明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

やはり千円でした

2009-03-29 00:39:34 | Weblog
今日から、高速道路料金は土日・祝祭日は原則千円。偶然ですが、紀伊長島の御門徒の家に年忌法要。ワクワクして、料金所を通過しましたら、やはり高速料金は千円。往復で2千円。千円は本当であると実感。しかも、自動車道が大内山まで延長され、三重県の最北端の地である藤原町から紀伊長島まで2時間。信じられない時間で到着。10年も前なら3時間近くは必要であった。
さて、自動車道の各サービスエリア・パーキングには、昨日からニュースでも報道されていたが、観光客目当てに普段より大目の土産物が山積み状態。他府県ナンバーの車も駐車場には数多く止まっていた。しかし、愚僧の見た所は皆さんの財布のひもは結構かたかった。ただ、一部のお土産のみは飛ぶように売れていた。やみくもに買うという時代は完全に終ったという事か。(写真は、南紀の玄関口である荷坂峠のパーキングから紀伊長島・古里海岸を見たもの・・・やはり、南紀はどことなくあらあらしくも温和な暖かな感じがします)

瞬間の美(白山茶花の花)

2009-03-27 22:13:24 | Weblog
今、裏庭にて誰にも注目される事なく白山茶花の花が咲き出した。愚僧の大好きな花。純白の花が一斉に咲く。しかし、満開になれば純白の花はたちまちにサビのようなエンジ色に変わっていく。瞬間の美ともいうべき白山茶花の花。満開のサクラは、風が吹けばサクラ吹雪となり散っていき、無常を表現する格好の花として昔から取り上げられてきた。しかし、白山茶花の花も、爛熟した時には足もとに老いは忍び寄っている事を端的に示す花。だからこそ、生きている今が大切ということになる。それを示すのが白山茶花の純白の花であろう。今日一日が、あたえられた尊い一日である事を教えてくれる花。・・・・・・

石の柱と木の柱

2009-03-27 17:28:38 | Weblog
平成元年10月6日、御門主様は員弁組御巡教の一環として、拙寺にお立ち寄りになられました。その記念に「槙」の木を植樹していただきました。愚僧の父である前住職(故人)が、槙の木の側に植樹記念の木柱をたてました。そして、達筆をふるいました。しかし、約21年が経過し、風化が進み、文字は全く判読不能の状態(写真右)。ですから、植樹の「槙」の事も、御門徒の記憶からも遠くなっていました。「植樹の際は、数十センチ。今は、数メートル」と大きくなっていることも原因とは思いますが。こんな時、有りがたい事に「石柱にかえていただきたい」と御門徒さんからご寄進いただいたのです。(写真左)
改めて、この21年余りをふりかえってみる。当時は血気盛んな37歳。今は、少し白髪の混じる57歳。笠原一男先生が、講談社学術文庫から出版された「蓮如」を今読んでいる。愛読書の一つである。その158頁に色鉛筆にて赤線が引いてある箇所がある。「その時、蓮如は43歳。男盛りの蓮如にとって、いまこそ部屋住み時代に練り上げた布教の青写真を、実行に移す時がきたのである。」この部分は、蓮如上人が43歳にて奇跡的に本願寺宗主につかれた時の事を記している。そして、その赤線の横に「私は、今45歳」となぐり書きしてある。「頑張ろう」という意味で書いたのだと記憶している。しかし、57歳になり一体何を頑張ったのだろうかと深く考えさせられた。世界一の長寿国と言っても、愚僧は人生の半分以上が過ぎてしまった。残りの日々の方が少ない筈。・・・・・

山葵の花が

2009-03-25 11:49:09 | Weblog
ワサビの花が、庫裏(僧侶の住居)の裏に咲いていました。今まで、全く気が付く事はありませんでした。確かに、拙寺の庫裏の裏には藤原岳を源とする水が引き込んである。ワサビは、山水でも清らかな水にのみ育つ花。育つ条件は満天であるが、なぜワサビの花が突然咲いたのか頭を悩ます。愚僧も、若い頃に山岳部の生徒を引率して、藤原岳の裏側にワサビ等の山菜を春になると登山をかねて取りにいったもの。それにしてもなぜワサビの花が・・・・・・
そして、突然ひらめいたのです。2年程前に、お隣の門徒の方が「ごえんさん、ワサビを取ってきたから、育つかもしれないから裏に植えておくからね」と。つくづく思います。野生の生命力はたくましい。幾重もの育つご縁(原因・条件・結果)があれば、ちゃんと花が咲くのです。

女人講の報恩講

2009-03-22 23:44:31 | Weblog
3月20日(金)に、拙寺の女人講報恩講が開かれました。でも、今年は近在にてお葬式が相次ぎ、関係者の方が参加できない、又は疲れ果てて(愚僧もその一人)とても女人講に参加どころではないという状態。結局29名の方が参加していただく。愚僧の法話も、「お葬式について」。最近、拙寺の近くでも葬儀社の会館が相次いで進出。自宅葬が当たり前であったのが、大きく変わろうとしている。当然、混乱も起こってくる。混乱の最大の原因は、初七日が葬儀当日に行われることによる。一体どこからどこまでが葬儀なのか見分けがつかなくなっている。葬儀とは、枕経から始まり、お骨となり、そのお骨が家のお仏檀(又は、中陰檀)に帰るところで終了する。だから、お骨が帰れば還骨の法要を勤める。お経は、仏説阿弥陀経。御文章は、有名な白骨の御文章である。だから、当然の如くに還骨の法要は、自宅が望ましい。故人も、会館での還骨の法要を望んではいまい。初七日は、あくまで葬儀とは関係のない仏事であることを確認したい。ちなみに、拙寺の枕経は伝統的に24時間態勢となっている。深夜であろうが、明け方であろうが関係はない。これは、今後とも守って行きたい。さて、女人講であるが、すべて参加者は女性である。男子は、愚僧一人。さすがに、女性のパワーに押される私でありました。(写真は、女人講の総会の様子)

遅咲きの花々②

2009-03-22 17:09:10 | Weblog
世間では、1月下旬から3月上旬にかけて咲く水仙の花。拙寺では、ようやく満開を迎えた。どうしてかなと頭をひねるが、回答はなし。フト気がつけば、この水仙の球根は、はるか昔に水仙の故郷である越前にて買い求めたもの。そうか、寒いところの球根だからと一人納得。しかし、本家の越前では、水仙の花はもう咲いていた。

遅咲きの花々

2009-03-22 16:46:46 | Weblog
世の中は、暖冬の影響で桜の開花が続々と。しかし、三重県北部の山里にある拙寺では、どういう訳か全ての花の開花が世間様より遅咲き。つまり、お隣の家で桃の花が咲いていても、拙寺の桃の花は蕾のままという状態。見方をかえれば、立地条件等から拙寺の花々は温暖化に影響されていないとも言える。(少し苦しい言い訳)正直に書けば、肥料を全く与えてないのが最大の理由か。しかし、着実に春本番に近づいている。写真は、ツツジ科の馬酔木(あせび)の花。満開を迎えている。それにしても、人間も遅咲きのタイプがあるという。それならば良いのだが。

日本海から吹きつける風のために

2009-03-22 00:20:36 | Weblog
過去何度も居多浜を訪れている愚僧ですが、今回初めて実感したことがあります。それは、本当に大切な場所を理解しようとすれば四季を通じなければ判らない事があるという事。何故ならば、上陸記念堂周辺の木々は、強風の為に一定の方向に見事に曲がっていたのです。(写真をみれば一目瞭然)今まで、夏場を中心に訪れていましたので、木々が緑に覆われそんなには思わなかった事でした。このような自然の猛威の中で、私の親鸞聖人は7年に及ぶ越後の生活をおくられたのです。思わず「ウーン」と一人でうなずく愚僧でした。