明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

147000人 黄檗山(おうばくさん)万福寺にて、普茶(ふちゃ)料理をいただく

2013-05-31 23:07:10 | Weblog
京都府宇治市に、黄檗山万福寺という大寺院があります。皆さん、この日本には3つ禅宗の流れが存在している事をご存知ですか。「アレ」と思われる方もおられると思います。「道元禅師が開かれた曹洞禅(そうとうぜん)と栄西禅師の臨済禅(りんざいぜん)の二つは知っているだが、後一つあるのですか?」となります。
それがあるのです。万福寺を総本山とする黄檗禅(おうばくぜん)です。この黄檗禅は、江戸初期に中国から渡ってこられた隠元(いんげん)禅師により、開山された禅なのです。中国南部の福建省にある黄檗山万福寺(中国臨済禅の中心地)。その法統継承者である隠元禅師が、日本に来られて開かれたのです。1661年の事。
万福寺の正面入口の三門。圧倒的迫力で迫ってきます。ここは修行の地であるぞと告げているかのようです。

境内の池には、水蓮の花が一輪咲いていました。これからが最盛期。

万福寺玄関にあたる天王殿に続く回廊。塵一つ落ちていません。清々しい気持ちに。自坊の境内とは大違いです。

そして、一際目を引く開版(かいぱん)。時を告げるものとして使用されています。

普茶料理をいただく黄龍閣には、隠元禅師が乗られたと思われる中国の明(みん)時代の精巧な大型海洋船の模型が置かれていました。こような船にて日本に渡ってこられたという隠元禅師は、どのような高僧なのであろうかと想像をたくましくしていました。

なかでも、私の目を引いたのが下の写真。「四弘誓願(しぐせいがん)」の第2句目の言葉である「煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)」が書かれた「ついたて」。

「四弘誓願」とは、仏(ほとけ)になろうとする菩薩(ぼさつ)であるならば、あらゆる菩薩が必ず誓う4つ願いの事です。この4つの願いを持たない菩薩は存在しないのです。故に、「四弘誓願」と呼ばれています。
一行目「衆生無辺誓願度(しゅうじょうむへんせいがんど)」
すべてのあらゆる生き物を済度しよう(勝手な現代訳)
二行目「煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)」
無数の煩悩を全て断ち切ってしまおう(勝手な現代訳)
三行目「法門無尽誓願学(ほうもんむじんせいがんがく)」
数限りない仏法の学問を全て学ぼう(勝手な現代訳)
四行目「仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」
このうえのない悟りをひらこう(勝手な現代訳)
この「四弘誓願」のなかで、二行目の「煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)」が書かれているところに大切な意味があると思うのです。ここは、修行道場の総本山。黄檗宗万福寺です。厳しい修行の目的はただ一つ。煩悩を消し去る事。その為に、学問を積み、規則を守り、心を集中(座禅)して、己の心を磨く事です。その象徴的言葉が、「煩悩無尽誓願断」なのです。念仏一門の私には、何故か新鮮な言葉に聞こえるのです。
それはさておき待つこと暫し。目の前には、ご覧の通りご飯茶碗と汁椀が置かれています。

係の方が、「先ずはお茶をどうぞ。料理を運びます。」と話されました。この話、私には最初から禅問答なのです。「お茶を」と言われても、肝心の茶碗がないのです。部屋中探しても茶碗がないのです。思わず「お茶碗はどこにあるのですか?」聞き返しそうになりました。それをグッと堪えてしばし熟考。なるほど・・・・・・なるほど・・
ご飯茶碗の下にあるのです。やはり、ありました。そして、第一弾としてお持ちいただいた普茶料理が、下の写真。これ全て精進料理なのです。

明日に続く・・・・
二法要の公式DVDダイジェスト版が、自坊ホームページに公開されています。
このブログの訪問者が、147000人(正確には、147341人)を超えていました。いつも訪問いただき本当に有難うございます。

二法要の公式DVDのダイジェスト版が、自坊ホームページに

2013-05-30 21:28:27 | Weblog
一週間のご無沙汰となりました。この間、事務作業に専念。
①聞法第111号・・・・・
二法要の最終版というべき自坊新聞「聞法(もんぽう)第111号」の製作と発行(6月10日発行)・・・・共栄堂印刷にて印刷段階です。
②二法要決算報告書の作成
天気は晴れることの有難さを、決算書を作成しながらつくづくと思いました。
二法要の公式DVDダイジェスト版。自坊ホームページに公開。
公式DVDは2時間30分です。それを、10分間に編成し自坊ホームページにて公開しました。是非ともご覧下さい。大凡の流れは判る構成になっています。そして、ご希望があれば公式DVDをお求め下さい。
法要の記録としてDVDは当たり前の時代ですが、ダイジェスト版を作成し公開する事は近隣のお寺では始めての試みと思います。これは、蓮如さんの「お文(ふみ)」伝道のこころを頂戴しました。
④東北支援絆(きずな)の旅(6月2日3日4日)
いよいよ東北支援絆の旅も目前です。26名で実施となりました。宿泊場所は、福島県はコケシの里・土湯温泉の「ホテル山水荘さん」に連泊。6月3日の夕食は、当日福島に入られる岐阜教区仏教婦人会総連盟の皆さん(76名)と交流会を実施予定です。で、その旅の栞(しおり)作成。
写真は、栞の表紙に使用したホテル山水荘さんロビーの巨大コケシ

これだけの作業を同時並行で・・・・・お疲れ様です。この間、よく頑張りました(自分に対するほめ言葉・・・理由 誰もほめてくれませんから)。
明日からは、ブログも連載していきます。




蓮如上人とお文(ふみ)のこころ 第14回定例法座

2013-05-24 01:15:30 | Weblog
今日(5月23日)は、第14回定例法座(毎月第4木曜日)。お参りは19名。今年の4月からは、「蓮如上人とお文(ふみ)のこころ」です。

『お文(ふみ)=御文章』は、親鸞聖人のみ教えを本願寺第8代宗主である蓮如上人が、簡単明瞭に当時(室町時代中期)の言葉で書かれたお手紙。これを、80通にまとめたものが五帖(じょう)の『お文(ふみ)』。五冊の本にまとめられていますから五帖(じょう)と呼びます。私達が、日頃拝読しております「聖人一流の章」・「末代無智の章」などは全て五冊目。そこで、五冊目から大切な「お文」を抜き出し解説しようというのが今年の定例法座。何しろ、この「お文(ふみ)」の力により本願寺教団は各派仏教教団のなかの盟主となり、そして他力本願のみ教えが誤り無く相続されてきたのです。真宗門徒にとっては、寝てもさめても聞くのが「お文(ふみ)」でした。
蓮如さんにより考えだされた勤行の形式
①「正信偈」を読みましょう・・親鸞聖人自身が、ご自身の教えを短くまとめたもの。
②「和讃」を称えましょう・・・教行信証の内容を、親鸞聖人自身が歌にされたもの。
③「お文」を拝読しましょう・・蓮如上人が、親鸞様の教えを簡潔にまとめたお手紙。
以来、真宗門徒は親鸞聖人の教えの核心を、上記の3本柱にて朝夕の勤行を繰り返し、拝読し、自分の血となり肉としてきたのです。これある限りは、浄土真宗は間違いなく相続されて行くのです。
しかし、この3本柱が大きく緩(ゆる)いできました。
①朝夕お勤めは、殆ど無理状態の昨今です。
②「お文」の拝読も殆どされていない状況。
これでは、大危機に直面するのは無理からぬ状況なのです。崩壊の序曲が鳴り響いているのです。しかし、お文に変わる伝道手段を見つけずいるのが実際のところ。このブログも、近未来の伝道手段として発信してはいるのですが、勉強不足の私が発信しているのですから法語ブログとは到底なりません。この崩壊の原因の大半は、僧侶の責任でもあります。80通に及ぶ「お文」の法話は昨今殆ど聞いた事がありません。
そこで、今年一年は少なくとも大切な「お文」数通を味わいましょうというのが今年の定例法座の趣旨なのです。

今日は、数ある「お文(ふみ)」のなかで、五冊目第8通の「五劫思惟(ごこうしゆい)の章」を取り上げての定例法座なのです。(続く・・・)


松本へ・・・・・・

2013-05-23 10:40:58 | Weblog
昨日(5月22日)、早朝より藤原町石川のご門徒宅にて報恩講のお勤め。やはり、4月14日の二法要の事が話題となりました。「それにしても、よくぞ4月14日に決めましたね。その前後は全く駄目な土日でしたから。」と奥さん。「それは、花桃の花が咲くのが例年4月中旬。それに合わせての日取り決定です。」と私。花桃の花咲く明源寺。多くに人の印象に残った筈です。
4月13日撮影

さて、報恩講を終わらせていただき、向かった先は長野県松本のご門徒宅。実は、4月14日の法要当日、ご夫妻でお参りいただいていたのです。しかし、それは、後で知りました事実。これでは申し訳ないと、御礼の意味で松本へ。
午後1時過ぎに到着です。旧信州大学の跡地が「県(あがた)の森公園」になっており、松本市民の憩いの場。その横に、ご自宅があります。ですから自然環境抜群の住宅です。

平日にもかかわらず駐車場は満車状態。駐車場の真ん中に、栃の木の大木があり、房状の白い花が満開状態。

自坊に帰らず直接来ておりますから、服装は法服のままでした。途中で、着替えにと私服をもってきたのですが、肝心のものを忘れていたのです。靴。靴なのです。草履(ぞうり)にスーツはいかにもです。実に間の抜けた話となりました・・・・結局、法服のまま。

長野道の松本インターにて下車し、ご門徒宅に向かう訳ですが、JR松本駅の正面道路を通過します。松本駅、ここは青春の思い出の場所。高校・大学と山登りに舞いくれた生活を送っていた私ですから、松本駅は必ず通過する場所。宿泊代を浮かすために、松本駅を何度利用したのかわかりません。あの場所、この場所と思い出が詰まった松本駅なのです。
松本駅を撮影・・・逆光にてなんやらさっぱりわかりません。

靴に続き、帰路もコース選択で大ミス。名神高速は、集中工事で渋滞気味。そこで、行きは伊勢湾岸道路を使用。スイスイと松本まで。ルンルン気分の帰り道は、渋滞情報を考える事もなく名神高速道路に突入。しまったと思いましたが、後の祭り。春日井から大垣まで斜線規制で渋滞気味・・・

ようやくにして関が原で下車。ここで番外編が待っていました。三重県と岐阜県の県境を通過中の事です。目の前に鹿が2頭飛び出したのです。突然の事で、ハンドルを思い切りきり反対車線に・・・お蔭様で車も鹿さんも無事。それにしても、流石は藤原町山口です。鹿が国道を自由に往来しているのですから・・・・・・・




146000人 僧侶の本分について

2013-05-22 00:22:30 | Weblog
今日(5月21日)も暑かった。アメリカでは、モンスター竜巻により大勢の死者がでている模様。昨年、藤原町西野尻でも竜巻が起こっています。縁のないものと思われていた竜巻が、山間地の藤原町で起こるなんて今でも信じられません。地球温暖化がもたらしている自然災害の巨大化なのでしょうか?・・・・
久しぶりに先日降った雨の影響でしょうか、それにしても草がよく伸びます。そこで、炎天下の午後に草刈となりました。
写真の領域を刈るのに、約1時間。汗水流しての作業でした。

草を刈りながら、草をとりながら最近よく思う事があります。それは、他力を旨とする真宗僧侶の本分とは何かという大命題。親鸞様の教えを学ぶ事。これも大切。学んだ事を人に伝える事。これも大切。文字に表す事。これも大切。しかし、これらは親鸞様の教えを頭で理解するに過ぎないのではないかと思うようになりました。
一番大切な事は、掃除をする事だと思うのです。特に草取り。真宗僧侶の本分は草取り。
この季節、草は伸び放題。だから、草取りをします。でも、一週間もすれば同じ事。草は、顔を出しています。だから、諦めずにまた草取り。これの繰り返しです。この単純にして、愚かな作業こそ真宗僧侶の本分であると思うのです。草取りに専念しても、顔を出す草。これこそが、我が心の煩悩の数であると思うのです。
この綺麗な状態が、何日もつのでしょうか?

つまり、幾ら草取りいう修行に専念しても、草は生えてくるように我が心の煩悩は決して消滅する事はないという事実なのです。お釈迦様のように、煩悩をコントロールして消し去り、涅槃の境地(真理のみの世界)には到底入る事はできないという事を知らされるのです。

親鸞聖人、比叡山20年のご苦労とはこの事ではないかと思うようになりました。勿論、親鸞聖人によりあきらかにされた阿弥陀仏の救いの法である他力の救いがある事を、私は知っていますからこのような結論になるのですが。親鸞様は、この煩悩の雑草をとり除くために、比叡山で20年の自力の修行に没頭されたのです。
ここに、私にとっての救いの法は、阿弥陀様の呼び声である「南無阿弥陀仏」という六字の言葉しかないと知らされるのです。情けない事に、真宗僧侶に成らしていただき30数年。ここまで来るのにこれだけの歳月が流れていました。
皆さん、悲しい時、苦しい時、怒りにふるえる時、草取りをしましょう。そして、私自身は何者かを確認しましょう。そうすれば、見えてくる世界があるのです。
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二法要スタップ集合写真が本堂にあがりました

2013-05-21 01:02:52 | Weblog
4月14日修行の二法要役員スタップ集合写真が本堂にあがりました。当日、ご協力いただいたスタップの皆さんは137名です。皆さんのご協力がありまして、二法要は無事に円成したと言っても過言ではありません。
今回のご勝縁の公式記録写真をお願いしましたのが、四日市のハギノフォトスタジオ。当日、午前7時40分から2回に分けてスタップ集合写真を撮影。完璧な仕上がりで集合写真をお持ちいただきました。そこで、午後から本堂にあげる段取り。
お隣の友人に協力していただき作業開始。ところが、本堂は総欅(けやき)造り。堅いことおびただしい。なかなか釘等が打ち込めません。苦心惨憺(くしんさんたん)とはこの事です。

今日(5月20日)は、真夏日かと思わせる程に暑かった。強烈な日射。たちまちに汗が噴出し難行苦行の1時間。ようやくにして、納得のできる位置にスタップ集合写真があがりました。

一枚は、お稚児さん・志納所・本堂・駐車場係等の皆さんの集合写真。

一枚は、お斎(とき)関係の皆さんの集合写真。

スタップの皆さん全員に、この集合写真はお配りする事となります。

白子の浜

2013-05-20 00:39:10 | Weblog
5月18日(土の午前10時頃の話です。場所は、名古屋榮のど真ん中のとある会館。抹茶の接待を受けていました。

横を見れば、結婚式に使用するブーケの見本が所狭しと並んでいます。

ここは結婚式場。しかし、私は僧侶の服装ですし、結婚式に出席するために来たのではありません。名古屋のご門徒さんの、27回忌法要と報恩講をお勤めするために早朝より来ているのです。玄関には、結婚式ではなく仏事の案内が3件程書かれていました。実は、この会館は結婚式大手グリープの会館なのですが、現在は仏事を専門に扱う施設として使用されているです。結婚式場で年忌法要。田舎者には珍しくも初めての経験でした。聞けば、都会では自宅での法要が少なくなり、需要に応じて結婚式場を仏事の会場としているのだそうです。正直、これにはビックリ・・・・時代は、私の硬直した頭では到底追いつかない程に変化しているのです。
さて、午前11時には車に飛び乗り、鈴鹿市白子の会館に向かいました。12時30分から葬儀なのです。問題は、名古屋から鈴鹿までを1時間30分でいけるのかです。最大にして困難な問題が。高速・自動車道を走れば、理論上は12時15分には到着できる筈なのです。やはりです。四日市インターから鈴鹿インターまで6キロの渋滞表示が・・内心大慌て。お葬式は、言うまでもなく時間厳守。
しかたなく、四日市インターで下車し一般道。やっとの思いで到着したのが12時25分。実にきわどい時間でした。ご迷惑をかけずに済んだことが何よりです。
葬儀式(告別式)修了後から、還骨法要・初七日まで若干の時間があります。この時間を利用して、私には是非見学したい場所がありました。タイトルの「白子の浜」です。
400年昔、この「白子の浜」はある一行を迎え、ここから三河に送り出しました。
有名な「神君家康の逃避行」です。徳川家康にとっては、人生で一番の難儀事でした。時は、1582年。天下統一を目の前にした織田信長が、明智光秀に京都本能寺にて打たれた事件。世にいう「本能寺の変」です。
徳川家康は、織田信長の招きで安土・京都・堺等を物見遊山の最中。堺滞在中に、「本能寺の変」の第一報。そして、始まったのが「神君家康の逃避行」。危機一髪を、家臣と伊賀者(忍者)の協力により乗り越え、たどり着いたのが「白子の浜」。ここから船に乗れば、伊勢湾を横切り容易に三河国へ。
この「白子の浜(現在の白子港)」を見たいのです。何しろすぐ其処なのです。車で、5分程度の距離。
港の入口より、伊勢湾が見えます。そして、遠く知多半島も。



400年昔の緊張感とは裏腹に、当日は心地よい浜風が吹く白子港でした。しかし、現地に行って初めて実感できる事も多々あるのです。

懐かしきもの

2013-05-18 00:44:03 | Weblog
昨日(5月16日)の午後9時頃である。ご門徒宅の百日法要からの帰った直後に電話が鳴りました。鈴鹿市のご門徒からの電話でした。お婆さんが亡くなられたとの事で、枕経のご依頼。早速、準備をして鈴鹿市の会館に向かいました。鈴鹿市白子にある会館までの時間は、深夜という事もあり1時間余りでした。
38年前、私が高校教師として初めて赴任したのが鈴鹿市内に新設される某高等学校。ですから、鈴鹿は無条件で懐かしいのです。しかし、当時とは地名は一緒でも鈴鹿市はホンダの企業城下町として大きく発展。そして、大きく変貌。40年程前を思い起こすものは殆ど残っていません。道路事情も、大きく変わりました。何しろ自坊から1時間程度で白子まで行けるのです。当時は、道路事情が悪く車でも3時間余りが必要でした。当時と殆ど変わっていないのは平田駅のみ。そんな感じすら受けました。
写真・・近鉄鈴鹿線の平田駅(携帯で撮影なのです。しかも、運転中。この写真は5月17日のお通夜の際に撮影・・・午後5時30分頃)

鈴鹿市内に入り懐かしさで一杯。走馬灯のように、3年間を過ごした日々が駆け巡ります。何よりも、教師の原点が鈴鹿の街。大切なほろ苦い思い出が駆け巡る鈴鹿の街。しかし、5月16日は深夜便。しかも、白子の会館は初めて。果たして、無事にたどり着けるのだろうかと不安もあり。ようやくにしてたどり着いたのが午後11時過ぎ。一安心です。

さて、お亡くなりになったお婆ちゃんには思い出があります。実は、この4月14日の二法要で久しぶりにお目にかかるのも楽しみにしていたのですが・・・・
次のような言葉を聞かされています。「ごえんさん、私はあかるい人生を送る人は、後世もあかるいと思います。今が、暗い人は後世も暗いと思うのです。」この言葉は、親鸞聖人の妻である恵信尼様が晩年に、京都に住む娘の覚信尼様に送られたお手紙(恵信尼公文書)のなかに、「極楽へまいれば、何事も明らかにごらんになれるはずでございますから、あなた様も、必ずお念仏を申されて、極楽でお目にかかりましょう。そして、極楽でおあいできましたら、何事もはっきりすることでございましょう。」(浄土真宗聖典註釈版824頁)と書かれた箇所があります。死をまじかに感じておられる恵信尼様にとっては、死は暗黒の世界ではなく、明るい極楽浄土に行くことであると確信しておられるのです。光明無量と説かれる光輝く極楽浄土。お婆ちゃんも、死後は明るい世界とお話いただきました。私にとっての導きの善知識なのです。そういえば、恵信尼様も、上記のお手紙を書かれたのは87歳であったといわれています。このお婆ちゃんも、満87歳でありました。
それにしても、帰りは午後12時前。さすがにお疲れ様の顔となっております。





大法輪6月号と視察

2013-05-16 11:25:04 | Weblog
このブログでも、度々取り上げた事のあります月刊の仏教雑誌『大法輪』。6月号の特集記事が、「教えもわかる浄土真宗の葬儀・お墓・仏壇」です。早速、阿下喜・三洋堂書店にて購入。

読ませていただきましたが、次の文章に感服しました。特集記事の題名からして、浄土真宗として葬儀をどのように捉えるかが大きなテーマなのですが、昨今はお葬式事情もご承知の如くに大きな変化が見られます。その大きな変化に、僧侶の方が正直追いついていないのが実際の所。でも、この世に生を受けた以上は必ず死に直面する事は、これもまた絶対不変の真理。
ここのところを、6月号(85頁)の「菅原智之さん」が先哲の故事を引用して
「食べねば死ぬ・・・日常の課題」
「食べていても死ぬ・永遠の課題」
思わず、なるほどと納得です。素晴らしい言葉があるものです。味合えば味合う程に深みのある言葉。自坊の伝道掲示板の標語にいただこうと考えています。
そして、浄土真宗の葬儀の根幹に流れるのものとして、「孤野秀存さん」は「死んだあとが明るい」・「現在が明るい人は後生も明るい」と紹介されています。(6月号70頁から74頁)この言葉こそが、親鸞聖人が明確にされた、この世において「必ずお浄土に往生する事が定まった人」を現代人に判りやすく説明された言葉。これを現生正定聚(げんしょうしょうじょじゅ)と聖人はあきらかにされ、浄土真宗の旗印なのです。
このような現生正定聚の人は、どのような心境の人なのか?
大法輪6月号副表紙絵(23頁)に

「八風吹不動」の言葉あり。
風吹けどいかなる時流にも少しも動ぜず、どのような困難や圧迫にあってもいささかもくじけない心境を表した言葉。禅宗的言葉ですが、ある意味でこれではないかと思います。
とにかく、是非ともお読み下さい。
さて、今日(5月16日)午前9時からお隣のお寺さんが、自坊の本堂を視察されました。住職・建設委員さんと門徒総代さん総勢8名の皆さん。自坊の本堂修復の流れを説明させていただきました。お役に立てれば幸いです。

145000人 写真・・・・・

2013-05-15 14:39:22 | Weblog
これは何か?
本堂外陣北側

本堂外神南側

二法要(4月14日)の正式スナップ写真です。その枚数約700枚。二法要を記録に残すために、「ハギノフォトスタジオさん」に写真撮影を依頼。そしして、一昨日お持ちいただきました。そこで、頭を悩ましたのが本堂のどこに公開場所を設置するのかという難題。色々と思案。思いついたのが、本堂外陣の左右にある矢来を利用する事。見事に決まりました。計ったようにピッタリです。

5月6月と公開。希望される方は、別紙用紙に代金を添えて注文していただく方式。それにしても、一連の写真を見ていますと、あの人もこの人も当日お参りいただいていたのかと改めて思う事です。そして、午前の記念法話も午後の記念法話も、本堂一杯の参詣の皆さんでした。本当に有難い事です。
一部紹介・・・・





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