人間の闇は底なしです。皮肉な現実ですが、知識があれば有るほどに闇が深く底はありません。今を生きる私達を見れば一目瞭然。平安貴族達もしかりでした。文字を読み、文字を書くことのできる教養人は、平安時代は人口の数パーセントもいない筈。その代表が平安貴族達。財力にものを言わせて建立された、平等院鳳凰堂に代表される阿弥陀堂。しかし、そこに籠り、幾ら阿弥陀仏に救いを求めても、知識あるが故に浄土往生の確証が得られないのです。知識と疑心は裏表の関係なのです。知識は、智慧ではないのです。現代人も、仏教を・浄土の教えを知恵で理解しよういうのが一般的。そこに最大の不幸があります。
しかし、末法(まっぽう)と呼ぶ時代に突入した平安後期以降は、この現世では悟り・救いは成就せず、来世(死後)の浄土に往生し、悟りを得る事を願うしかなかったです。誰も目にした事のない、阿弥陀仏の極楽浄土です。実際に往還した人が現れ、『極楽見聞記』でも出ない限り信じる事は知識あるがゆえに到底無理な相談。しかしながら、何とか極楽往生を遂げなければなりません。当時の人々と現代人を比較する時、大きな違いに気がつきます。真剣さです。知恵=疑心ありとも真剣に極楽往生を求めたのです。
この拠り所になったのが、『仏説阿弥陀経』。この経には、「舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、その人、命終のときに臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にましまさん。この人終らんとき、心顛倒せずして、すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得。」(浄土真宗聖典註釈版124頁~125頁)「その人、臨終に望んで、阿弥陀仏を説くを聞きて、阿弥陀仏の名号(みょうごう)、つまり「南無阿弥陀仏」というお念仏を、どのような事があろうとも一心不乱に申す人は、必ず阿弥陀仏と極楽浄土の菩薩衆がその人を来られるでありましょう」と説かれています。臨終来迎(らいごう)の思想です。
臨終来迎図・・・・阿弥陀仏からは光明が放たれ、今まさに臨終を迎えようとする念仏者を照らす。
念仏する人は、臨終に阿弥陀仏が聖者方と共にお迎えくださると説かれるお言葉は、これ程有難いお言葉はありません。なぜかといえば、臨終にお迎えいただきたいということは、私ども人間の心にかくれている願いといってよいからです。「○○は、天国に行きました。○○は天国から私達を見守って・・・」等の挨拶をメディアで見聞しますのが、その証拠。命終わる時は、人生の精算です。ことに今日のように楽しみの多い世の中になりますと、命終わる時には楽しんだだけ、その反動として空しい心に閉ざされるのです。財力・権力を、一手に握った平安貴族の代表格の藤原氏一門の願いもそうでありました。この世で栄養栄華を極めれば極める程に、死後の恐怖は壮絶なものがあるのです。ですから、どうしても臨終来迎をお迎えしたいという心は、儀式を生み出しだしました。臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)です。
2009年6月6日・・「五色の糸」より検索し複写
そもそも臨終とは、臨命終時(りんみょうしゅうじ)の略語です。臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)とは、死を前にした人の孤独や恐れを和らげ救いをもたらすための作法のことです。臨終行儀は、次のようになります。阿弥陀図屏風(びょうぶ)が往生者の枕頭に置かれます。そして、阿弥陀佛の指から引き出した五色の糸を往生者の手に握らせました。 又、佛の白毫部分に穴を開け、後に蝋燭を灯して光が漏れるようにし、白毫(びゃくごう)から光明が発しているように見せました。屏風(びょうぶ)はこのように使用されたのです。阿弥陀仏の光明に照らされて往生するという姿を人工的に作り出したのです。(上記の図を参照してください。イメージは浮かんでくると思います。)
今でも、この五色の糸をにて結縁を結ぶという作法が行われ、人々は群がるように五色の糸を求めます。善光寺の御開帳です。善光寺ご本尊の阿弥陀三尊から五色の糸が伸びて、境内の参拝者に繋がるのです。
続く・・・・