明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

第2回仏婦研修会が開かれました

2010-10-23 23:01:04 | Weblog
午後7時から、明源寺仏教婦人会の第2回研修会が開かれました。テーマは、『仏説観無量寿経を読む』です。講師は、私。今年は、従来の仏華講習会・香道講習会・マンガ仏事入門講習会等ではなく、真正面からの『浄土三部経』の講習会。
ですから、今までのように参加していただけるのかどうかはなはだ疑問な講習会となりました。でも、23名の方が参加です。テキストは、普段から購読を勧めている百華苑から出版の『仏事勤行聖典』(362円)。

どんな素晴らしい真理を説く経典があっても、宝の持ち腐れでは、何の意味もなしません。特に昨今はそうです。年忌法要の儀式の一つとして、なんやら坊さんが訳のわからないお経を読んでござる程度の認識。ですから、『浄土三部経』の講習会を始めました。今回は、第2回目『仏説観無量寿経』です。この経は、「王舎城の悲劇」等の劇的内容を持つ判りやすさではピカイチのお経。
一番盛り上ったのは、この部分。散善義(さんぜんぎ)という箇所。釈尊は、「今まで述べてきた精神統一よって、躍動する阿弥陀如来の世界を観察せよ。教えの通り実践しようとすれば、自分の愚かさが身にみにしみるであろう。さあ、これからは、阿弥陀如来のお姿を、自分の力ではとでも拝めそうもない、愚かな者のために、阿弥陀如来の世界に生まれる道案内をしてあげましょう」と述べられて、次のように言われた。「およそ、人には出来のよい者から、出来の悪い者に至るまで、9通りの姿がある。それに応じた修行方法があるのだ。」有名な、9品(ぼん)往生の場面である。

「皆さんは、法話を人ごとと思って聞いておられます。自分と照らし合わせて聞く事、これが基本なのです。」と私。このような言葉をよく聞く事があります。「判りやすいお話でした。でも、山門をでたら関係ありません」という話。自分を、どこかに置いておられるのです。「自分の事として聞く事、ここから始まります。そうすると今まで気がつかなかった自分の姿が見えるです」と話した事です。
次回は、仏説無量寿経です。