明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

その花の名はローゼル

2011-10-31 23:15:50 | Weblog
2日前の事である。ご門徒さんから、深紅の色をした不思議な花をいただいた。名前はローゼルという。私には、初めて見る花。そして、名前である。

ハイビスカスと同じアオイ科の植物。様々な目的で東南アジアやその他の熱帯、亜熱帯で幅広く栽培されているとの事。ローゼルティーが有名で、口上では「タイでは、国賓をもってなすときにハイビスカス・ローゼルティーが出される」との事であった。
こうなると、是非とも飲んでみだいのが人情。調べてみると、深紅の「がく」と「水」を「鍋」に入れて火にかける(量の目安は水360ccにローゼル6つで2人分)。3分くらい煮出すと綺麗なピンク色が抽出され、酸味のあるローゼルティーの出来上がりだそうだ。蜂蜜を加えると更に美味しいとあった。

そんな訳で、自坊庫裡の玄関にはいただいたローゼルが写真のように花瓶に生けこんである。反応は、2通り。私と同じように「これ何という花ですか?」と聞かれるケースと、「この花はローゼルですね」とピタリといわれるケース。意外なことに、後者の方が多い。知らなかったのは自分も含めて少数派という事になる。
花は、直径10cmほど。花色は赤みがかったものとクリーム色のものがあり、いずれも中心が暗褐色になるそうだ。自坊のローゼルは、蕾から花が顔を出しつつある。どうも、赤みがかった花の可能性が大。玄関先のローゼル、やはり注目の的である。訪れた人が、異口同音になんらかの反応を示す。こんなに注目を集めるのも珍しい。

でも、私の関心はあくまで花の観賞よりもローゼルティーの方である。「花より団子」の言葉があるが、「花よりお茶」が私の心境を代弁している。一刻も早く飲んでみたい。



員弁組内のあるお寺で親鸞聖人750回大遠忌法要が・・・・・

2011-10-30 20:28:29 | Weblog
昨日もそうなのですが、ここにあげる写真は全て携帯で撮影しています。デジカメで撮影は無理ですから。
今日(10月30日)は、員弁組(いなべそ)内の徳善寺様にて蓮如上人500回遠忌法要、お稚児さんの行列、親鸞聖人750回大遠忌法要の2法要がお勤め。員弁組内でも、2~3ヶ寺が親鸞聖人750回大遠忌法要が修行されていると思いますが、私が出勤させていただくのは徳善寺様が始めて。

午前中は、蓮如上人500回遠忌法要。(自坊では、平成12年に勤めています。)その後、稚児行列の出発点である稚児宿様に移動。稚児宿では、準備万端で準備が完了していました。私の目をひいたのが屏風。禅宗の故事(おそらく禅問答)に基づいた絵が描かれていたのでしょうが、残念ながら私の能力では・・・・・到底無理。

床の間は、立派な仏華が。そして、お仏壇も作法通りに見事にお荘厳されていました。

お勤めは、讃仏偈。でも、20数人の僧侶のお勤めの声は迫力満点。写真は、お勤め直前の様子。

残念ながら、稚児行列の時間に無情の雨が降りましたが、それでも無事に本堂に練り込みました。その後、本堂にて親鸞聖人750回大遠忌法要がご修行。法要最中の写真は、一枚もありません。出勤しているのですから携帯といえども撮影できません。後は、記念法話。大勢の参詣者が聴聞されました。

内陣の役稚児の動かし方等、私にとり参考にすべき点が多々ある大法要でありました。やはり、これだけの法要になりますと御門徒の皆さんの協力体制がなりより大切です。皆さん、本当にお疲れ様でした。そして、数々のご接待本当に有難うございました。合掌。






今日は、あるお寺で仏教壮年会が誕生しました。

2011-10-29 22:34:26 | Weblog
今日(10月29日)は、自坊と同じ員弁組(いなべそ)内のお寺、浄光寺さんで仏教壮年会が誕生しました。その大切な発会式に、何故か講師でお話させていただいた。結構、これ難しいもの。教えを中心とした法話でも駄目。何故、お寺に仏教壮年会が必要なのかをお話するか、これがポイントでした。浄土真宗のお寺の本堂は、聞法(もんぽう)の道場。色々な悩みを抱えながら、社会の第一線で活躍するのは壮年期の人々。そんな人達が本堂に集まり、自分を見つめなおす事、それが仏教壮年会の大事な意義であろうと思うのです。だから、今日の法話のテーマは、「愚(ぐ)にかえりて夢をもつ」としました。うまく伝えられ、責任を果たせたのかは自信はありません。でも、20数名の方が発会式にご参加。新しい壮年会の仲間の誕生でした。
写真は、発会式をお祝いするマンドリンの演奏。マンドリンの音色は、心をゆさぶる音色です。心が洗われる音色。改めてその事を実感しました。

素敵な演奏でした。最後は、東日本大震災をきっかけに、盛んに歌われる「故郷(ふるささと)」の演奏。

20数名の皆さんの中には、駆け出しの新米教師であった頃、大変お世話になった先生、又逆に地元の高校で教えた教え子の顔もあり、ご縁の不思議さを実感しながら地元桑名の銘酒である「青雲」をおいしくいただきました。



ご縁という不思議な事?

2011-10-28 22:06:57 | Weblog
昨日(10月27日)の午後1時の事である。2人の若い男女が自坊を訪れた。男性は、私の高校教師時代の教え子。教え子と言っても、随分のご無沙汰。かすかに記憶が残っている程度。それ程のご無沙汰であった。偶然、このブログを見つけて、これを頼りに自坊を訪ねてくれた事がある。彼が、抱えていた人生の悩み等ついて浄土真宗の僧侶の立場からのアドバイスをした。その時、「また寄せてもらいます」と帰っていかれた。そして、再び今度は2人で訪れてくれた。だから、彼女とは全くの初対面。
初対面の彼女と話しでいる内に、突然自分のこころの中に、直感としか書けないのであるが「この人はお坊さんになりたいのでは」との思いが浮かんだのである。私は、一気に話した。「お坊さんになりたいのであるなら、中央仏教学院の通信制に入学し、親鸞聖人の勉強をされたらどうか?4年間勉強し、自分の気持ちが確かなものか確認したらどうか?全国には、住職がいないお寺が多数あります。そういうお寺のご門徒さんは、必死にやる気のある僧侶を探しておられます。」等の話した。初対面の若き女性に、こんな話をしたのは勿論始めて。しかも、話し出して数分という時間である。自分の直感を信じ、お話したとか書きようがありません。私でありながら私でなかったと瞬間とでもいいましょうか。直後に、我に返り「しまった。とんでもない事を話したのかもしれない」と後悔の気持ち・・・ところが、そうではなかったのである。
彼女は、「彼から、このお寺の話を聞いて是非来たかった。今まで誰にも話していない事があります。ここに、来れば全て話せると思って来ました。私は、今までに人生で非常に苦しい体験をしてきました。とことん苦しんだ時、そうだ仏様に全てをあずけたらよいとの思いが起こり、自分の気持ちが軽くなり、今まで歩む事ができました。今度は、自分が救われた喜びを伝えたい。それが私の使命であると思っています。この思いを話したかったのです。ですが、何も話さないのに住職からお坊さんの話をされました。余りの偶然に驚いています」等の話をされたのです。
今度は、こちらの方がビックリ。私であって私でない私が、彼女に仏の道に進む事をすすめられたとしか書きようがないのです。不思議・不可説・不可思議なご縁です。私も、自分のできるかぎりの応援をしていきたいと思っています。自分の人生の苦しみの中から、見出だされた一本の道。この道を生涯かけて歩んでいただきたいと思います。
写真は、お2人からいただいたワインです。夢が実現した時に飲みましょう。それまで、大切に預からせていただきます。


本堂修復工事・・・10月27日(それぞれの仕事)

2011-10-27 23:41:25 | Weblog
今日は、本堂修復工事が三箇所で同時並行で行われた。一箇所は、本堂縁部分の斗組(ますぐみ)。朝から、真新しい桁(けた)が人力であげられていく。これは、当初の計画外。企画書では、従来の物を使用する予定であった。しかし、これでは駄目という事で、真新しい桁を使用する事に。
桁が人力で上げられていく。

本堂内縁(うちえん)斗組の基本線になる桁の設置。そして、斗組の修正。地道な根気のいる作業である。でも、この作業があって斗組が全て創建当初の姿に再現されていく。

そして、狭い空間にての写真。

二箇所目は、本堂北側の破風板に懸魚(げぎょ)の設置工事。懸魚(げぎょ)は、本堂破風板のシンボルの妻飾りのひとつ。調べて見ると、懸魚は火に弱い木造寺院を火災から守るため、水に縁のある魚の形をした飾りを屋根に懸けたのがが始まりと考えられている。とにかく、高所の作業。そして、滑りやすく危険な作業。
完成した懸魚(げぎょ)。

懸魚(げぎょ)の拡大。改めて大きさと見事さが判ります。大工さん渾身の作。

そして、写真。

三箇所目が、瓦屋さん。いよいよ瓦屋さんが来ていただきました。勿論、今日はその準備作業のため。写真は、従来のブルーシート(臨時の防水対策用)を外す作業。この上に、防水を施したシートを張っていかれます。



いよいよ本堂工事も作業される皆さんのお陰で佳境に入ってきました。有難い事です。




自然薯(山芋)の巻・・・・・秋の味覚の王者登場

2011-10-27 08:08:29 | Weblog
昨日(10月26日)の夕方、ご門徒から自然薯(じねんじょ)を頂いた。この自然薯、長さが1m50cm以上はある立派なもの。なかなか手に入るものではない。

昨今は山が荒れて、自然薯(じねんじょ)も掘ることが難しくなった。これ程の王者級になるといくら斜面で掘るとはいえ、自然薯(じねんじょ)を折らずにとろうとすれば、穴の深さは2m弱ともなり3時間はゆうにかかる。それをいただいた。名人ともなれば、秘伝の場所があり決して人には口外しない。山好きの私がいくら聞いても、そればかりはごめんと教えてもらえなかった。太さも10cm程はある。まさに王者級。それをいただいた事になる。

自然薯(じねんじょ)掘りには、ある思い出がある。若き時代、某高等学校に勤務していた。若手の教師5人程で自然薯(じねんじょ)掘りに行こうという事になり、約束の日一斉に腹痛を起こし、一同揃って自然薯(じねんじょ)掘りに出かけた。予定してた場所が、イノシシにやられており成果はさっぱりであった。しかも、その日のうちに校長さんにばれ、さんざん絞られた。30年程前の苦い楽しい思い出である。
自然薯(じねんじょ)は、秋の山の味覚の王者である。だから、縄文時代から日本列島に住む住民にとっては無くてはならない貴重な一品。一般的に、「とろろ汁」にしていただくが、その効能は「新陳代謝を活発にする」・「滋養強壮や疲労回復に」・「便秘に・・・大腸がんの予防等」・「糖尿病に」と栄養価は極めて高い。その為か、江戸時代には次のような記録がある。貝原益軒(かいばらえきけん)の「益軒十訓」の一つ「養正訓」で、とろろで精力がつきすぎ、世の男女関係が乱れるのを心配したくだりがあるほか、井原西鶴(いはらさいかく)の「好色一代男」にも主人公の世之介が精力源としてとろろいもを利用した記述がある。だから、漢方薬としても用いられてきた。
さて、自然薯(じねんじょ)とくれば、零余子(むかご)を忘れる事は失礼である。葉の付け根の部分が養分を貯えて、小指の先ほどの球状になったものです。

暗褐色をしていて、そのまま食用にしたり、種芋につかったりする。10~12月頃収穫されます。

本来、この零余子(むかご)が自然と地面に落ち、条件(縁)が整えば自然薯(じねんじょ)となる。その確率たるや微々たるもの。こんな所にも、縁起の法則である。その事に思いを抱き、自然薯(じねんじょ)はいただく事が大切である。




金子みすずと仏教「大法輪10月号」・・・・続編

2011-10-25 22:19:54 | Weblog
「金子みすず」を代表する詩といえば、小学校の教科書にも書かれている『私と小鳥と鈴と』であろう事は誰も異存ないと思われます。
「私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに、地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のやうに、たくさん唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
ひとりひとりが主役なのです。この赤文字の箇所は、まさに「金子みすず」を代表する言葉です。お釈迦様を例に取るまでもなく、結局仏教とはこの事を教える宗教であると思うのです。今の日本では見過ごされやすいのですが、「金子みすず」の詩には「仏様」についての詩が非常に多い事です。(写真は、長門市のホームページより記念館の写真を複写)

例えば、「お仏壇」の詩があります。
「朝と晩とにおばあさま、いつもおあかりあげるのよ。なかはすっかり黄金だから、御殿のように、かがやくの。朝と晩とに忘れずに、私もお礼をあげるのよ。そしてそのとき思うのよ。いちにち忘れていたことを、忘れていても、仏様、いつもみていてくださるの」。これなんかは、浄土真宗の教えそのものです。この言葉「忘れていても、仏様、いつもみていてくださるの」は、余程教えを聞かない事にはなかなかか出てきません。私には、とても法話の中ではこんなに逆説的にお話する事はできません。しかも、平易で美しく清い表現でありながら、なぜか不思議な奥深い世界に導かれていきます。故に、読む者をして心打たれるのでありましょう。(写真は、上記の同様です。みすず通りを複写)

この豊かな感受性は、どこから生まれてきたのでしょうか?それは、仙崎という土地柄であると思います。(写真は、上記と同様)

仙崎は、浄土真宗の盛んな土地と思われます。上記の「お仏壇」の詩にあるように、浄土真宗本願寺派のお仏壇は、金ぴかのお仏壇。これは、極楽浄土の荘厳を表しています。お婆さんは、熱心な真宗門徒であった筈。朝夕、必ずお勤めをされたのでしょう。おあかりをつけると書かれています。これは、灯明の事。一昔前までは、真宗門徒の家では、朝夕とお勤めをされました。このことは、生活がお仏壇、つまり「阿弥陀様」を中心に展開していた事を意味します。「もったいない。ありがとう。おかげさま。いただきます。ごくそうさま。」等の言葉は,ここに始めて本来の意味をもちます。「金子みすず」の詩を貫くものは、このような心であると強く思う事です。このような宗教的情感があってこその詩であると思う事です
現代においては、残念ながら「金子みすず」の詩は誰も作れないだろうと思います。なぜならば、宗教的情感が失われたのが現代社会であるから。



72000人 本堂工事報告(10月22日~25日)

2011-10-25 12:00:49 | Weblog
金剛組の大工さん、日曜日返上での仕事が続いています。でも、肝心の私が土日は法要が入り、申し訳ないのですが写真撮影ができませんから、余り写真がないのです。それでも、ポイントは撮影している積もりです。
10月22日(本堂向拝の野地垂木の工事)

10月23日
(本堂小屋組最上部の登裏合?の設置工事)危険な仕事です。見ていてもハラハラします。



本堂向拝の正面の野地板は完成。段々と本堂屋根のラインが出てきました。嬉しい限りです。

10月24日
小屋組からの降り棟の野地板はどうするのか?やはり、技術ですね。きちっと張っていかれます。

一番感動したのは,この写真。おが屑を、大型の掃除機で吸い取っておられるのです。聞けば、おが屑が雨等により濡れた状態のままでは痛みやすいとの事。だから、野地板をはるまえに丁寧におが屑を取り除いておられるのです。目立たない作業ですが、地道な作業をこなされる事に感動を覚えました。



下の写真は、私が最上部の足場にあがり撮影したもの。高所での作業であるのか判ります。

10月25日
午前10時から、金剛組の中部支店長さん等との打ち合わせがありました。話あいは無事終了。記念写真です。

ブログの訪問者が、本日で72000人(正確には、72182人)を超えていました。いつも訪問していただきありがとうございます。







お猿の運動会

2011-10-24 14:59:27 | Weblog
今日(10月24日)、午前11時過ぎ裏庭が何やら騒がしい。見れば、お猿さんのお出まし。可愛いお猿さんの軍団。裏庭に面した自分の部屋から撮影。
一匹の小猿が現れた。

フェンスの上に登ってご観察。

何かを見つけて駆け下りた。

目的は、隣にある南天の実。フェンスに戻って食べだした。

そこに親友が登場。

お互いに親友のあかしである毛つくろい。



ところが、怪しげなムードに。

親猿を見習い・・・・飛び乗った

でも、うまくいかずに苦笑い。

小猿が、数頭出現。屋根の上で押し競饅頭が始まった。そして、鬼ごっこ。

忍者よろしく岩に変身の積もり。

そして、お猿さんたちは遊びつかれてお山に帰っていった。



金子みすずと仏教「大法輪10月号」

2011-10-22 22:12:24 | Weblog
今から、丁度5年前である。教員を退職して2年目の春(2008年5月19日~21日)、山口県津和野・萩・秋吉台・仙崎を旅した。この旅は、萩の端坊(はしのぼう)様を訪ねる事が最大の目的。最終日に、仙崎を訪れた。仙崎といえば、「金子みすず」の生誕地である。この地の「金子みすず記念館」を訪問。大勢の人が訪れていた記憶がある。その時に、沢山の本に中から2冊の本を購入。
『金子みすず いのちのうた 1・2』である。1は、浄土真宗編 2は、日蓮宗編
JULA出版局より定価1000円+消費税で出版されている。

今も「金子みすず」がブームである。この大ブームの背景には、3月11日の東日本大震災があるという。それだからであろうか月刊の総合仏教雑誌「大法輪」も、10月号は「金子みすずと仏教」の特集。おそらく、このブログの訪問者の皆さんの中にも、もう「大法輪」10月号を読まれた方もおられるに違いない。そうであって欲しいと願っているのだが・・・・・一般書店でも販売されている仏教雑誌。

「金子みすず」は、童謡詩人。そして、仏教詩人。仙崎は、浄土真宗の盛んな特柄。だから、親鸞聖人の他力の教えを色濃く受けた仏教詩人。その真髄を、平易な言葉で見事に詠っている。そこには、親鸞聖人の歎異抄にも匹敵する逆説の発想が脈打っている事に気がつく筈。この10月号には、「信仰の詩」と題して、中村薫先生が「お仏壇とみすず」について書いておられる(101頁~104頁)。この文章が素晴らしく良いのです。
金子みすずの「やさしい仏様」という詩を紹介しておられます。

家には、お庭はないけれど、
お仏壇にはいつだって、
きれいな花が咲いてるの。
それで家中あかるいの。

そして、やさしい仏様
それも私にくださるの。
だけどこぼれた花びらを
踏んだりしてはいけないの。