明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

「弥陀たのみ」に思う

2010-10-12 20:41:08 | Weblog
今日の午前中は、自坊の本堂にて「弥陀たのみ」が行われた。普通は、「初参式」と呼ばれている。初めて、仏様とご縁を結ばせていただく法要という意味であろう。しかし、自坊では、昔からの呼び方である「弥陀たのみ」。
今日は、お婆さん・若夫婦・子供達2人。自坊では、家族単位での「弥陀たのみ」。今年は、4組目。若いお父さんは、自坊にて毎年行われる12月7日の「子供の報恩講」の卒業生。だから、私は「ひさしぶりやなー」という話から始まり、「本堂は、懐かしいですねー」と返事。若い奥さんに、当時の事を説明されている。これが相続なのだと思います。難しい理屈はいりません。

この「弥陀たのみ」という呼び方は、あきらかに『御文章』から来ている。蓮如上人のお手紙である『御文章(お文)』から、「たのむ」・「たのみ」等の言葉を探す事は難しくありません。
例えば、五帖第6通には冒頭から「一念に弥陀をたのみたてまつる行者には」(浄土真宗聖典註釈版1192頁)と出てくる。「たのみ」というとこちらから、阿弥陀様にお願いするように思われるが、決してそうではない。浄土真宗の法話のポイントは、つねに臨終法話の筈。
蓮如上人は、「仏法には明日ということはあるまじき」(浄土真宗聖典註釈版1280頁)と云われた。この意味は、今いのちの終りでも、ちゃんと阿弥陀様の救いの法は届いているという事。これを平生業成(へいぜいごうじょう)という。
平生といったら「今」である。明日になったら平生とはいいません。つまり、この私が今いるところが助かる場所。この場所に、阿弥陀様の「我にまかせよ。我をたのめ」という南無阿弥陀仏の救いの法が届けられている。「助かる」が先に届いている。
だから、「弥陀たのみ」とは、若い夫婦が、人生どんな事があろうとも、決して見捨てる事のない阿弥陀様の働きを確認する場である。それがあって、わが子の誕生が、この子が私達を親としてようこそ生まれてくれた.まさに有る事難(かた)として受け取ることができるのではないでしょうか。・・・・・ですから、自坊では「初参式」とはいわずに「弥陀たのみ」と称しています。

一方、娘は?(山女)

2010-10-12 00:59:50 | Weblog
一方、娘は中央アルプスの独立峰である南木曽(なぎそ)岳に、職場の仲間と登るとの事で、午前5時前に飛び出していった。
南木曽岳(標高1676m)、地元の方には失礼ですが、かなりマイナーなイメージがあります。でも、昔は御嶽山、木曽駒ヶ岳と並んで木曽三山のひとつであり、修験道・山伏の信仰の山でした。
理由は、山の形。途中から急勾配(きゅうこうばい)。梯子・くさり場(ロープ)が、連続します。しかも、途中から登り道と下り道が別々のルート。私も、学生時代に一度登りましたがなかなか大変な山。だから、昨晩に娘から相談を受けた時は渋い顔。南木曽岳の断面図をみれば大変さが一目瞭然。

そして、登山ルートは頂上を周回する形で登りと下りが違うのです。

その合流点の標識がこれ。登りと下りが示されています。間違えたり、無視をすると天罰てきめん。

娘も、かなりの強行軍であったらしく、普通なら何枚も撮影する写真も今回は数少ない。そんな中で、下山時に頂上直下で撮影した写真がこれ。山々は、もう紅葉が始まっています。展望台からは、目の前に中央アルプスの雄大な山並みが一望できる。今日は、その意味では秋晴れの最高の一日。

娘の話では、下山時の急勾配はかなりキツイものがあったらしい。「足が笑う」という表現があるが、ようするに腰から下がガタガタという事。ようやく午後3時30分頃に車を停めた場所まで下山したらしい。
午後4時半に娘からメール。私は、安城歴史博物館からの帰路。伊勢湾岸道路を走行中でした。「中津川から土岐まで、30キロの大渋滞です。帰りが遅くなります。」とあった。実は、その前に一言ありました。「疲れた・・・・・」です。
そして、午後9時過ぎに家に帰ってきました。勿論、熟睡中です。それにしても、明日は職場で大丈夫なのでしょうか???恐らくは、筋肉痛で歩けない筈です。