明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

ほとけさまのお話シリーズ 第4回(縁起の法・・その1)

2011-09-30 23:53:13 | Weblog
今日は、午前10時30分より員弁組門徒総代の研修会が湯ノ山希望荘であった。午後、尾張旭にて百日法要がある。そこで、適度の時間に退出する為に、自分の車にて自坊の総代さんと共に出席。

さて、この研修会の空き時間に、希望荘周辺の山道を歩いていると、道端に名前も知らない山野草が咲いていた。普通なら、誰も見向きもしない山野草である。



しかし、写真の山野草にもいのちがあり子孫繁栄の為に花を咲かすのである。よくよく考えてみれば、「見向きもしない山野草」とは、すべてが私達の都合で勝手に決めているに過ぎない。山野草の立場にたてば、あずかり知らぬ人間の一方的論理となろう。この事は、私達の日常生活でよく耳にする「今日は、縁起(えんぎ)が悪い」とかの言葉も同じ事です。縁起(えんぎ)は、かつぐものではありません。したがうものなのです。もともと縁起(えんぎ)には、よいも悪いもありません。すべて、私達が自分にとっての都合で決めているだけの話。

縁起(えんぎ)とは、したがうものなのです。したがわざるをえないものなのです。釈尊(お釈迦様)の悟りの内容は、これずばり「縁起の法」でありました。縁起とは、因縁生起(いんえんしょうき)の略の言葉。一切のものごと、できごと、成り行きは、まず因(原因の事)があり、そこにさまざまな縁(条件の事)がつながり、ひろがって果(結果の事)が出る。つまり、因(原因)・縁(条件)・果(結果)の法則が、縁起の法なのです。これを簡単にいえば、自業自得(じごうじとく)の論理ともいえます。自分にふりかかる出来事は、よいわるいは別にして、その原因は全て自分にあるという事です。だから、したがわざるをえないのです。釈尊の仏法の根本がここにあります。なかでも大切な事は、縁(条件)なのです。すべての出来事、成り行きは条件により刻々と変化するのです。因(原因)はひとつでも,縁(条件)が変われば、果(結果)が変わるのです。よく考えたら当たり前の話。だから、流動的なのです。これを諸行無常と呼ぶのです。明日に続く







ほとけさまのお話シリーズ第3回(無常感と無常観の違い)

2011-09-29 23:05:05 | Weblog
「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とは、高校時代古典の時間に習った『方丈記(ほうじょうき)』の有名な一節。鎌倉時代初期の鴨長明(かものちょうめい)の作品。写真は、自坊の前を流れる用水路。水量豊かに流れている。昭和30年代後半まで、生活の全てで使用されていた。勿論、飲料水でもあった。源は藤原岳に発する名水である。今は、農業用水としてのみ使用されている。

上記の『方丈記(ほうじょうき)』の一節は、仏教的思想を背景に、河の流れを人生になぞらえて書かれている。河の流れは、いつも同じように流れていますが、よくよく考えれば流れている水は全部はじめての水の筈。日本は、水には恵まれた国。だから、水道の蛇口を捻(ひね)ればいつでもあるように思っている。昔の人は、同じ用水路の水でも使用ルールが決められており、大変貴重なものとして扱った。米粒一粒も流すことは無かったと聞いている。それが、現代はやりたい放題。断水となり、始めて水の貴重さ、大切さが判るというお粗末な話。それで、河の水を見てもなかなか鴨長明(かものちょうめい)のようセンチメンタルな気持ちにはなれない。でも、河の流れは人生そのもの。

人生は、誕生し、育ち、学び、働き、恋をし、失恋し、結婚し、成功し、失敗し、悩み、苦しみ、喜び、病気となり、老いて、死んでいく。まさに、人生は河の流れである。しかも、河の流れは水滴の集まり。一滴一滴の水滴は、集まり流れ下る。水滴そのものは、始めて流れくだっている。私は、今年で59歳。来年の2月10日で60歳となる。私にとっては、59歳と一口に言っても、はじめての59歳の日々をおくっている事になる。しかも、自分の河の流れがどこまで流れていくかも不明である。ここのところを『方丈記(ほうじょうき)』は、次のように述べている。「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし」とあり、人の一生を、水面に浮かぶ泡にたとえている。泡は、つかの間に消えるものである。そういえば、バブル経済も見事に弾けた。ここまでくると、私達は蓮如上人の「白骨のお文」の一節が頭に浮かぶ。「されば、朝(あした)には、紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」である。
鴨長明(かものちょうめい)は、『方丈記(ほうじょうき)』の中で無常感を切々とつづるのである。はかない命を散らす、桜吹雪が大好きな日本人の好みにはピッタリの表現である。しかし、仏教でいう無常は、違うのである。無常観という。読み方は同じでも、感と観はおおよそ違う。感は、感傷的な感。観は、しっかりと見る観なのである。何をしっかり観るのか?水面に浮かぶバブルは、一瞬で消えうせても、その一瞬を見事に生ききっているバブルを観るのである。だからこそ、釈尊(お釈迦様)は法句経(ほっくきょう)にて、「やがて死すべきこのいのち、今いのちあるはありがたし」と述べられた。「ありがたし」を漢字で書けば「有難し」となる。あることが難しいこの一瞬を、生きさせていただいている事に感謝し、必死で生きよという事に他ならない。蓮如上人も、「白骨のお文」の結語には、「たれの人もはやく後生の一大事をこころにかけて」とお示しである。
最後に下の写真。

二本の水路から、水が合流して一本の水となっている。しかも、何のわだかまりもなく最初から一本の水であったかのように流れる。これを見ていると、縁により恋仲となった二人が、苦しみもがきながらも一身同体のごとくになる様を考えてしまうのだが・・・・



ほとけさまのお話シリーズ 第2回「背後の力」

2011-09-28 22:16:35 | Weblog
昨日は、ブログはお休みでした。理由は単純明快。日本酒の飲みすぎ。昨晩は、先日行われた「藤原町の仏教文化展」の打ち上げの会議。

700名以上の来訪者を得て、成功裡に終了した仏教文化展。その為、実行委員の皆さん非常に意気軒昂。普段は、飲まないようにしている私も勢いに任せて・・・・お酒は「百薬の長」ともいいますが、限度を超えて飲めば後は苦しいだけ。結局ダウン。
さて、9月22日の事です。お仏壇の上に上げる額の件で、ご門徒のご婦人が来られました。自坊のご門徒の大半は、お仏壇の上に額をあげておられる。その大半は、「無量寿」と書かれてあるケースが殆ど。「無量寿」、このお言葉は阿弥陀様のお働きを示す大切な言葉。故に、お仏壇の上に「無量寿」の額が掛けられていれば、このお仏壇のご本尊は「阿弥陀様」という事になります。写真は、ご婦人がお持ちになった「無量寿」の額。

ここで、「無量寿」について考えてみたい。『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』という経典の中に、「仏を信じる人は、背後の力、背後の大悲を信じるから、心が広大で焦らない」というお言葉があります。つまり、仏教とは、背後の力、背後の大悲を知らせ、気づかせる教えという事です。
背後の力とは私の常識的理解を超えた働きを言います。つまり、私をして私たらしめてきた、過去から無限のいのちのつながり、「無量寿」です。

そして、もう一つが私を私たらしめている無限の縁、この世は縁(条件)により成り立っていることを知る「無量光(むりょうこう)」。それを、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』では、「背後の力」と表現し、私達真宗門徒は「他力」とも、「無量寿」・「無量光」=阿弥陀様の本願(ほんがん)とも表現してきました。
その「背後の力」・「他力」・「無量寿」・「無量光」の働きかけ、呼びかけ、願いの根本の心が、「大悲(だいひ)」です。
「大悲」とは何か。「如来大悲の恩徳(おんどく)」という言葉を、真宗門徒はよく耳にします。「大悲」とは、慈悲の中でも最高の慈悲。つまり、仏の真理である法を破り、法に背く者(この私達、私自身)でも全て無条件で包み込もうという慈悲を言います。
少し難しくなりましたが、判りやすく説明すれば、悲の字は、非(あら)ずの心と書きます。「そうでないんだよ。ちがうんだよ」と、首を横にふっておられる如来様の悲しみ、痛みの心が悲の意味。そして、悲とは否定の意味。部分的なミスではなく、抜本的に間違った考えで生活していることを、「どうか気づいてくれよ」の働き、呼びかけ、願いです。その働きかけを聞き、うなづくところに、開かれた仏の世界があると『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』は述べているのです。
ここのところを真宗では、「南無阿弥陀仏」のお言葉こそ、「我にまかせよ。我をため」の阿弥陀様の呼びかけと教えられてきました。この如来のお言葉を聞けば聞くほどに、私自身が見えてくると先哲は教えられています。この「無量寿」の文字は、大谷本廟第1無量寿堂の完成記念品。全門徒に配布されたと聞いています。先年お亡くなりになられた前門様の染筆コピー。

ところで、先ほどの額ですが、よく見ると線が2本入っています。このご婦人、「無量寿」の紙を、表具屋さんではなく額屋さんに持っていかれた。だから、裏打ちがしてありません。それで線が消えないのです。事実、テープで貼ってあるだけでした。そこで「何とかしてね」と自坊に持ち込まれたのです。結局、いつもお世話になっている表具屋さんに来ていただき表具することになりました。物事は、安さに釣られずに判断する事こそが大切という教訓となりました。

ほとけさまのお話シリーズ 第1回「いのち」

2011-09-26 23:42:01 | Weblog
今、自坊の周辺では彼岸花が最盛期。田圃の畦には、彼岸花の赤が咲き乱れている。

不思議な事に、最近の彼岸花はまっすぐ立っている。子供の頃はそうではなかった。学校の帰りには、棒をもち彼岸花を切り倒すのが仕事であった。枯れるまで彼岸花が咲いている事は殆どなかった。

子供達は、外で「アホ」な遊びをしなくなったといえばそれまでであるが、それにしても、川で泳ぐな等規制がやたら多い。アウトドアスポーツと言っても、所詮それは造られたものにすぎない。つまり、自然との遊びを通じた本当の体験学習ができないのである。昔は、山栗の生る順番まで知っていた。先輩から教えられたのである。これで、本当に「いのち」というものが実感できるのかはなはだ疑問。実感できなければ、「いのちを大切に」という言葉も空言に等しい。そうであるかのように、毎日、テレビ・新聞を通じて目に入ってくるのは、「いのち」を傷つけるニュースばかりである。ここで、思うのである。現代人は、「いのち」という言葉を日常的に使いながら、「いのち」そのものが見えなくなっているのではないかという事である。無理もない。脳死判定等、「いのち」の根源に関する事まで、その時代の価値観に左右されている昨今である。

ここで、考えてみた。父母、祖母から、子供の頃に「いのちを大切にせよ」とは言われた事がない。どのように言われてきたか?「わが身を大切にせよ」である。そういえば、今でも手紙等では最後は「時節柄、ご尊体にはくれぐれも留意され益々のご活躍・・・・」と書いている。
仏教経典にも、「いのち=生命」という言葉は私の知る限り出てこない。その変わり「身命」という言葉に行き当たる。
歎異抄にも第2条冒頭にて、「おのおの10余箇国の境をこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたもう御こころざし」とある。また、先日千秋楽を迎えた大相撲でも、貴乃花が横綱になった時に「不惜身命」と言ったことは記憶に残っている。何れも、「いのちがけで」という意味である。
今、私達が生きているこの「いのち」は、父母と縁として恵まれれたこの「身」なのです。ですから、「いのちを大切」にするという事は、この「身」を大切にする事なのです。浄土真宗の最も大切なお経である『仏説無量寿経』には、端的に「代わるものあることなし」と表現しています。世界中、どこを探しても、この身=この私は二つとないのです。オンリーワンです。「いのち」を考えるという事は、この身命に目をむける事なのです。自業自得の悪行で自分自身が苦しむのを「身からでた錆(さび)」というではありませんか。先人は、「生きる」ことも、常に「身」で考えていたのです。

この事は、法話を聞く時の心得でもあります。仏様のお話は「身」で聞くのです。「身命」という言葉が死後になった現代では、教えを聞いても、それを頭で聞いているのです。「判らん話」・「面白い話」・「ためになる話」等です。先人は、今日の法話は「身にこたえた」・「身にしみた」等と表現しています。先人達は、幼き頃から大自然と触れ合う中で「身命」を会得してきたのだと思います。写真は、藤原町の田圃に建つ案山子(かかし)。

案内板があった。何と書かれていたか。「田んぼの学校」とあった。学校・塾よりも学ぶべき事が多い場合もあるのです。



68000人 総代さんも足場に

2011-09-26 19:26:29 | Weblog
本堂向拝(ごはい)の工事もいよいよ佳境。そこで、自坊に来られた門徒総代さんも向拝(ごはい)の工事の現場を見学。
9月10日(世話方の皆さんと工事見学)とは、余りに違っている向拝工事の現場にビックリ。

写真は、棟梁から説明を聞く総代さん。手前の破風板も、痛みの酷い箇所は新しく接いであります。その技術に感心される事しきり。

写真は、向拝(ごはい)を支える4本の柱の修正作業。普段見慣れている向拝(ごはい)の柱。その柱も、大きく傾斜していると言う。「うそ」だろうと思いましたが、よく見るとかなり前後にお辞儀しています。その柱が、本来あるべき位置に戻す作業。

私達は、普段自分の目は正しくもの見、耳はありのままに音や声を聞いているつもりです。この事には何の疑いもはさみません。思い込んでいるのです。これは、本当によい教訓となりました。
自坊ブログの訪問者が、本日で68000人(正確には、68314人)を超えていました。いつも訪問していただき有難うございます。



本堂修復工事(比較22日23日24日)

2011-09-24 20:29:45 | Weblog
現在、本堂工事は同時並行にて4箇所で行われている。一つは、向拝(ごはい)部分、後は本堂北・南・後の三箇所。
9月22日
本堂屋根軒先北側部分。よく見ると垂木も痛みが酷い箇所は新しい垂木に変えられている。そして、軒先の「のじうら」も同様である。
跳ね木と接触部分がピタリといかず苦戦中。
しかし、うまく行きました。思わず微笑みが・・・・
9月23日
本堂後堂の軒先部分。後堂の軒先は、長年の風雪・風雨の為に痛みが酷く垂木の半分以上と「のじうら」の一部が新品と交換です。その上に、横向けに板をはっていかれます。他は、縦です。
昔の鎧(よろい)はりのような技法。見た目も鮮やか。

9月22日
本堂南側の軒先部分。本堂屋根の南側軒先の先端部分(のじうら)が、長年の風雨により完全に駄目状態。彼が、手間隙惜しまず木材を加工。曲線が出る部分です。微妙な修正に余念ありません。
見事な(のじうら)の曲線がピタリとでました。
垂木の上に、板をはっていきます。めっきり日没が早くなりました。写真撮影時間は、午後5時30分頃。夏時間から秋時間に。遠くの養老山脈は夕日を浴びて浮かび上がっていますが、大工さんは影絵のようです。傑作の一枚。
9月24日午前8時撮影
本堂北側屋根の軒先部分。垂木の上に略板がはられています。











本堂修復工事(比較9月22日と23日)・・・①

2011-09-23 23:56:22 | Weblog
9月22日
いつもにこやかな棟梁が、時折厳しい顔となる。それだけ重要な箇所に取り組まれている証拠。本堂工事も、向拝の屋根部分の撤去の段階から、新しく組み直しの段階に入っている。その重要なポイントとなる横木(棟梁から、呼び方を聞いたが覚えられず・・・)。その据付作業である。写真、本堂左右から新しい木材が伸びている。これが左右に全部つながればこの部分は完成。

繋いでいく木材を加工する棟梁。木材の性質を読み、慎重に加工。この時は、いつものように声を掛ける事ができない程に気迫が。
9月23日
次第に横木が伸びて行く。慎重にも慎重を期して。
<位置を決めるために、事前の準備。驚くほどの入念な作業である。
そして、加工された真新しい木材を運ぶ。かなりの重さの木材を軽々と担いで。
ピタリと決まり、残りは後一本となる。
勿論、工事はここだけで進行しているのではありません。各大工さんが、責任を持って本堂の各所で行われています。次回は、その報告。

おがくずと茗荷(みょうが)

2011-09-23 23:19:38 | Weblog
母親が、裏庭で大切に茗荷(みょうが)を育てている。あまり食べ過ぎると『何とかになる』といわれる茗荷であるが、自坊の場合は心配はない。まるで茗荷が生えないのである。そこで、大号令がかかった。「おがくず」を撒けというもの。
現在、本堂はご存知のように平成の大修復の真っ最中。大量の「おがくず」が出る。これを利用しない手はない。
そこで、大工さんの了解を得て下に積もった「おがくず」をかき集めた。これが結構な量となった。

裏庭の片隅に自生している茗荷。午前中から、草を刈り準備に余念なし。一応準備完了ということで、一斉に「おがくず」を撒いた。



来年こそは、さぞや大量の茗荷が生えることは間違いないであろう???いずれにしても、ご満悦の母親であった。



秋晴れ

2011-09-23 08:57:45 | Weblog
台風15号は、列島各地につめ跡を残して走りさった。何よりも、台風12号により甚大な被害を受けた紀伊半島、東日本大震災で苦しむ東北地方で、今回の台風は再び猛威をふるった。写真は、9月21日台風が浜松上陸後の空模様。進路に当たる地方では強風と大雨。進路から外れた場所では、ご覧の通り。たちまちに天気は回復の兆し。



自然の猛威と一口でいうが、苦しむ人々には不公平極まりない仕打ちに言葉もない。つくづく考える事がある。後20㌔~30㌔コースが違っていれば、三重県北部も何もなかったでは済まされないなかった筈。台風12号に関しては後一日降り続いていればであるし、台風15号では文字通りコースが少し違っていればである。大自然を相手にする時は、不可称・不可説・不可思議の理である。それを、最近は想定外と人が言うが、想定すること事態が人間のおごりであろうと思う。
しかし、今日はぬけるような青空・秋空である。こんなにも人に優しい事も自然はある。人は、自然と謙虚に付き合う事こそが肝要であろうと思うのである。仏教の摂理に通じる話となりました。



浜松に上陸・・

2011-09-21 15:10:05 | Weblog
テレビ等は、朝から台風情報。私も、ヤフーの雨雲の情報を常に確認。昨晩は、珍しく枕元に懐中電灯を置いてお休み。深夜に、本堂の様子を確認する積もりであっが、残念ながら気がつけば朝。午前6時50分にお朝事(朝の勤行)をしていますと本堂の足場の上から金槌の音がします。大工さん達が、台風直撃に備えて補強を。
さすがに大工さんの仕事。防水シートも、強風と雨の中でビクともせずに持ちこたえています。

棟梁も、周囲を確認中。心強い限りです。

でも、三重県北勢地方が台風の直撃を免れたという事は、どこかに上陸したという事を意味します。14:41分に静岡県の浜松市付近に上陸との報道。写真は、枕崎市の様子(ヤフーニュースを複写)

ヤフーの雨雲情報を見ても静岡県東部付近が真っ赤な状態。真っ赤な表示は80ミリ以上の雨量。一寸先が見えない程の雨の降り方。気象庁も、短時間豪雨情報を出して厳重な注意を呼びかけています。過去、80ミリ以上の雨が,藤原町にも降った事がありました。そして、起こったのが土石流。今も、大きな爪あとを残しています。何もない事を願うのみです。