明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

木札(きふだ)があがりました

2013-02-27 09:32:15 | Weblog
昨日(2月26日)は、久しぶりに暖かさが戻りました。東北地方では、記録的な大雪となっていますし、自坊の地元(藤原町東禅寺)も雪は少ないものの冷え込みは例年以上に厳しい毎日です。
でも、昨日は小春日和を思わせる暖かさ。この暖かさに誘われて、門徒総代さんと共に準備してありました木札の一部をあげました。この木札は、有縁の門信徒の皆さんから寄せていただいた本堂修復懇志です。いよいよ4月14日の二法要も目前となり、披露を兼ねて・・・

この木札一枚一枚は、経済状況極めて厳しいなかで、有縁の門信徒の皆様から頂戴した尊い浄財です。この事を肝にめいじて4月14日の二法要「親鸞聖人750回大遠忌法要・本堂修復慶讃法要」を修行させていただきます。

135000人 見ざる・言わざる・聞かざる

2013-02-26 00:34:36 | Weblog
昨日の女の子達と正反対なのが、上記の言葉。「見ざる・言わざる・聞かざる」です。
写真は、岐阜県中津川市下野庚申(こうしん)堂にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿像。なかなか良くできています。何となく愛嬌満天でしげしげと見つめていました。

でも、元教師の立場・現役真宗僧侶の立場から言いますと、一番始末の悪い言葉でもあります。この言葉が、学校現場・職場での「イジメ」の最大の元凶。「見ざる・言わざる・聞かざる」は、「自分可愛さ」と説きます。誰しも、自分が一番可愛いのですが、この言葉の雰囲気が現場に蔓延しますと、非常に危険度大。教師は、全く気づくことなく陰湿な「イジメ」が横行する事ともなります。だから、一番安全運転の言葉でもあります。
上記の言葉と真逆なのが「知ってござる。聞いてござる。見てござる」の言葉。この言葉は、幼き頃に聞いた言葉。誰の言葉であるのか?この言葉は、阿弥陀様を説明するのに盛んに使われたそうです。この言葉、簡単に書けば「正直者であれ」という言葉。この精神を頂いて江戸期に大活躍したのが、近江商人でした。今一度、社会を覆おう暗雲の元凶、「見ざる・言わざる・聞かざる」の状況から脱却するために、近江商人の言葉に学ぶ必要があると思うのですが・・・・・
このブログの訪問者が135000人(正確には、135147人)を超えていました。いつも訪問していただき有難うございます。

お稚児さんの申込

2013-02-25 00:48:04 | Weblog
雪の降る中、お稚児さんの申込がありました。○○高校時代の教え子達です。当時から元気一杯の女の子達でした。卒業後12年経っていますが、ご覧のとおり相変わらずの元気印。昔話に、花が咲きました。

実は、この2人は○○高校アルペンスキー部に所属。私が顧問という関係。当時を振り返りますと、とにかく枠には絶対はまらない女の子でした。冬季インターハイが、新潟県の妙好高原赤倉スキー場で行われた際には、選手でもないのに2人でJRを乗り継ぎ三重県選手団の宿舎へ。勿論、学校は自主休校。来たものはしかたがないと、しばらく滞在。スキーを満喫して帰っていきました。彼女達にとって、青春時代は悔いなしです。
そんな女の子達も、結婚して家庭を築いています。そして、お稚児さんの申込です。教師名利に尽きるとはこと事です。しかし、彼女達の事です。油断は禁物。やはりです。私の車には、凍りついた雪にニコチャンマークがしっかりと書かれてありました。



外は雪、あれやこれやの巻

2013-02-24 09:49:19 | Weblog
立春を過ぎていますのに外は雪降り。外は、薄っすらと雪化粧です。この数日、厳しい寒さが続いています。境内の掃除が出来ずに焦り気味です。

この間、ブログの投稿が全く出来ませんでした。4月14日修行の二法要の資料作りでアップアップの状態。とても、ブログまでは手が回らなかったのが実情。しかし、3月上旬には有縁の皆様には、4月13日(門信徒の集い案内)4月14日(二法要案内)をお届けできる段取りがつきました。一安心です。
さて、2月21日は第11回目の定例法座が開かれました。この日も雪降りでした。早朝から雪かき。皆さんの参詣を心配していましたが、流石は定例法座にいつもお参りしていただく方々です。10数名の皆さんがお参り。

この日は、「蓮如上人から見た親鸞聖人」というお話。「摂取不捨」という阿弥陀様の願い(第18願の本願)こそが、生涯に渡って活動の原点であるとの話をしました。。「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」とは、「決して捨てる事のない願い」と解釈されます。この願いを、親鸞聖人の教えを通じて実体験として学ばれのが蓮如上人であったと思います。このようなお話でした。
上記の写真を見ていただくと、皆さん茶碗をお持ち。この茶碗の中には、甘酒が入っていました。秋田の銘酒「千代緑」の大女将さんから贈られた「大吟醸」からの酒粕。同封されたお手紙には、「お参りの皆さんにも是非甘酒を」との一文がありました。この思いを無駄する事はできません。皆さん、美味しいと大変好評。そうなのです。この酒粕は、機械絞りではなく手絞りでの酒粕なのです。美味しい筈なのです。人の無償の好意はこのように伝播していくものなのですね。
日付は変わって、2月22日。この日は、大学4年・中央仏教学院2年の京都生活が終わり、息子が帰郷の日。何となく寂しそうな息子ですが、別れはこの世の常です。出合いあれば別れあり。しかし、中央仏教学院での2年間の勉学は、息子にとって一生の宝となるでしょう。帰郷に際して、ご本山・本願寺にお参りしました。阿弥陀様と親鸞様に、万感の思いを込めて感謝のお念仏を申して帰宅しました。





ヒャクキンの砥石と雪

2013-02-21 12:30:09 | Weblog
先日、百均ショプに立ち寄り、何気なく砥石(といし)を購入しました。

この砥石、柄がついている砥石。そこに惹かれて購入。早速に、さびさびの鉈(なた)・鎌(かま)等を物置から引きつり出し、寒さのなかで磨いてみました。磨くこと1時間余り。成果は、ご覧の通りです。

見事に光沢が蘇ったではありませんか。切れ味も鋭く、これならば藪仕事にも対応できる事は請け合いです。僅か100円の砥石ですが、バカにしてはならない教訓話となりました。
ところで、今日の早朝はビックリしました。立春は、過ぎていますのに雪が積もっているのです。雪かきから、今日の仕事は始りました。今日は、定例法座の日です。皆さんの足元が心配・・・・・
裏庭には、屋根から滑りおちた雪がうずたかく・・・当分は融けません・・・

当今末法現是五濁悪世・・・・・・五色の糸

2013-02-19 23:07:01 | Weblog
人間の闇は底なしです。皮肉な現実ですが、知識があれば有るほどに闇が深く底はありません。今を生きる私達を見れば一目瞭然。平安貴族達もしかりでした。文字を読み、文字を書くことのできる教養人は、平安時代は人口の数パーセントもいない筈。その代表が平安貴族達。財力にものを言わせて建立された、平等院鳳凰堂に代表される阿弥陀堂。しかし、そこに籠り、幾ら阿弥陀仏に救いを求めても、知識あるが故に浄土往生の確証が得られないのです。知識と疑心は裏表の関係なのです。知識は、智慧ではないのです。現代人も、仏教を・浄土の教えを知恵で理解しよういうのが一般的。そこに最大の不幸があります。
しかし、末法(まっぽう)と呼ぶ時代に突入した平安後期以降は、この現世では悟り・救いは成就せず、来世(死後)の浄土に往生し、悟りを得る事を願うしかなかったです。誰も目にした事のない、阿弥陀仏の極楽浄土です。実際に往還した人が現れ、『極楽見聞記』でも出ない限り信じる事は知識あるがゆえに到底無理な相談。しかしながら、何とか極楽往生を遂げなければなりません。当時の人々と現代人を比較する時、大きな違いに気がつきます。真剣さです。知恵=疑心ありとも真剣に極楽往生を求めたのです。
この拠り所になったのが、『仏説阿弥陀経』。この経には、「舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、その人、命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。」(浄土真宗聖典註釈版124頁~125頁)「その人、臨終に望んで、阿弥陀仏を説くを聞きて、阿弥陀仏の名号(みょうごう)、つまり「南無阿弥陀仏」というお念仏を、どのような事があろうとも一心不乱に申す人は、必ず阿弥陀仏と極楽浄土の菩薩衆がその人を来られるでありましょう」と説かれています。臨終来迎(らいごう)の思想です。
臨終来迎図・・・・阿弥陀仏からは光明が放たれ、今まさに臨終を迎えようとする念仏者を照らす。

念仏する人は、臨終に阿弥陀仏が聖者方と共にお迎えくださると説かれるお言葉は、これ程有難いお言葉はありません。なぜかといえば、臨終にお迎えいただきたいということは、私ども人間の心にかくれている願いといってよいからです。「○○は、天国に行きました。○○は天国から私達を見守って・・・」等の挨拶をメディアで見聞しますのが、その証拠。命終わる時は、人生の精算です。ことに今日のように楽しみの多い世の中になりますと、命終わる時には楽しんだだけ、その反動として空しい心に閉ざされるのです。財力・権力を、一手に握った平安貴族の代表格の藤原氏一門の願いもそうでありました。この世で栄養栄華を極めれば極める程に、死後の恐怖は壮絶なものがあるのです。ですから、どうしても臨終来迎をお迎えしたいという心は、儀式を生み出しだしました。臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)です。

2009年6月6日・・「五色の糸」より検索し複写

そもそも臨終とは、臨命終時(りんみょうしゅうじ)の略語です。臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)とは、死を前にした人の孤独や恐れを和らげ救いをもたらすための作法のことです。臨終行儀は、次のようになります。阿弥陀図屏風(びょうぶ)が往生者の枕頭に置かれます。そして、阿弥陀佛の指から引き出した五色の糸を往生者の手に握らせました。 又、佛の白毫部分に穴を開け、後に蝋燭を灯して光が漏れるようにし、白毫(びゃくごう)から光明が発しているように見せました。屏風(びょうぶ)はこのように使用されたのです。阿弥陀仏の光明に照らされて往生するという姿を人工的に作り出したのです。(上記の図を参照してください。イメージは浮かんでくると思います。)
今でも、この五色の糸をにて結縁を結ぶという作法が行われ、人々は群がるように五色の糸を求めます。善光寺の御開帳です。善光寺ご本尊の阿弥陀三尊から五色の糸が伸びて、境内の参拝者に繋がるのです。
続く・・・・




134000人 当今末法現是五濁悪世・・・・・1000年の瓦

2013-02-19 00:06:17 | Weblog
では日本では、末法(まっぽう)の時代に入ったのは何年なのでしょうか?計算しますと西暦1052年から。今も日本は末法の時代が続いている事になります。1052年といえば平安時代中期以降に相当します。あたかも、当時の日本は天災・人災相次ぎ民衆は生きる望みすら持てない生活を余儀なくされていました。仏の教え(経典)のみが残り、僧侶はいても悟る者は誰もいないというのが末法の仏教の実態。南都(奈良仏教)北嶺(比叡山仏教)の仏教も、堕落・腐敗が久しく、あたかも末法の時代の到来を告げているかのようでした。(今の仏教も同じ、それ以上といわれると辛いものがありますが)
天台仏教でも、真言仏教でも駄目というのですから、流石に貴族達も大慌て。何とか救いに預ろうと右往左往。
そんな中で建立されたのが、藤原頼通(よりみち)建立の『宇治の平等院』。今に残るのが有名な平等院鳳凰堂です。平等院の建立は、末法元年(まっぽうがんねん)の1052年。

ここのご本尊の仏様は、阿弥陀如来様です。貴族達は、現世での救済・悟りが絶望的ならば、せめて死後に、来世での救済を求めました。ここに末法の時代にあっても燦然と輝く仏様が登場されたのです。阿弥陀様です。貴族達は、阿弥陀仏の建立された西方10万億度に有るという極楽浄土に大いなる憧れを求めました。貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営したのです。
その代表格が、平等院鳳凰堂なのです。当時、次のような流行歌が唄われたそうです。『この世で、極楽見たければ、宇治のお寺に行っといで』という歌です。平安時代の貴族政治を摂政関白として、一族で独占した藤原氏一門。死後も、極楽浄土に往生する事を願い一門の総力を挙げて建立した寺院。それが、宇治の平等院です。皆さん忘れていますが、最も使用頻度の高い10円硬貨のデザインにも採用されている平等院鳳凰堂です。

藤原氏一門の力の入れようは、鳳凰堂の瓦によっても証明されました。先日(2月15日)ニュースでも流れました「1000年の瓦」です。鳳凰堂を覆っていた瓦の一部が、創建当初から暫くして葺かれた瓦を使用しているのです。まさしく「1000年の瓦」です。「特注品」でなのです。平等院のために作られた特別な瓦だったのです。
毎日新聞より複写

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続く・・・・







当今末法現是五濁悪世(とうこんはまっぽう げんにこれごじょくあくせなり)

2013-02-16 23:50:16 | Weblog
地球は、最近天も(シベリアの隕石落下)、海も(東日本大震災の大津波)、地(世界各地で頻発する大地震)も怒っているように感じます。地球環境学者は、これを「活動期に入った地球」と表現していますが。何故か、生きるのが辛い時代に感じます。
写真、昨日のテレビニュースより

でも、こんなにも立て続けに重大な天災・人災が起こりますと、大丈夫なのだろうかと問い直す自分がいます。そして、その影響なのでしょうか?今を生きる私達の気持ちは、不安感に裏打ちされてなんとなく暗いのです。
心の動揺は、同じ本を読んでも大きく見解が異なってくるのです。『大集経(だいじゅうきょう)のなかに月蔵経(がつぞうきょう)』と呼ぶお経があります。勿論、原本を読んだ訳ではありませんが、多くの経典に大きな影響を与えたお経なのです。それは、仏教の歴史観ともいいましょうか、とくかく日本仏教に決定的な影響を与えました。
法然上人・親鸞聖人にも決定的な影響を与えました。『末法(まっぽう)思想』です。
末法思想(まっぽうしそう)とは、仏教の歴史観であり、末法と呼ぶ時代に入れば、仏法が正しく行われなくなり、教えのみが残る時代が来ると説かれています。つまり、この末法の時代になると、人災・天災が相次ぎ、世が五つ濁りにより仏の教え(経典)のみは残り、僧侶は存在しても悟りに至る人は一人としていないと説かれているのです。
若き頃は、『末法(まっぽう)思想』と聞いても、又読んでも「何をふ抜けたことを」とのみ思い、深くは追求する事はありませんでした。若さゆえでしょうか?それとも、日本全体が右肩上がりの成長時代、元気モリモリであった為でしょうか?
ところで、表題の『当今末法現是五濁悪世』の言葉は、まさに上記の状況を的確にまとめた有名なお言葉。「今の世は、五つの濁りに満ちた末法と呼ぶ時代なのだ」という意味でしょう。このお言葉は、浄土真宗の七高僧のお一人である中国の道綽(どうしゃく)禅師の著書である『安楽集』の上巻にある第三大門の「聖浄二門判」に出てくるお言葉です。(真宗聖教全書 三経七祖部410頁)
道綽像

続く・・・・・



本願寺史料研究所第2回公開講座「蓮如上人研究の成果と展望」を受講

2013-02-14 23:33:22 | Weblog
今日(2月14日)は、忙しい一日となりました。員弁組の教学研修会に顔を出し、昼食後は京都へ。上記の公開講座を受講するのが目的。ご講師が、本願寺史料研究所副室長の金龍静先生。これはどうしても受講せざると得ません。講演の最中に到着。第1回目よりは、受講人数が増加しています。大凡50名~60名程は受講されておられるでしょうか?

戦国期の真宗史専門家である金龍静先生の講義は、流石に完結明瞭。蓮如上人を、中世後期から戦国期にかけて、政治史・社会史・思想史のうえで決定的な影響を与えた人物として定義。

特に、一向一揆との関連のなかで「身業の報謝行」という話をされました。聞きなれない言葉です。私の理解ですが、今は死語に近いが「愛山護法」という言葉があります。(山=本願寺)を守り、聖人一流のお念仏のみ教えを守護するという意味でしょう。日本史を紐解いてみますと、本願寺が存続をかけて最大の危機に陥った時代がありました。織田信長との11年に及ぶ石山戦争(一向一揆)です。この時、全国の門徒は鉄砲・槍・刀をもち法敵である信長と戦ったのです。これが「愛山護法」。すなわち、「身業(しんごう)の報謝行」なのです。ご恩報謝といいますと、今は罪悪深重のこの身が弥陀の大いなる願い(本願力)により救われた事に感謝し、お念仏申させていただく事を意味します。しかし、戦国期のご恩報謝は、「身を捨ててこそ」の報謝行なのです。法敵である織田信長との戦いに出陣する事こそが報謝行であったと思うのです。これが「身業の報謝行」。これこそが、蓮如教団の最大の核心であったと思うのですが。
しかしながら、この「身業の報謝行」という言葉は、江戸後期に勃発した「三業惑乱(さんごうわくらん)」により完全に死語となりました・・・・・・
さて、この京都往還のルートは石榑峠ルート(国道421号線)です。何しろ安い(名神高速の代金)早い(京都まで1時間30分)のです。帰りに一寸寄り道。そうです。石榑峠の滋賀県側にある山の喫茶店「萌黄(もえぎ)」に立ち寄りました。積雪は、30cm程度。雪のなかに萌黄はありました。

帰り支度のご夫婦にご無理を言ってコーヒーを。美味でした。ただしスタットレスタイヤと四駆は必需品。なぜならば、ご覧のとおりの風景なのです。

梅一輪

2013-02-14 09:18:32 | Weblog
楽園のグァム島にて、惨劇が起こった。かける言葉すら見当たりません。何故に「いのち」がこんなに軽くなってしまったのか??この事を思わずにはおれません。権利の主張の余りに、手前勝手な了見で行動する集積の結果なのでしょうか?私達一人一人の押さえが利かなくなっている時代悪。まさに混迷の世です。『仏説阿弥陀経』に説かれる「五濁悪世(ごじょくあくせ)」です。かのお経は、「五濁悪世」のなかにあって「真理を見よ」と説かれます。真理とは・・・・自然の摂理だと思います。虚構の繁栄に目を奪われることなく、人間一人ひとりが自然の摂理に目覚めよと説きます。
昨年の暮れに、ご門徒から蝋梅(ろうばい)の枝を頂きました。この小さな蕾(つぼみ)のついた蝋梅の枝を、境内の建水に入れておきました。

頂いてから2ヶ月余り、厳しい寒さに必死に耐えて、蝋梅の小さな蕾は花を咲かせ出したのです。蝋梅の「いのち」は生きていたのです。蝋梅特有の高貴な香りすら漂っています。お稚児さんの申込に、小さなお子さんを連れてお母さんが来られますと、必ず足を止めて香りを楽しまれます。

頂いた蝋梅の枝、地面に生えている蝋梅ではありません。枝を切られた蝋梅。それでも、花を咲かせようと必死に耐えた蝋梅の「いのち」なのです。「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)と『涅槃経(ねはんぎょう)』は説きます。すべてのものに仏の種があるという意味でしょう。仏の種とは、「いのち」の事。差別無く「いのち」を見る。無分別の「いのち」。これが自然の摂理だと思うことです。「梅一輪、梅一輪のあたたかさ」なのです。発想の転換が今こそ必要だと強く思います。そうでなければ、この母なる地球は一体どうなるのでしょうか?