明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

『親鸞を訪ねて・・・今なお生き続ける心』・・・阿弥陀様のご尊顔

2014-09-30 21:26:35 | Weblog

見る者をして、思わず合掌の心を抱かしめるこの端麗なお顔の阿弥陀様。『親鸞を訪ねて・・・今なお生き続ける心』の冒頭と終わりに大写しで登場されました。
でも、よくよく拝見すればどこかで拝見した阿弥陀様のご尊顔です。そうなのです。明源寺のご本尊である阿弥陀如来様のご尊顔なのです。鎌倉期の仏師である春日作。住職としては、本番組に自坊阿弥陀如来様のご尊顔が登場された事が何より嬉しいのです。
さて、午後4時頃に員弁組のある研修会から帰宅しますと、名古屋市のご門徒さんからお手紙が届いていました。急いで封を切りますと、上記番組を見ましたと書かれてありました。以下、全文を紹介させていただきます。
『先日は、放映の件をお便りでお知らせ下さり誠に有難うございました。以前、五木寛之氏の「親鸞」を読んだことがございますので、番組で関係のある所が見られることの期待に胸を膨らませていました。そして、何より長くご無沙汰しております明源寺様を拝見できます事を嬉しく思いました。
番組では、京都の六角堂・越後の居多神社の「片葉の葦」・常陸の西念寺の「親鸞聖人御手植え700年経過した大銀杏」など、ご聖人ゆかりの事柄が沢山映し出され、期待に違わず物語を一層浮き上がらせてくれました。
その後、故郷「いなべ」が映し出され、大改装された明源寺様本堂の大屋根、白壁が見えました。そして、庫裡での「唐辛子汁・赤飯」を「本上まなみ」さんが召し上がる場面があり、自分が小さきときに体験した報恩講のお斎(とき)が思いだされました。「本上まなみ」さんのお伝えはとてもお上手でした。流石は女優さんだけあります。貴重な映像を色々見せていただきました。誠に有難うございました。』と書かれていました。
大勢の皆さんが、本番組をご覧いただいた事がわかります。本番組製作の目的もそこにあると思うのです。遠く故郷を離れても、常に呼びたもう阿弥陀様がおられるのです。それは、『親鸞を訪ねて・・・今なお生き続ける心』という番組となられて届けられたのです。「南無阿弥陀仏」とお念仏申す以外にはございません。合掌

『親鸞をたずねて・・今なお生き続ける心』・・・今日(9月28日)放映されました

2014-09-29 00:26:22 | Weblog
浄土真宗本願寺派が製作した『親鸞をたずねて・・今なお生き続ける心』が、BS放送のTBSにて放送されました。住職は、午前からご門徒宅にて年忌法要でした。法要修了後、お参りの皆さんと共にご門徒宅のテレビにて番組を見ました。大きな反響が・・・。
写真 本願寺ホームページを複写

この番組は、ナレーション・レポターを女優の本上まなみさんが担当。親鸞聖人の誕生から、激動の聖人の生涯をたどる形で番組が構成されていました。
本願寺ホームページでも、一面記事として番組が紹介。
それによれば、『親鸞が現代にまで伝え残した「モノ・コト」をその時代背景や歴史とともに紹介し、その意味や価値を体感・再考・再認識する歴史情報紀行番組です。本上まなみが親鸞ゆかりの地を取材しその地に伝承する文化や史跡を巡って「モノ・コト」を体感します。それらはどのように人々に伝えられ、どのように受け止め、現代までどのように伝えられてきたのでしょうか。集落のコミュニケーションの場としてのお寺、家族・親戚とのコミュニケーションの場で振る舞われる料理など人々の間で伝え伝わってきた「モノ・コト」は、現代人にとってどのような意味をもっているのでしょうか。旅人の本上まなみが、親鸞ゆかりの地を巡り、今なお多くの人の心を惹きつけるその魅力に迫ります。』とあります。
そして、タイトルの『今なお生き続ける心』の部分で、各地の聖人縁(ゆかり)の料理という形で自坊が登場しました。勿論、いなべに伝統として継承されてきた『唐辛子汁・赤飯』の紹介でした。
写真・・番組から複写(これがいなべ地方の葬儀の非事(ひじ)料理=精進料理・・唐辛子汁と赤飯)

写真・・本上まなみさんと共に食事をいただく。放送では、この席で唐辛子汁・赤飯の由来を住職が紹介しています。(番組から複写)

ご門徒さんと撮影の3日前からの準備でした。浄土真宗の教えに則した『唐辛子汁と赤飯』です。この番組を機縁に、葬儀の形態が変わろうともいなべ地方の誇るべき習俗としていつまでも続いて欲しいと願うものです。

テレビ番組「親鸞をたずねて・・今なお生き続ける心」のご案内

2014-09-26 23:55:53 | Weblog
「親鸞をたずねて・・今なお生き続ける心」
BS放送のTBSにて放送
9月28日(日曜日)12;00~12;54
上記番組は、浄土真宗本願寺派がテレビ伝道の一環として製作したものです。実は、9月9日に自坊にて撮影がありましたと投稿しましたが、この番組制作のためでした。勿論、ご本山からの依頼ですから全面的に協力。
三重県いなべ市は、葬儀にあたってお非事(お昼の精進料理)に、唐辛子汁とお赤飯を出してきました。この事の紹介でした。ご門徒の皆さんのご協力による実演と試食を撮影。そして、住職が説明しています。レポーターは、女優の「本上まなみ」さんでした。やはり、お綺麗です。しかも、頭の回転は素晴らしいものがありました。
番組の全体像は、試写も見ていませんのでわかりませんが、自坊の撮影部分は多くて5分程度と思われます。
是非、ごらんいただければと思う事です。よろしくお願いします。

「法統継承に際しての消息」披露総局巡回・・東海教区公聴会(9月24日)

2014-09-25 10:53:04 | Weblog
9月24日午後2時30分から、名古屋別院にて行われた「法統継承に際しての消息」披露総局巡回・・東海教区公聴会(9月24日)に参加した。このような披露・公聴会に参加するのは蓮如上人500回遠忌法要ご消息披露以来の実に10数年ぶり。今回は、色々と止むに止まれぬ理由があり参加。
6月6日、盛大に厳かに修行された浄土真宗本願寺派の門主様交代式(法統継承式)。そこで、新たにご門主様となられた第25代専如様が、今後の教団運営の指針として出されたお手紙が「ご消息」。同時に、私達一人一人に出された指針でもある。このお手紙を如何に自分のものとして受け止めるかが私達の大きな課題。私は、この「ご消息」の中味が好きである。教団の課題・問題点が過去に遡って書かれている。ご門主様のご活躍を期待したい。
さて、ご消息披露が修了し、場所を移して本願寺総局による「(仮称)宗門総合振興計画」大綱の東海教区公聴会が行われた。総局は、事前準備も完璧で望まれていた。そして、参加者よる意見・要望が多数だされたが、熟考して発表してもらいたいものだ。自分が、長く身を置いてきた教員社会の会議とは雲泥の差。唖然とした。ご門徒さんも、それぞれの立場で少数であるが参加しておられたが、どのように思われたのであろうか?気になるところである。
世のなかには、聞くことが下手な人がいる。それは、教員と僧侶。話す事は得意でも、聞くことが下手な人の筆頭にあげられる。だからであろうか?途中、居眠りが出てしまった。
写真・・藤野本願寺総務による「ご消息披露」



仏様にお土産

2014-09-24 11:47:10 | Weblog
昨日(9月23日)はお彼岸。ですから、一風変わったお土産の話。
結構、調査の名目(?)で各地を旅する機会も多々あります。お寺にお参り(調査)の場合、あれば必ず買求めるものがあります。それは、自坊の阿弥陀様のお土産。お線香です。お線香ですから消費したものも多いのですが、並べてみますとご覧の通り。
山形県は、出羽三山の秀琳香あり、岩手県は平泉中尊寺香あり、越後五智国分寺あり、京都万福寺あり、越中瑞泉寺あり、大津三井寺ありです。なかでも、信州善光寺は数はダントツ。お参り・案内・母親のお供。毎年のように行けば数も増えるというもの。香りは、比叡山の叡山香が一番!!!!!
人は、旅行に行けば必ずお土産を買います。そのお土産は家族であり知人であり隣近所。しかし、阿弥陀様に対するお土産は余り聞きません。これおかしいのでは?????
報恩感謝のお念仏と日頃申しながら、阿弥陀様にはお土産なしとはこれいかにです。お香は、仏事作法の必須アイテム。であるなら、お香のお土産は仏様の喜びたもうものである筈です。このように思っています。何れにしても、お彼岸の中日のお墓にはお線香の煙がよく似合いました。

今日はお彼岸(ひがん)、故に彼岸花

2014-09-23 11:41:20 | Weblog
今日(9月23日)は、お彼岸。
この時季、山里の自坊周辺は彼岸花の真紅の赤が眩しい。

刈取られた田圃の畦には整然と彼岸花が。

この彼岸花が咲きますと、山里に本格的な秋が来たことを実感します。私達が、子供の頃は彼岸花を「へそべ」と呼びました。そして、遊び道具のなかった時代、この「へそべ」は格好の遊び道具。ガキ大将に率いられた悪ガキ達が棒を持って、彼岸花を根本から切り倒したのです。その先頭で暴れまわっていたのが私でした。子供が、外で遊ばなくなり彼岸花が見られるという皮肉な現実があります。

このブログは、浄土真宗本願寺派明源寺が運営しています。ここで修了しては仏教ブログとは申せません。以下、お彼岸の由来等の説明になります。ですから、多少難しくなりますので、難しいのはこりごりの人はここまでにして下さい。
写真は、オマケにて彼岸花

お彼岸の由来について
此岸(しがん)という言葉
お彼岸を説明する前に、対句である此岸(しがん)という言葉がある事を知らねばなりません。此岸(しがん)とは、私たちの住んでいる世界の事で、欲や煩悩にまみれた世界の事です。さまざまな苦悩に堪(たえ)え忍ばねばならないこの世界を、サンスクリット語では「サハー」といい、「忍土」と訳されます。これを中国語では「娑婆(しゃば)」と書き、世間の事を俗に「しゃば」というのは、ここから来ています。
彼岸という言葉
お釈迦様は、煩悩の激流を越えて「彼岸に渡れ」と常に説かれました。つまり、彼岸とは人々が欲や煩悩から解放された世界です。彼岸はサンスクリット語で「パーラム」、渡る事は「イター」といい、これをつなぐと「パーラミター」となります。どこか聞き覚えにある言葉です。「波羅蜜多(はらみつた」の事です。
此岸と彼岸の間には、仮に大きな川があるのです。自分がいる方を「此岸」、向こう岸を「彼岸」とします。仏教では、私たちが住む「此岸」を凡夫の世界(煩悩にあふれた世界)、「彼岸」は仏の世界(煩悩の火が消えた、涅槃の世界)と考えます。この大きな川は煩悩の激流の川です。容易に渡れそうもありません。
お釈迦様は、最初に川を渡る専門家たちに「出家せよ」と説きました。なぜなら、川を泳ぐ為には、身ひとつでなければ泳げないからです。服を着たまま、あるいは財産など持って行けるわけがない。また、自分1人でも泳ぎきれるかどうかわからない。だから、妻子も捨てて、「裸になりなさい」と教えたのです。
やがて、出家した者が渡りきった後には、必ずすべての人々が渡れる橋がかかる。お釈迦様は、のちに人々を導く役目を出家僧たちに託しました。 此岸から彼岸に渡るために、仏道修行がありました。基本は、「三学を学ぶ」と言います。「戒律・禅定・智慧」の3つです。戒律(規則)を守り身を慎み、気を落ち着かせて精神集中し厳しい修行を行う。そして悟りの智慧を磨く事をいいます。自力聖道門の考えです。
しかし、言うは易く行うは難しです。
ここに他力を教えの骨格とする浄土の法門(他力浄土門)が誕生しました。仏、真理(如と呼びます。如来とは、如より来るものという意味なのです。)悟りの方から私達に働きかけていただいているのを信じる教えです。そして、平安末期以降浄土教の広がりと共に現在のお彼岸の考え方が定着しました。
浄土思想で信じられている極楽浄土は、『仏説阿弥陀経』に西方の遙か彼方の十万億土にある説かれています。(西方浄土)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたました。これが彼岸法要の始まりであるとされています。

9月21日自坊名古屋地区門信徒の集い(離郷門信徒の集い)を開催

2014-09-22 01:02:24 | Weblog
自坊名古屋地区門信徒の集い(離郷門信徒の集い)開催
9月21日本願寺名古屋別院1階ホールにて(午後1時から午後4時まで)
参加 名古屋地区門信徒を中心に45名

自坊版都市開教である名古屋地区門信徒の集いが、名古屋別院様のご協力のもとで開催されました。5年前に、名古屋別院にて仏前結婚式をあげられたご夫婦も子供連れで参加。華を添えていただきました。
今回、参加の皆さんは父母・祖父母が名古屋に移住されて半世紀以上。2世3世の皆さんです。ともすれば田舎のお寺とはご縁が薄くなりがちな世代。お念仏のご縁を繋ぐ大切さがここにあります。

全員で『正信偈』の勤行後、浄土真宗本願寺派東海教区教務所長・名古屋別院輪番の菅原良成先生からご法話。

その後、別院本堂にて記念写真。一同に揃いますとなかなかの記念写真。

そして、平成25年4月13日14日に自坊にて修行の親鸞聖人750回大遠忌(おんき)法要・本堂修復慶讃法要のDVDを上映し、親鸞聖人の御恩の深さを改めて確認していただきました。

今回の集いは中京都市圏では、初めて開催された離郷門信徒の集いです。その為でしょうか?ご本山・本願寺の寺院活動支援部からも2名の職員が視察に。これにはビックリ。
ご本山も、都市開教(過疎地域対策)に本腰を入れておられる事を知り心強く思った事です。今後は、自坊に引き続き教区内過疎寺院の皆さんが離郷門信徒の集いをもたれる事を願ってやみません。ご門徒の皆さんは待っておられます。この事を今回実感しました。

聖人のお言葉である「世のなか安穏(あんのん)なれ 仏法ひろまれ」のお言葉をいただき、このお言葉に少しでも近づけるように努力する事こそが肝要と心得る次第です。
尚、参加者の皆さんからお賽銭が2万8000円寄せられました。全額を、名古屋別院に寄進させていただきました。
短期間のご案内でしたが、名古屋地区の有縁の皆様がこれ程多く参加していただきました事を心より感謝申し上げます。

234010人 名古屋地区門信徒の集い迫る(9月21日)

2014-09-18 22:40:13 | Weblog
今日(9月18日)、自坊に宅配便が青志社より届いた。非常に長ったらしい名前であるが伊藤智誠先生の著『日本人として心が豊かになる仏事とおつとめ 浄土真宗』という本である。この本、最近先生より贈呈していただいた本。一読して次のように思ました。「浄土真宗の基本的要素が網羅、しかも読みやすい。」のである。初心者には最適本(入門篇)なのです。でも、ずばりと書かれています。

そこで注文。何に使うのか。上記の「名古屋地区門信徒の集い」の参加者記念品。
「名古屋地区門信徒(離郷門信徒)の集い」とは、聞きなれない言葉です。自坊にご縁のある名古屋地区門信徒の皆さんが一同に会する集い。
浄土真宗本願寺派(宗門)も、都市開教を近年最重要視しています。それは無理からぬ事。田舎を離れ都会に出られた門信徒が、日々の暮らしのなかで地元のお手次寺院のご縁も自然と薄くなり、2世3世となれば余程の事が無い限りご縁は完全に手切れ状態。結果として、大都市圏程浄土真宗の空白地帯という深刻な問題に直面。名古屋地区(中京都市圏)とて同じ事です。とにかく宗門(お西)のお寺が驚く程少ないのです。これではイケマセンと都市開教に全力投球が宗門の現状。(過疎で青息吐息の田舎寺院も忘れてもらっっては困るのですが!!!!!)
自坊の場合、不思議な事に名古屋地区にも有縁の門信徒の皆さんが。
写真は、9月13日(名古屋のご門徒宅にて撮影)

そこで、第2回目となる名古屋地区門信徒の集いを計画。(1回目は、平成2年に実施)
日程 9月21日(日)午後1時~午後4時
場所 名古屋別院(西)1階ホール
明細は、以下の通りで計画
■名古屋地区門信徒の集い概略
12:40 受付
13:00 開式
      住職・門徒総代代表・名古屋地区世話人代表挨拶
13:05 勤行(正信偈)・・導師(自坊衆徒)
13:45 ご法話(ご講師 菅原良成先生)
      浄土真宗本願寺派東海教区教務所長
      本願寺名古屋別院輪番
14:25 法話修了と休憩
      休憩の前に、ご輪番と共に記念撮影
      名古屋別院正面玄関の階段
14:50 DVD上映
      平成25年4月14日修行
      明源寺本堂修復慶讃法要
      親鸞聖人750回大遠忌法要の記録
15:30 交流会
15:55 閉会式 住職挨拶
16:00 修了
勿論、孫の運動会等もあり全ての門信徒ご家庭とはいきませんが、現在43名(自坊関係者等も含む)の皆さんが出席の意志表示。本当に有難い事です。何とか成功させたいものです。
このブログの訪問者が、234000人(正確には、234010人)を越えていました。いつも訪問いただき感謝申し上げます。

映画 「阿弥陀堂だより」のロケ地を訪ねて(9月17日)

2014-09-18 19:52:21 | Weblog
映画「阿弥陀堂だより」のロケ地を訪ねて(9月17日)
91歳になる母親が言った。「今年は、善光寺さんにいつ連れていってくれるのか?いつお迎えがくるかわからない」。この殺し文句で、信濃国は善光寺さんに急遽参詣となった。午前7時に善光寺さんに到着。誰彼と無く大御堂の前で、必ず頭を下られる光景は清々しいの一語。

折角、善光寺さんまで来たのである。訪れたい場所があった。2002年に公開された映画、「阿弥陀堂だより」のロケ地である。
写真は映画のポスター。阿弥陀堂の内部に、色あせたまま飾られていた。

それは、北信州は飯山市の奥深い山里にあります。ロケ地から、遠く飯山市を見る。連なる連山の背後は越後国。手前はソバ畑。

映画のなかで、おうめ婆さんが語った「春・夏・秋・冬、人の一生と同じなのだと、この歳になってしみじみ気がつきました。」の言葉が好きだ。北信州の厳しい自然と一体になってこそ、初めて言える言葉ではないのかと思いました。誰もが無意識の内にもっている故郷の原風景の言葉。この映画は、見事にそれを表現していると思った事です。
探し回って到着した私達を、コスモスの花

ソバの花と石仏

棚田の稲穂と案山子

そして萩の花

が優しく出迎えてくれました。ロケ用の阿弥陀堂は地元の方々に守られ健在でした。丁度、上越市からも数人訪問されていました。

北信州は秋本番。帰りに松本にて下車。自坊有縁のご門徒を訪ねた関係で帰宅は午後9時。

心身ともにリフレッシュです。



中津川の秋(9月10日)

2014-09-16 20:31:26 | Weblog
時間は前後しますが、9月10日の話(快晴でした)
この間の慌しさから今日は解放され早速に遠出。大好きな中津川の田舎道を走りました。
季節はもう秋なのです。収穫の季節なのです。今、走っているこの道路は開拓道路。戦後、入植された方々が苦難の努力の末に開いた土地。だからでしょうか?どこを見ても田圃の畦の草が綺麗に刈られています。

多雨のこの夏でした。この風景を維持するためには1週間に一度の草刈が必要。見事な風景です。それに、休耕田が全くないのです。

稲穂は、黄金色に頭をたれていました。今年も豊作間違いなしの稲穂。

そして、稲刈りも・・ご夫婦で稲刈り。

この風景が、私達が子供の頃から見慣れてきた日本の秋なのです。