

いよいよ天井裏へ。

天井裏は、160年のチリが積もり、息苦しい程です。マスクをかけての作業。それでも、最新の器具を使用して寸法を正確に割り出していかれます。



素人の私には、縦横に太い木が組み合わさっており天井裏は複雑な構造。しかし、棟梁は金槌で所要な木材をたたいて音を聞いておられる。「何をしておられるのか」と聞ききますと、これが木材が腐っていないかどうかが判る一番の方法だそうだ。本堂南側の木材の中には、取り替えなければならない程に腐食している木材が多数あるとの事。・・・

主要な木材の中には、直径1メートル以上の丸太が幾本も使用されている。松の大木だそうだ。しかも、よくみれば今でも松脂を噴いている。つまり、160年たった今でも生きている証拠。中央の丸い点が松脂。

いかにも松を荒削りしたような松の大木。上部に、松脂が多数見える。

天井裏に登るといつも思う事がある。それは、これだけの木材が微妙に配置され本堂をもたしているのだという事実。これすべて、門徒衆の寄進の木材であり、門徒衆の勤労奉仕により本堂が建立されている事実に深く感謝・・・・・
それにしても、私が天井裏にいたのは1時間ほど。下におりましたらホコリで真っ白でした。

三河のあるお寺の新聞

2010-10-21 23:33:21 | Weblog
奄美で大災害が起っている。記録的な豪雨。この言葉は、地球温暖化のもたらす異常気象の影響で最近になり頻繁(ひんぱん)に登場するが、凄まじい豪雨である。自坊の裏は、急斜面の崖である。他人事では済まされない思いがある。せめて、これ以上の災害が起らない事を願うのみである。
この大災害の悲劇は、天災でありながら、その根本には人災がある。人類のエゴが地球環境を壊し、地球温暖化を急速にもたらしている悲劇的な側面がある。
一昨日、三河の本宗寺さんの新聞「いのち」第35号を、本宗寺のご門徒さんからいただいた。自坊とは違い、本格的なカラー印刷の新聞である。

この新聞記事の中で、なる程と思った記事があった。「ゴーギャンの問い」と題した、本宗寺の都路実道さんの文章の出だし。ご承知のように、ゴーギャンには非常に長い題名の大作がある。
「我々はどこから来たのか
我々は何者なのか
我々はどこに行くのか」
という作品名の大作。

誰しもが、心の奥深くに漠然(ばくぜん)と抱いている心の不安であるが故に、思わずドキリとする。そして、諸行無常の現実に愕然(がくぜん)とするが、根本的な解決を求める人は少なく、忙しさの中で不安感はいつのまにか消えてしまうのである。しかし、問題は決して解決された訳ではない。それどころか、自分本位の生活の中で限りなく欲望は増大し、結果として地球温暖化はますます進行するという悪循環をくり返す事となる。
やはり、解決には浄土門の祖師達・法然上人・親鸞聖人の言葉が参考になろう。キーワードは、「愚かな私」という自覚であろうと思います。「この自覚を」と阿弥陀様は常によびかけておられます。