明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

196000人 2月定例法座(たとい罪業(ざいごう)が深重(じんじゅう)なりとも)

2014-02-28 19:43:38 | Weblog
昨日(2月27日)は、定例法座(毎月第4週木曜日午後2時)でした。雨でしたが、皆さん定刻よりかなり早くお参りです。何故か常連さんが3名ほど欠席でしたが、初回の方もあり10数名のお参りとなりました。でも、いつも参加していただく人の顔が見えないと「どうされたのだろうか?」心配になります。そこで、法座の後電話・・・・・そして、納得です。

定例法座は、和讃は繰り読みをしていますから、今回の使用和讃は『高僧和讃・・源信讃』より
「専修の人をほむるには
千無一失とをしへたり
雑修のひとをきらふには
万不一生とのべたまふ」
・・・以下5首でした。
さて、本日の法話は『末代無智の章』の「たとい罪業(ざいごう)が深重(じんじゅう)なりとも」がテーマ。
善鸞事件を例にあげました。善鸞は、聖人のご長男。この方が、聖人の名代として関東に赴き、結果として関東門弟集団が大混乱に陥りました。大混乱の原因が、我が子の善鸞の行動でした。事態収拾の為に、聖人が取られた行動は善鸞を義絶でした。世にいう善鸞事件です。聖人84歳の出来事でした。親を裏切り、そして結果として念仏の法を裏切った善鸞の行動は、聖人をどれ程悲しませたのでしょうか?
しかしです。聖人の思いは「阿弥陀如来の大悲の願いは、そんな善鸞にこそ向けられた願いであるぞ。気がついてくれよ」との悲痛な叫びであった筈です。なぜならば、真宗の肝要は「悪人正機」の教えであるからです。
本日使用の和讃のなかに、
「煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
常にわが身を照らすなり」
という有名な和讃があります。
この和讃の心は・・・・
常に照らしていただく大悲の光は、わが身をも照らしていただいているのであるが、自分勝手な自己中心で物事を判断(これを煩悩といいます)する私であるが故に、その光を見る事はできません。しかし、そんな私をも大悲の光は止むことなく照らしていただいているのです。それが「末代無智の章」では、「たとい罪業(ざいごう)が深重(じんじゅう)なりとも」と表現されているのです。こんな法話でした。
明日から、永代経法要です。(3月1日2日午後2時から)ご講師は、飛騨組神通寺住職の朝戸臣統先生です。また、3月1日午後7時から、自坊仏教婦人会の研修会が開催されます。是非、お参りいただければ幸いです。
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聞法(もんぽう)第115号の一面記事(お仏壇とご文章)

2014-02-28 08:22:21 | Weblog
自坊の新聞が、「聞法」という新聞です。今回の最新号にて第115号となります。不定期の新聞。それでも、年4回から5回程度は発行してきました。その第115号に一面記事が、「お仏壇と御文章」です。以下は、第1面記事です。
「阿弥陀様の願いを信じてお念仏申す者は、「必ず救くわれる」とあきらかにされたのが親鸞聖人でした。この阿弥陀様がおられるのがお仏壇です。ですから、お仏壇の置かれている仏間は、皆さんがお参りできるように広い畳の空間があります。ここでお勤めをし、手を合わせお念仏もうしましょう。そして、お話を聞かせていただくのです。お話を聞くとはなんでしょうか?
『ご文章』(お文)です。仏壇に備え付けの『ご文章』のなかで、手垢で真っ黒になった古い『ご文章』があります。この手垢こそ、顔も名前も直には浮かぶことのない皆様のご先祖が代々読み継がれてきた証拠なのです。
写真・・・准如上人筆の「ご文章」(約400年前のもの)北勢町の自坊門徒蔵。裏表紙に釈准如の署名と彼の花押(かおう)であるサインが見えます。准如上人は本願寺が東西分裂した際の宗主です。

「聖人一流の章」の箇所。左下の箇所が手垢に汚れて真っ黒になっています。いかに拝読されてきたのかを物語るものです。

『ご文章』は、蓮如上人が私達に出されたお手紙です。親鸞聖人のみ教えを、誰にでも判りやすくお書きいただいたお手紙なのです。
 しかし、『ご文章』の拝読まではとてもとてもという現状があるようです。そんな貴方に、「聖人一流(しょうにんいちりゅう)の章」・「末代無智(まつだいむち)の章」だけでも繰り返しお読み下さい。『ご文章』は不思議な読み物です。最初は意味不明でも、気がつけば真宗の味わいがいただけるといわれています。「読書百篇おのずから意味とおる」と蓮如上人は言われています。
お仏壇のある仏間は、『ご文章』を通じてここに身を置くだけで心が落ち着く場所となり、私の生まれる以前から、私の居場所が用意してあった場所と変わるのです。仏間は、そんなことを感じさせてくれる大切な空間なのです。
写真は、ご門徒宅報恩講のお仏壇の荘厳。素晴らしい荘厳とお飾りです。おのずから感謝と報恩の気持が表れる。それがお仏壇の荘厳です。地元ご門徒宅のお仏壇の荘厳。

先ずは、お仏壇のご本尊「阿弥陀様」に両手を合わせ合掌しましょう。そして、お念仏とは阿弥陀様の「我にまかせよ」との私に対しての呼び声であると聞き開き、「有難うございます。」とお念仏を申しましょう。『ご文章』は、この事が書いてあるのです。」 
合掌

薪割(まきわり)ご苦労様です・・・

2014-02-28 00:28:44 | Weblog
さて、輪切りになったタモの木の後始末です。報恩講に際して、必要な薪はこの間の伐採
作業で完全に確保。

そこで、お隣がこの秋から薪ストーブの導入を考えておられることを思いだし、「タモの木いらないか」と話ました。タモの木は、硬くで薪にも最適。薪割の始まりです。しかしながらこれが大苦戦の始まり。硬いのです。彼がいくら力んでも、並大抵の力では全く受け付けません。考え込むことしばしです。

それでも諦めずにただひたすら・・・

ハンマーまで持ち出して苦節4時間あまり。ようやく薪割は終了。周囲には、木の香りが漂い・・・・最高の薪が出来上がりました。




よせばいいのに・・・・・・

2014-02-27 23:04:41 | Weblog
よせばいいのにパソコンが置いてある机の下を掃除しようと思いたったのが2月22日深夜。ソチオリンピックの見すぎのために、意識朦朧・寝不足のままで掃除をしたのが運の尽きでした。ブログ投稿の為に、掃除終了後にパソコンを起動させインターネットに接続を試みましたが接続不良の表示。あちこちと点検してみましたが原因不明。とうとう私ではお手上げ状態。知り合いの専門業者の方に本日(2月27日)見ていただきました。理由は簡単。机を移動させた事により基本的なコンセントが一本抜けていたのです。わざわざ来ていただくまでもなかったのです。申し訳ないほどの簡単明瞭なミスでした。
ブログ投稿も、上記理由により長期間のお休み状態が続きようやく本日の投稿の運びとなりました。
2月21日(金)
岐阜県大垣市上石津町より、待望の職人さんが来ていただきました。今では数が少なくなった樵(きこり)さんです。彼は、この道70年の大ベテラン。今までも、大きな木の伐採には必ずお願いしている方です。
枯れてしまった杉の伐採から始まりました。この杉、白壁と法要懇志札の間にあり、おまけに牡丹の枝も並んでいます。根元からの伐採は不可能状態。そこで、枯れた杉の上から順番に輪切りにして下ろしていく根気の作業となりました。


この作業、2時間余りで終了。休む間もなく裏の急斜面にある雑木林に移動。2本のタモの木の伐採です。タモの木は、硬くて木目が綺麗。家具の木材加工には最適とされていますが、この際に伐採していただく事になりました。幹周りは、40センチ程ですが樹高は20メートル余りもあります。この木を、他の木々を傷つけないように狙った箇所に倒していくプロセスはまさに名人芸。ご覧あれ・・・・・


手前の巨木は、檜(ひのき)です。樹齢300年程度とか・・・

ドンピシャです。予め予定していた場所に・・・・この技は、長年の経験の積み重ねのなせる技なのす。

そして、こちらの希望により割木にしやすいようにと輪切りにしていただきました。


いよいよこの秋から冬にかけては、大杉数本の伐採が待っています。



194000人 自然体の難しさ

2014-02-22 05:07:33 | Weblog
ソチオリンピックも最終版。ここに来て、日本選手の活躍で連日のメダル。でも、やはりというか浅田真央ちゃんのフリーの滑りは感動もの。メダルには届かなかったけれど彼女の滑りには悲壮感が溢れ、全ての人の心打つものがありました。メンタル面で、とことん追い詰められた人のみが放つ輝きなのでしょうか?まるで修行僧の如くです。そんな風に思いました。
仏様を見る修行を「観想行」といいます。『仏説観無量寿経』の説くところです。いうなればイメージトレーニングです。メダリスト達は、東西に限らずこのイメージトレーニングが優れた人達です。メダリスト達のインタビューを改めて実感しました。人間の可能性・潜在能力の素晴らしさを見た思いです。「真央ちゃんお疲れ様」と声を大にして叫びたいものです。
そして、映像から流れるソチでも季節は着実に春を思わせる風景になってきました。春近しです。春は、生きとし生きるものが「いのち」を爆発させる季節です。自然界も来るべき春に備えて準備万端なのです。
自坊の境内の片隅で、水仙の花が咲いていました。この水仙の球根は、20年程前(教員の時代)に福井県の水仙の里で購入したもの。確かシーズン最盛期の越前蟹を食べに教科(社会科)の皆さんを旅行した際に求めたもの。今年も、例年通りに2月下旬に高貴な香りを漂わせて一斉に開花。茎は、短くなっていますが・・・・・


この連年通りという自然体が人間には極めて難しいのです。どうしても自己の考えが頭をもたげます。そして悪さをします。生まれ落ちてからこれまで自己中心が消える事は絶対にないのです。これがコントロールできる人を悟った人、つまり仏陀(仏様)と呼ぶのです。ですから如何に困難な事であるかが判ります。親鸞聖人には、「自然法爾(じねんほうに)と呼びます晩年の澄み切った心境を表わした短編法話があります。別の手紙には、「『宝号経』にのたまはく、「弥陀の本願は行にあらず、善にあらず、ただ仏名をたもつなり」。名号はこれ善なり行なり、行といふは善をするについていふことばなり。本願はもとより仏の御約束とこころえぬるには、善にあらず行にあらざるなり。かるがゆゑに他力とは申すなり」とあります。(807ぺへ)浄土真典聖典807頁
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闇のなかにこそ光がある・・・・

2014-02-18 15:53:09 | Weblog
ジャンプ団体の銅メダル。胸が篤くなりました。長野オリンピックにて、白馬のジャンプ台にての金メダル以来です。興奮の坩堝(るつぼ)とかした現場にて、観戦した一人としてあの時の興奮は決して忘れる事はありません。あれから16年が経過しているのです。文字通り悲願の銅メダル。
その原動力になったは、いわずと知れたレジェント葛西。この16年間の彼の歩みを知るにつけ、彼の歩んできた道のりの厳しさと激しさに涙した日本人は多いのではと思います。心の闇(やみ)のなかでの不断の努力。何がここまで彼を支えてきたのでしょうか?凡人の私には理解できかねています。ただ、移り気な日本のマスコミにも彼ならば過(あやま)たず対応し、決して溺れる事なく次回のオリンピックに挑戦するのであろうと思うのです。
2月16日(日)京都・滋賀県大津行き。出発が大幅に遅れ午後からとなりました。当然、帰りも遅くなり大津を出発したときには夜のとばりが包んでいました。
大津市内の路面電車(車内より撮影)

事情があり、帰路は名神高速は封印。国道1号線・国道8号線を使用。そして、421号線にて石榑峠トンネルを通過して自坊へのルートを選択。永源寺を過ぎ、湖畔道路を走る頃からアイスバーンが所々で。雲の合間から、時々顔を出す月光を受けてアイスバーンが顔を出しています。

車と一台も交差する事なく、真っ暗な闇の中をひたすら石榑峠トンネル目指して駆け上がっていきます。そして、暗闇のなかで、光り輝く石榑峠トンネルが飛び込んできました。

頭に浮かんだことがあります。親鸞聖人のお言葉「ひそかにおもんみれば、難思(なんし)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)、無碍(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)なり。」(浄土真宗聖典註釈版131頁)です。
これはこれ聖人生涯の書である『教行信証』は「総序」冒頭の余りにも有名お言葉。阿弥陀様の本願の力は、さんざん道に迷い道理に迷い、そのなかにあっても道を求める者には、光輝く光明の海に導く他力の救いがありとされ、それは心の闇にあっても輝く太陽のごとくと歌われています。そういえば真宗連合が発行している法語カレンダー2月に「人は 法を求めるに止まって 法に生きることを 忘れている」とありました。法に生きるとは真宗的表現。葛西選手の16年の苦難の歩みは、「法に生きる」という事は何かを見事に体現しているように思うのです。

雪の石榑峠トンネルを越えて

2014-02-16 00:04:02 | Weblog
ソチオリンピックが始まって、今日が丁度折り返しだそうです。日本選手の活躍もあり完全に寝不足気味。ブログの投稿もお留守状態が続いていました。日本列島は、先週に続き大寒波襲来。首都圏・甲信地方を中心に、近年にない記録的な積雪となっています。そして、高速道路網も各地で通行止め。経済的にも大きな影響が出そうです。自坊の周辺でも、2月13日の深夜から雪が降り始めて14日(金)には10センチ程度の雪が積もりました。
でも、どうしても京都に行かねばなりません。思案の結果、鈴鹿山脈北部を横断し滋賀県は八日市インターより名神高速を利用するルートに決定。つまり、雪の石榑峠トンネルを利用する国道421号線ルート。三重県側は、2月14日の午後遅くには雪はシャーベット状態でした。しかし、石榑峠トンネルを抜ければそこは完全な雪国でした。
石榑峠トンネルを滋賀県側に一歩でれば氷点下。激しく雪が舞う真冬の世界。

国道421号の通行確保の為に除雪車が出動しています。

除雪車も近くまできますと、その姿は迫力満点。自坊から、20分程にて除雪車との遭遇。別次元の世界が展開しているのです。

421号線の滋賀県側は、懸命の除雪にもかかわらず雪道。慎重に慎重に運転。(しかし、走りながら車内にて撮影しているのです。これが慎重な運転とは到底・・・・)

いいのです。この間すれ違った車はこの一台のみ。しかも、この車の運転手さんは雪道の運転に緊張し、車外にて・・・・・の最中でした。

里に下りましても、村人の皆さんは除雪の真最中。

さて日付は変わって2月15日(土)。京都にて、野暮用を次々と消化し法衣店さんに飛び込みました。念珠等の買物は横に置き、目が釘付けになったのが下の写真。

上の写真は、何だか判りますか?灰皿なのです。純銀製の灰皿。当然、下の写真の如くにお値段もすこぶる高価。たかが灰皿。信じられない値段。「何でこんな物を展示してありますの?」と素朴に質問。お店は、答えて曰く「京都の一流伝統工芸品とご理解いただきたい」との事でした。明日も、京都へ・・・・

お見舞いの帰りに・・・美濃国分寺跡

2014-02-10 22:16:58 | Weblog
2月10日(月)、午後から大垣市の病院にお見舞いに行きました。お見舞いを済ませて、自坊に帰る際に少し寄り道。大垣市垂井町にある美濃国分寺跡を見学。
写真・・・・東西南北300メートルに及ぶ広大な国分寺跡。昭和43年・46年・49年に本格的な発掘調査の結果、その全貌が姿を表しました。写真は、美濃国分寺の表玄関である南門跡より撮影。

日本史の教科書程度にか書く事はできませんが、国分寺・国分尼寺の建立は、奈良時代の聖武天皇が国家統合イデオロギーとして華厳(けごん)仏教の思想を採用し、国内の各国に設置を求めたもの。その中心寺院が、奈良の東大寺。いわゆる天平文化の花開く時代です。)美濃意国分寺は、東国との主要幹線道路である東山道(とうざんどう)に面した絶景の位置にあります。(東海道が主要道路になるのは鎌倉以降)この青野原に、天平文化の香りがする美濃国分寺が建立されたのです。8世紀中頃に完成したといわれています。
写真・・・発掘結果に基づき再現された美濃国分寺の威容。正面の門が南門。

写真・・・美濃国分寺に使用された瓦。現地で製造された。

しかし、877年に大火が起こり華麗な建造物は全焼。国分寺跡にたたずみますと松尾芭蕉の「夏草や、つわものどもが 夢の跡」の句が頭をよぎります。そこで一句。「冬枯れや 見渡す限り 哀れかな」・・・最高傑作の俳句???。俳句を読みながら写真を一枚。

それにしても、当時の美濃国の国府、そして国分寺は余りにも西に寄りすぎていなのかと思うのです。不破の関(関が原)に近すぎます。3時間も歩けば、お隣の近江国(滋賀県)です。東濃地方(恵那・中津川・土岐)ははるか彼方。これで、広大な美濃国を納められたのでしょうか??????

中仏通信制東海支部学習会・・・・テーマ(善鸞)

2014-02-10 11:44:27 | Weblog
2月9日(日)午前10時から名古屋別院にて中央仏教学院通信制東海支部の学習会がありました。前日(2月8日)のから、知多半島内海で交流会(宿泊)がもたれており参加予定でしたが、寒波襲来で高速道路網が各地で通行止め。今後の展開が予測不可能な為に今回は断念。
写真(2月8日の岐阜県大垣市上石津町)・・・結局は、心配する程の雪とはなりませんでした。関東・甲信地方は大雪です。

学習会は午前10時から。遅刻気味で名古屋別院に到着です。皆さんはすでに学習モード全開。

持ち時間は、10:00から12:30までの2時間30分。今回の学習会のテーマは何と「善鸞」です。正式に書けば「慈信房善鸞」。親鸞聖人のご長男(?)にして、聖人にとり最大の不幸である「善鸞事件」を引き起こし人物。関東の門弟集団の混乱を納める為に、聖人が断腸の思いで書かれた「善鸞義絶状」により親子の関係を断たれた人物。それが「慈信房善鸞」でした。殆ど善鸞側の資料等は抹殺されたのか残っていないために、「善鸞事件」を語る時はともすると欠席裁判に等しい扱いでした。
曰く、「極悪非道」・「蛇蝎のような人物」・「語るもおぞましい人物・「ダイバダッタのような人物(お釈迦様を裏切り、仏教教団を我がものにしようとした人物。仏説観無量寿経の王舎城の悲劇として名高い)」等です。しかし、「そうではないだろう。善鸞事件の本質は善鸞一人に罪をかぶしてしまう事には到底無理があり、善鸞の悲しい生い立ち、関東門弟の動きも視野に入れて考えなければならないのではないか。つまり、善鸞事件は起こるべきして起こった。」というのが私の講義内容でした。勿論、参考資料として採用しているのは『本願寺史第1巻』です。750回忌大遠忌法要の記念事業として増補・改訂された『本願寺史第1巻』ですから、真宗史の決定版。最近の研究成果が盛り沢山です。ここを基本線に講義しました。

善鸞の数少ない御影・・福井県鯖江市の證誠寺(蔵)真宗山元派の本山。

中日新聞では、五木寛之さんが「親鸞」を連載中です。しかも、今まさに「善鸞事件」を取り上げておられます。是非、読まれることをおすすめいたします。大幅な脚色等もありますが、時空軸はぶれていないと思うのです。
学習会修了後、内海の交流会(2月8日)を欠席しましたので、東海支部の役員さんからお土産を頂戴しました。この心づくし本当に有難うございました。

帰りに大須の古本屋さんを探索。ありました。蒲池勢至著の「太子信仰」です。古本ですから2600円にて購入。読みましょう。


親に言う事は聞くもの・・・・

2014-02-09 00:46:05 | Weblog
ソチ冬季オリンピックが始まりました。又、我が家は寝不足な夜が続く事と思われます。羽生選手の完璧な演技には甚く感動。今後とも、日本選手の活躍を期待したいものです。さて、昨日(2月8日)の午後ですが、息子が「手伝ってやる」という事で、裏の崖斜面の伐採作業に入りました。
裏斜面の雑木林の斜度は結構キツイのです。50度から70度はあるでしょうか?そこでの伐採作業。当然、伐採した木は薪使用に短く切断。(これは私の担当)写真は、伐採した椿の枝。

息子は、薪を小型ザックに入れて所定の場所に運ぶ役目。これが一番大変なのですが・・普通は、崖を登る場合は直登はせずに、斜面を横断する方法でジグザグに登るもの。こちらの方が距離は長くなるが極めて楽。しかし、止めるのも聞かず息子は「余裕」と急斜面を直登。案の定です。急斜面に足を滑らして、小型ザックから薪がこぼれ落ちました。

結局、足場が悪い急斜面をこぼれ落ちた薪の回収にてんてこ舞い。

こういう場合は、経験豊富な親のいうことは聞くものです。結局、息子も斜面も斜めに登っていきました。彼の努力により、かなりの薪を上にあげる事ができたのです。感謝・・