明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

沙羅双樹の花に思う・・・

2013-06-29 00:41:28 | Weblog
パソコンの置いてある部屋の正面に沙羅双樹(夏つばき)の木があります。今が満開。

でも、この沙羅双樹の花はご承知の通り仏教説話を持つ花。お釈迦様が、インドのクシナガラの娑羅の林で入滅(=死去)したとき、釈迦の入滅を悲しみ、双樹の各一本ずつが枯れ、鶴(つる)のように白くなってお釈迦の死の床を覆ったという。
この事により、この世の無常を説くたとえに昔から用いられる花です。「平家物語」の冒頭「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」は、無常感を詠った余りにも有名な言葉。(現代訳・・娑羅双樹の花の色が一瞬のうちに変わったことは、勢いの盛んな者も必ず衰える道理をあらわす。)

6月26日深夜、電話が鳴った。親戚住職の急死を知らす電話。4月14日の自坊二法要にも出勤してくれた住職。本堂工事中には、陣中見舞いにも立ち寄ってもくれました。諸行無常・盛者必衰の理(ことわり)と言うものの、我が耳を疑うとはこの事です。
聞けば、2年前から病魔に襲われていたといいます。ですから、病魔を押して出勤してくれた事になります。そんな素振りは微塵もなし。真宗高田派宗議会副議長の要職。聞けば聞くほどに、最後の最後まで住職として念仏者として常に全力投球。73歳の生涯。

しかし、4月14日の別れに際して一滴の涙を流されました。今から思えば、最後の惜別の涙。自分のうかつさが悔やまれてなりません。




親戚のお寺にて

2013-06-27 10:10:44 | Weblog
昨日、親戚のお寺に行きました。

理由は、ただ一つです。自坊が「親鸞聖人750回大遠忌法要」等をどのように取り組んだのかの説明です。勿論、親戚のご住職ですから4月14日の自坊法要には出勤されています。自坊法要で、何かを感じていただいたらしく、「役員さんを集めるからよろしく頼む」とのご依頼。そこで、午後2時からの説明会。

出来立てホヤホヤの二法要のDVDを上映しながらの説明となりました。確かに、法要の形式はDVDをご覧いただければ一目瞭然ですが、大切な事は組織論と取組みの方法論です。日頃がなにより大切。「ローマは一日にして成らず」です。

親戚寺院のご住職は、私の従兄弟にあたります。そして、この従兄弟から私自身が深く学ぶ事があるのです。彼は、本堂の縁を毎日雑巾掛け。どんな時でもです。ですから、このお寺の本堂の縁はいつもピカピカ。塵一つ落ちていません。この姿勢は、住職としてはご門徒をお迎えするにあたり当然の行為なのですが、これがなかなか出来ないのです。ともすると、本堂の縁に足跡がつく場合が・・・・・いくら口で、有難い話を話しても、本堂の縁に足跡がついては、「御恩報謝のお念仏」とはとても申せません。それは、単に口先だけのお念仏。ご門徒の皆さんも、住職の姿勢をしっかりと見ておられるのです。
私も、努力はしているのですがなかなか従兄弟のようには参りません。そのような従兄弟が率いるご門徒の皆さんですから、この説明会も終了は午後5時近くとなりました。質疑応答でも、質問が数多くでました。素晴らしい法要となる事を願うものです。



明源寺・福島復興支援絆の旅(6月2日~4日)・・・・⑭最終回 夕日篇

2013-06-26 04:32:41 | Weblog
JRにトワイライトエクスプレスという夜行寝台特急があります。大阪と札幌を結ぶ大人気の寝台特急。なかなか個人では、切符が取れませんからその人気ぶりが判ります。私も、2度だけ乗車した事があります。札幌にて、高体連スキー専門部の会議があり、その帰路に一度、往路に一度です。何れも当時の日本交通公社(JTB)に無理をお願いして乗車しました。何といっても日本海に沈む夕日が売り物。その美しさ、荘厳さ、華麗さは言葉にはできません。
ただ、札幌発の場合は、列車が日本海に出るまでに夕日は沈んでしまいますから注意が必要。ですから、日本海に沈む夕日を見ようと思えば、大阪発に乗車する必要があります。確か、富山県と新潟県の県境付近で、天気に恵まれれば素晴らしい夕日ご覧いただける事となります。
そして、一言付け加えればトワイライトエクスピレスは、一人で乗車するものではありません。団体さんか、シニアのカップルが、若いカッピルが大半。特に、カップルに埋め尽くされた号車にあたろうものなら、一人旅は悲惨の一語。つくづくそのように思いました。持ち込んだ本を読む以外はないのですから・・・・・・
さて、旅の最終日の6月4日、私達を乗せたバスは北陸道にてひたすら南下。その帰路の最中、偶然にも日本海に沈む荘厳な夕日を見る事ができたのです。日本海に一条の光が走り、真っ赤に染めて沈んでいく夕日の素晴らしさ、これは譬えようがありません。
撮影場所は、北陸自動車道の徳光付近から美川付近です。この区間は、自動車道と日本海が平行している区間。たまたま、私達を乗せたバスが、この区間を走っていたのです。何という偶然でしょうか?何という僥倖でしょうか?ドンピシャのタイミングだったのです。場所・気候条件・時間という3要素が揃わないことには、決して見ることができないのです。
6月4日
19:00分・・日本海に一条の光が出現

10:03分・・・光の帯はますます鮮明に。そして、日本海周辺が次第に黄金色に輝いてきました。


拡大バージョン

日本海に沈む夕日。この荘厳さはのなかに、西方極楽浄土を夢見てもおかしくはありません。親鸞聖人も、越後流罪により、この夕日をご覧になられた筈です。聖人のご書物のなかに「海」という表現が多数使われている事も理解できる気がします。「本願海」・「大信海」等です。私の達帰るべき故郷である本願の海、浄土の世界はまさしく光輝く光明の世界なのです。
一ヶ月近く連載しました、このシリーズは以上で終了となります。暫くすれば新シリーズが始まります。

明源寺・福島復興支援絆の旅(6月2日~4日)・・・・⑬会津の酒蔵篇

2013-06-25 04:56:39 | Weblog
6月4日、「大河ドラマ館」を見学しいよいよ帰路につくことになりました。帰りは、会津若松から磐越道⇒新潟経由⇒北陸道にてひたすら帰るというコース。皆さんの集合を待っている時です。「ごえんさん、新潟県の新井パーキングに寄るのですか?あそこで新潟の美味しいお酒を買いたいのですが?」との質問。「今回は、上越道経由ではなく北陸道を帰りますから無理。」と私。「楽しみにしていたのですが。残念です。」とすこぶる無念の表情。そこで提案。「それならば、この会津若松にて酒造店に寄りましょう。ここ会津も沢山の酒蔵がある筈です」という訳で、添乗員さんにご無理をお願いして会津の酒蔵を探していただく事になりました。
そして、訪れたのが宮泉酒造店さん。

この酒造店さんの横には、会津戦争終結の地と書かれた案内板がありました。この場所で、降伏調印式が行われたという趣旨の案内板。

お店の暖簾(のれん)を潜るやいなや酒蔵独特の香りが漂ってきます。陳列棚には、各種のお酒。

そして、お漬物が所狭しと並べられています。

皆さん、ご用意いただいた試飲のお酒に殺到・・・・

お店の店員さんも、会計に大忙し。皆さん、ここぞとばかりにお酒を購入。まさに購買意欲が爆発したようなもの。一輪車では、運べないほどのお酒とお漬物を購入された方も。これぞ復興支援です。

ほろ酔い機嫌で、三々五々とバスが待つ駐車場へ。手には、お土産のお酒が・・・

やはり、自坊の研修旅行の締めくくりは酒蔵巡りが欠かせないようです。それにしても、宮泉酒造さんもビックリ仰天の訪問。そして、感謝状を頂戴しても罰(ばち)はあたらない程の購買意欲であった筈です。
続く・・・・最終回

二法要(4月14日)修行の公式DVD・・・残部少々

2013-06-24 10:33:40 | Weblog
自坊の総力を結集して修行いたしました二法要「親鸞聖人750回大遠忌法要・本堂修復慶讃法要」を記録した公式DVDが完成し、6月20日に50部納めていただきました。

4月13日の門信徒の集いから4月14日の二法要の終了までを、カメラ3台にて克明に記録したもの。製作は、自坊のご門徒でもあるサンアリックスさん。上下2巻で、上映時間は2時間30分です。

このDVDを、自坊新聞の聞法「第111号」で紹介しましたところ、6月24日現在で43部をお求めいただきました。残部少々です。特徴的な事は、お寺さんが参考にしたいからと求められたケースが3部あります。何れにしましても、残部は7部となりました。これはイカンとブログで急遽紹介。尚、懇志として1000円を頂戴しています。


明源寺・福島復興支援絆の旅(6月2日~4日)・・・・⑫「八重のさくら=大河ドラマ館」記念館篇

2013-06-23 15:04:21 | Weblog
大河ドラマ「八重の桜」も、今日は「白虎隊出陣」。来週は、恐らくや会津若松城を巡る攻防戦。大河ドラマの前半線の山場を迎えようとしています。
そこで、ブログも6月4日の「大河ドラマ館」に焦点を当てます。
6月4日(火曜日)にもかかわらず駐車場には、大型バスが数台駐車していました。
「大河ドラマ館」。

「大河ドラマ館」入口に置かれた、イギリス製アームストロング砲。新政府軍が、この新兵器にて城内に砲弾の雨を降らしたと言われています。最大射程距離は、3000メートルを越え、会津若松城(鶴ヶ城)から1500メートル離れた小田山に備えて、場内に打ち込んだといわれています。場内に立て篭もった女性達は、爆発寸前の砲弾に水をかけて爆発を未然に防ぐ仕事に従事。文字通りの「いのちがけ」。

迎え撃つ会津藩が使用した「4斤山砲」。この山砲は、幕府が1864年にフランスから輸入したもの。大河ドラマでも登場しています。最大射程距離が、2600メートル。

会場入口には、例のポスターが貼られていました。気になる点がありました。主演の綾瀬はるかさんが凛々しく構えるスペンサー銃の先端に、ご本人のサインなのか落書きなのか不明の字体あり・・・・私には落書きと見えたのですが・・

八重は、北出丸よりスペンサー銃(最新の連発銃)で侵入した新政府軍に銃弾の雨を降らしたと記録されています。その射撃術は見事な程であり、しかも新政府軍の指揮官を狙った巧妙な射撃。
下図の城見取り図の上の廓(くるわ)が北出丸。

会津若松城の象徴である天守閣部分(今回は、時間が足りずに城内の見学は出来ませんでしたが、2009年7月6日に訪れた際の写真を)

ドラマ館の内部は、撮影禁止の部分が多く肝心なところが紹介できません。でも、ここは「ドラマ館」のなかでも、圧巻の場所。

よく見ていただくと、写真の人物は私。この場所に立つと、スクリーンに自分の姿が映し出され、会津若松城攻防戦を体験できるようになっているのです。足もとには、紹介した四斤山砲があります。大河ドラマでは、この城壁の壊れた箇所からスペンサー銃を撃つ、綾瀬はるかさんの雄姿が放映される筈なのです。
しかし、同行の皆さんは何故か足早に素通り。カラクリをよく理解できないまま・・
で、どこに向かわれたのか?そうです。「八重の桜」の売店でした。そこは、「八重の桜」記念グッツで溢れ返っていました。皆さんの購買意欲の凄い事。考えれば、旅の最終日です。今まで押さえてきた購買意欲がいよいよ本領発揮という事でしょうか?
続く・・・・・購買意欲が最高潮の巻


いよいよ明日(6月23日)、「八重のさくら」は「白虎隊出陣」が放映・・でも、ブログは「ほめ過ぎ」の巻

2013-06-22 23:32:16 | Weblog
見出しのごとく、明日(6月23日)の大河「八重のさくら」は「白虎隊出陣」。ですから、このブログも⑫「明源寺・福島復興支援絆の旅」会津若松城「八重のさくら記念館」の巻を書くべきなのですが・・・・・・その前に「ほめ過ぎの巻」
一昨日の事、地元の仏壇屋さんにお蝋燭を買うために立ち寄りました。お店のご主人が、「ごえんさん、ごえんさん、ここここここを一寸見てください」と手招き。この仏壇屋さんは、4月14日の二法要午後の部、「親鸞聖人750回大遠忌法要」に使用する金蝋燭の製作をお願いしたお店。苦心惨憺の末に、見事な金蝋燭を納めていただきました。そこで、この金蝋燭が燃えている写真(A4)を御礼の意味で差し上げたのです。その写真が、お店の一角に飾ってあったのです。・・・・ビックリです。
ただ、金蝋燭のみが燃え上がる写真はありませんから、息子が礼盤の下で作法を行っている場面の写真。
展示用のお仏壇下に、問題の写真は置かれていました。携帯にての撮影で、不鮮明なのですが。

お店のご主人の説明によれば、お店に来られたお客さんが写真をご覧になり「この写真は、どういう写真なのですか?」とのよく質問されるそうです。そこで、「この写真は、明源寺さんの親鸞聖人750回大遠忌法要の写真。お参りも物凄い人数で、非常に格調高い素晴らしい法要。中央の人物が若さん。若さんが導師で頑張っておられました」と説明しているとの話。ほめ過ぎとは判っているのですが、何事もほめていただく事は何より嬉しいものです。当分、ここに置いておくとの話です。この写真を、目撃される機会があるかも知れません。

祝 150000人 菩提樹の花の香りに包まれて第15回定例法座

2013-06-21 00:55:15 | Weblog
今日(6月20日)は、第15回定例法座。普通なら生憎の雨のなかでと書くところなのですが、昨日から降り続く雨はやはり恵みの雨。そうは言いましても、参詣の皆さんは若干少なめの14名。

法座の最中です。どなたかの携帯電話がなりました。後で、お話を聞きますと意外なお話でした。電話の主は、遠く離れたところに嫁がれておられる娘さんからの電話。自坊のブログを毎日ご覧になっておられるとの事で、お母さんに「菩提樹の花できれいなの。香りはそんなに甘い香りなの」との電話。そこで、お母さんは「丁度、今はお寺のお参りにきているところ。」と答えられたとの事です。

遠く離れた地で、故郷を思いだしながらブログをご覧になられる娘さん。何か胸が「キュン」としめつけられるお話です。今日の今日まで、娘さんがブログをご覧になっているとは全く知りませんでした。それにしても、恐ろしい程の偶然です。故郷を思い、母を思う心の一念がこのような偶然を生んだのでしょう。
このブログも、今日アクセス人数が150000人(正確には、150149人)を突破しました。特に今週は、アクセスが多く一日平均150名から170名の皆さんが訪問されています。菩提樹の話なのでしょうか?それとも連載している「福島復興支援絆の旅」の影響なのでしょうか?
このブログを、本格的に始めたのは2008年(平成20年)12月17日から。5年も経過しないのに上記のアクセス人数です。本当に有難い事です。アクセスしていただく一人一人の皆さんに心より感謝申し上げます。
法座が始まる直前ですが、20名近い菩提樹見学の方が次々と来られました。しかし、法座優先となりますので満足なご接待ができませんでした。申し訳なく思います。
写真は、法座修了後に菩提樹の花の落下を見学される皆さん。文字通り菩提樹の香りに包まれての法座でした。

さて、法座の中味ですが4月からは「蓮如さんのお心と御文の世界」で法話しています。今日は、五帖目第11通の「御正忌の章」よりずばり真宗信心の要(かなめ)のお話。
蓮如さんは言われます。「それ人間に流布してみな人のこころえたるとほりは、なにの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。」(浄土真宗聖典註釈版1197頁)。つまり、世間ではただ「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と念仏すれば極楽浄土に生まれるように思われているが、それは大間違いであるといわれているのです。
真宗僧侶が、「お念仏申しましょう。そうすればお浄土にいけます。」というだけであればそれは詐欺に等しい行為なのです。理由は、自分勝手は「自力の念仏」となるからです。自力の念仏とは、「それはあれもたのもう。これもたのもう。おれはこんだけしたから」の祈願請求の念仏だからです。勿論、最初はこれからです。しかし、この祈願請求のお念仏から御恩報謝(感謝)のお念仏に変わる瞬間がなければならないのです。この劇的変化は、「南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて」(浄土真宗聖典註釈版1197頁)と書かれています。つまり、何ゆえに阿弥陀様が大いなる願い(本願)=南無阿弥陀仏を建てられたのかを知る事。そして、それは私のために建てられた願いであったと納得する事なのです。このように受け止めますと「南無阿弥陀仏が、自分の念仏ではなく弥陀の呼び声」として聞こえてくるのです。これを「信心決定(しんじんけつじょう)」と申します。これが「他力の念仏」。このような人が、必ずお浄土に往生されるのです。このようなお話をしました。皆さん、最後は納得の表情。
でも、このブログを読まれただけでは疑問のみが大きくなるばかりの筈。そうなのです。浄土真宗は修行はありません。でも、聞くという事があります。元気なうちに聞く以外はないのです。聞いて聞いて聞きぬく以外はないのです。これが浄土真宗版の修行なのです。

菩提樹の花満開・・・・大慌て

2013-06-19 23:53:07 | Weblog
今、朝の勤行の為に本堂に入りますと、本堂の中でも菩提樹の花の香りがします。それ程に、菩提樹の花が一気に満開。そうです。待望の雨です。乾ききった大地に降る雨。この雨をエネルギーに一気に開花。そして、雨が降るが如くに菩提樹の花も落下。黄色い絨毯を敷き詰めたような幻想的な風景が出現。

これにビックリされたのが、毎年菩提樹の花を楽しみにされている皆さん。17日のブログにて花の開花宣言を見られ、大慌てで見学に来られる皆さんが・・・・
皆さんは、例年の20日~25日を予想。一週間ほど早くなったのです。こちらも、「菩提樹が開花したら連絡してね」の予約の皆さんに連絡する慌しさ・・・・
いつもの皆さんも、今日午前に大挙来訪されました。
足元に注目・・・花の落下で黄色い絨毯が引き詰められようとしています。

そして、本堂内で二法要(4月14日)の写真を。皆さん、二法要にお参りされていたです。本当に有難い事だと思います。でも、700枚以上から探していただくのは至難の技。有りました。有りました。笑顔で聴聞されている姿がバッチリと撮影されています。二法要の話題で、ひとしきり花が咲きました。これが大事です。本堂にて、笑顔のないお寺程興ざめたお寺はありません。

その後、子供連れの若いご夫婦が来寺。

ご主人は、自坊の「子供の報恩講」の卒業生。ご主人曰く・・・菩提樹の花の香りは「ひっとかしたら阿弥陀さんの香りなのかもしれませんね」。この発想には驚愕(きょうがく)しました。言われてみれば、どんな時でも私達を包みこんでいただく阿弥陀さんの大悲の願い。菩提樹の花の甘い香りは、「仏様の香り」なのかも知れません。

明源寺・福島復興支援絆の旅(6月2日~4日)・・・・⑪白虎隊番外編・・白虎刀の巻き篇

2013-06-19 18:22:33 | Weblog
この眩しい輝きを放つ刀は、名刀の白虎刀の輝き・・・・・?

実は、私達が飯盛山に登っている最中、母親は足が痛いという事でトラゾウさんで大休憩。暇に任せて、孫の土産にと購入したのが下の会津白虎刀。孫といっても、今年からビハーラ本願寺に奉職させていただいている大人。

これ会津白虎刀は、飯盛山山麓の土産物屋さんが誇る一番の売れ筋。今年は、「八重の桜」人気で、八重が持つスペンサー銃の模型(銃弾ならぬ輪ゴムを連発で放つ優れ物)が売れ筋だそうですが・・・・
観光土産の会津白虎刀ですから、鞘(さや)を抜けば竹でできた刀。いわゆる竹光(たけみつ)もどきの玩具。

母親は、中味を確認せずに購入。てっきりペーパーナイフの積もりで購入したらしい。困ったのが息子。いくら祖母の土産とはいえ、竹光の会津白虎刀では使い道も無し。そこで、この会津白虎刀は書院の陳列棚に置かれることになりました。おそらく、「何故ここに玩具が」と皆さん首を傾げる事は受けあいです。まことにこれ、由緒正しき会津白虎刀なのです。