明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

二度焼きしょうゆ

2013-01-29 23:25:23 | Weblog
今日(1月29日)は、何故か先客万来。そんな日に限って留守番は私一人。しかし、一昨日以来行きたいところが有りました。寒波襲来で、一昨日三重県北部もまとまった雪が降ったのです。新聞報道には、いなべ市の積雪は18センチとあった。こうなると、手軽に雪山気分を楽しめる場所が恋しくなる。石榑峠トンネルの滋賀県側の山岳林道です。今日も無理かとあきらめかけましたが、午後5時に条件が整い石榑峠トンネルに出発。
石榑峠トンネルを、滋賀県側に抜ければ積雪の量が違います。道路は、綺麗に除雪されていましたが、道路脇のガードレールは雪で見えない程度の積雪。
滋賀県側の麓の集落まで、一気に車を走らせています。窓を全開にして車中より撮影。

麓の集落では、珍しく一軒のお店が営業中。そこで、購入したのが「二度焼きしょうゆ」のせんべい二袋。600円なり。これが美味しいのです。お勧め品。

周囲は、薄暗くなってきました。気温も急激に低下。急いで戻る事に。石榑峠トンネル目指して、車は猛スピード。道路脇の反射板にも車のライトが当たっています。

そして、石榑峠トンネル近くの林道入口に到着。やはり、積雪は30センチ以上はありました。

ためらわず林道に突入。先駆者は、どこの世界にもおられるようで、林道にはくっきりと轍(わだち)の跡が。圧雪された雪の林道は、非常に走りやすく何の心配もいりませんでした。

かなり雪の林道を登って引き返そうと思った頃は周囲は真っ黒状態。

自坊到着は、午後6時10分。1時間少しの雪中行軍でしたが、気分転換には最適の小旅行でした。しかしです。家に着く頃には、鼻水が・・・・・どうやら、風邪のひきなおし。煙草も吸いたくありません。かなり重症のようです。明日以降が心配です。



兵戈無用(ひょうがむよう)

2013-01-29 01:30:45 | Weblog
浄土三部経の一つ『仏説無量寿経』の下巻に「兵戈無用」(浄土真宗聖典註釈版73頁)という言葉がある。「兵戈無用」は、国・人民を納めるのに軍隊・武器を用いる必要がないという意味であろう。誰しもが願う理想の国である。しかし、この言葉の前に次のような言葉が書かれている。「仏の遊覆(ゆうり)したまふところ国邑(こくゆう)・丘聚(くじゅ)・化(け)を蒙(こうむ)らざるはなし。天下和順し日月清明(にちがつしょうみょう)なり。(略)国豊かに民(たみ)安(やす)くして、兵戈(ひょうが)無もちいるはなし」と続く。つまり、仏の教化(きょうけ)が行き届いていたならばという前提である。仏を信じる人々、つまり仏教徒が仏の教えを守っていたならばという意味であろう。そんな国が、歴史上あったのであろうか?存在したのである。古代インドおいて、初めてインドを統一したマウリア朝のアショカ王(阿育王)の時代である。
アショカ王は、インド統一戦争における悲惨な現実を深く懺悔(ざんげ)し、お釈迦様の教えに深く帰依し、仏教の教え(真理)に基づいてインドを治めようとされた。法(ダルマ)の政治」という。法とは、仏の教えをいう。今に残るアショカ王の石柱には、法(ダルマ)の政治」が書かれている。
今に残るアショカ王の石柱

「法(ダルマ)の政治」とはなにか?それは、「いのち尊し」という事であろう。「いのち」とは、単なる「生命」ではない。お釈迦様が、宣言された「天上天下唯我独尊」のこころは、代用のきかない、かけがいのない「いのちの尊さ」を告げられた言葉であろう。しかし、この「尊きいのち」がアルジェリアにて失われた。遠い国の現実を残酷な形で見せ付けられた。「兵戈無用」の言葉が、今こそ必要な時代が来ているのと思うですが。

門徒総会と甘酒

2013-01-27 18:42:45 | Weblog
1月27日(日)、午後1時より自坊門徒総会が開かれました。今年の総会事案書は、4月14日の「親鸞聖人750回大遠忌法要・本堂修復慶讃法要」関係の審議事項もあり14頁。珍しく風邪をひいてダウンしていましたから、資料作成は大変でした。

「正信偈」の勤行の後、定刻通りに門徒総会は開会。しかし、総会議案書が厚ければ当然時間もかかります。終了しましたのが午後3時30分。自坊の門徒総会では異例の長時間。しかし、二法要関係の提案事項も全て承認していただきました。
写真・・総会前の風景。皆さんの集合を待っておられます。

総会終了後、甘酒が出されました。

実は、この甘酒の酒粕は秋田県は奥田酒造店(千代緑)の大奥様が、一昨日贈っていただいた吟醸の酒粕。ダンボール箱にぎっしりと酒粕が入れていただいてありました。

同封のお手紙には、追伸として「板粕ができたらお手紙を書こうと思っておりました。(略)ようやく、吟醸の粕が出来ましたのでお送りさせていただきます。寒い日に甘酒になさったり、ご門徒の方にわけてさしあげてくださいませ。」とありました。三重県北部の自坊周辺も、昨夜から薄っすらと雪が積もっています。冷え込み一段と厳しい日、お忙しいなかでご出席いただいた皆さんにお出しした一杯甘酒。大奥様のお気持ちをいただいて、ご出席の皆さんにお飲みいただいた甘露の甘酒なのです。

131000人 定例法座等・・完璧にダウンです

2013-01-26 09:40:57 | Weblog
完璧にダウンしました。体がだるく発熱。いわゆる風邪。インフルエンザではありませんが、元気印の私としては久しぶりのダウンです。昨晩、大汗かいてひとまず復帰。
1月24日は、超多忙でした。
午前9時から、自坊二法要の懇志板の確認作業。本堂修復工事も無事終了。そして、二法要へ。ご門徒の皆さんからの懇志額を書き出したのが懇志板。門徒総代さんと、一枚一枚確認。やはり、誤字・記入ミスが20枚近くでました。1時間の作業予定が、午前中一杯の確認作業となりました。

午後2時からは定例法座。自坊の定例法座は、毎月第4木曜日。平成24年度のテーマは「親鸞聖人入門」。22名のお参りです。寒いなかでのお参り。有難いことです。


本日は、4月14日午後修行の「親鸞聖人750回大遠忌法要」の宗祖讃仰作法(音楽法要)で使用されるご和讃の心をお話。最初に唄われるが、下の和讃。
十方微塵世界の
 念仏の衆生をみそなはし
 摂取してすてざれば
 阿弥陀となづけたてまつる

浄土真宗聖典註釈版571頁
写真、高田専修寺(蔵)の「三帖和讃」コピー本(自坊蔵)

そもそも、和讃とは「仏様」を和語をもって讃える唄(詩)という意味。親鸞聖人は、この和讃の名手。聖人が撰述された今様形式の和讃は500首をこえています。とくにそのなかで(『浄土和讃』『高僧和讃』親鸞聖人76歳の作)(『正像末和讃』親鸞聖人86歳の作)をまとめて『三帖(さんじょう)和讃』と称しています。
でも、最近では「弥陀成仏のこのかたは・・・以下6首」しかご存知ない方が殆ど。昔は、一般のご家庭でも真宗門徒たるもの上記の『三帖(さんじょう)和讃』を順番に繰り読みしたものです。
さて、上記の和讃は以下の通り。お釈迦様は、『仏説阿弥陀経』にて阿弥陀様を「光明無量・寿命無量」(浄土真宗聖典註釈版123頁~124頁)と説かれております。だからこそ、阿弥陀様という仏様はひとたび阿弥陀様のみ手にいただれたものは、決して離れることがない仏様であるといわれるのです。具体的に書けば、私の口からもれる『南無阿弥陀仏』というお念仏の声は、阿弥陀様の大いなる願いの力が私に届いた姿であるといただくべきなのです。だから、「念仏する衆生を見捨てる事のない仏様、これが阿弥陀様と申し上げるのですよ」といただく事ができます。ですから、このご和讃を最初に唄うことに大切な意味があるのです。
尚、ご本山本願寺より『親鸞様の詩(宗祖讃仰作法 和讃解説)』本願寺出版社 定価400円+消費税が出版されており、是非一読していたきたいと思います。

夜は、午後7時より讃歌衆の音楽法要の練習です。6人の讃歌衆のご婦人が集合していただき練習に入りましたが、私はこの時から体に異常を覚えダウン寸前でした。
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下見・・・・遠く宿縁を慶べ

2013-01-24 00:08:27 | Weblog
今日(1月23日)、来る4月14日(日)自坊にて修行させていただく『親鸞聖人750回大遠忌法要・本堂修復慶讃法要』にて、本堂内陣にて仏華(ぶっか)をたてていただく先生が、菰野町からご夫婦にて自坊に下見に来られた。
勿論、初対面です。この方なら安心してお任せできると確信。御忌(おんき)法要等の大法要にて、仏様のお花は普段のお荘厳以上にすこぶる大切。ご本尊に対して、合掌した場合にイヤでも目に飛び込んでくるのがお花です。ですから、仏華をお任せするのは慎重にならざるを得ません。でも、安心しました。よろしくお願い申し上げます。
自坊境内にて、右側の方が先生。

地元の自坊ご門徒宅を訪問。仏華に使用する花桃の枝を検分させていただく為です。「これならば、充分に使わせていただく事ができます」とお話。
写真 花桃の木を案内していただく

ところで、先生とお話していまして意外な事実にビックリ。何と、自坊の親戚寺院と昵懇(じっこん)だという話なのです。母親の従兄弟にあたるお寺。この親戚寺院も、4月14日には出勤していただくお寺です。不思議な巡りあわせです。目には見えないけれど、確かな糸で繋がっていたのです。阿弥陀様のお手回しにただただ脱帽。有難きご縁をいただいた事と喜ばしていただきました。
親鸞聖人が心血注がれた『教行信証』の『序文』に、格調高く「ああ、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)、多生(たしょう)にも値(あ)ひがたく、真実の浄信、億劫(おっこう)にも獲(え)がたし。 たまたま行信(ぎょうしん)を獲(え)ば、遠く宿縁を慶べ。」とあります。「遠く宿縁を慶ぶ」、この言葉を今回の出合いにつかわせていただきます。

発想の転換・・・・(転依=てんぬ)

2013-01-22 14:16:45 | Weblog
昨日(1月21日)、ご本山本願寺聞法会館多目的ホールにて「本願寺史料研究所公開講座」がありました。親鸞聖人750回大遠忌法要記念事業の一環として、数年の歳月を費やして出版されました「増補改訂 本願寺史第1巻」を読むというのがテーマ。
お稚児さんの申込等により自坊の出発時間が遅れ、到着は本願寺史料研究所副室長「金龍静先生」の基調報告の最中。会場は、30名~40名ほどの皆さん。龍谷大学等のお歴々の皆さんです。私は場違いの人物。
講演は、津田徹英先生の『親鸞聖人と覚如上人』。

津田先生は、『中世真宗の美術』等で造形美の観点から目覚しい成果を発表されている大注目の先生。先生の専門は美術史。スライドショーを使用した講演は、非常に判りやすく印象に残る講演でした。
親鸞聖人から、覚如上人に本願寺が相続されていく(これを三代伝持の血脈と呼びます)謎の部分を、専門である美術史の立場から掛け軸に描かれた肖像画等を手がかりに、独自のアプローチで説明。文献資料等中心の従来の手法とは全く違います。これ、発想の転換に等しい作業です。

何故に、覚如上人(本願寺第三代目宗主)は親鸞聖人から義絶された善鸞(聖人の長男)の子供である如信上人を本願寺第2代宗主に位置づけたのかという大きな疑問に、独自の見解にて述べられました。聖人のトレードマークは、白い首巻(これを帽子と呼ぶらしい)。本願寺歴代で、帽子を巻いておられるのは聖人と後一人。それが、如信上人。ここに秘密があるとの説明。上記の写真、真ん中の人物が如信上人。最上段が、親鸞聖人。下段が、覚如上人。よくみれば、親鸞聖人と如信上人には帽子が巻かれています。
この講演を見ながら聞きながら思った事は、仏教の有力な思想である『唯識(ゆいしき)=今でいう深層心理学』の「転依(てんぬ)」とう言葉でした。『唯識』によれば、一番大切な事は、『依(より)りどころを転じる(かえる)』という教えにあります。私達は、外見で判断しています。美しければ価値がある等の考え方です。でも、よくよく考えてみれば『唯識』でいうように、外面の判断ではなく、そのように認識する識(しき=こころ)にこそ大切であり問題なのです。ですから、同じように肖像画を見ていても、心の持ちようにより全く新たな見解が生じるのです。『転依(てんぬ)』という言葉の真髄を見せられた感じです。


130000人 それ、八万の法蔵を知るというとも・・・・・

2013-01-21 10:30:42 | Weblog
昨日の続きです。初めてお参りさせていただいた名古屋市のご門徒宅には、お婆さんがおられました。95歳という事でしたが、私の母親(90歳)と比較しましても誠に矍鑠(かくしゃく)とされています。ただ、難聴のきらいがあるとの事で補聴器をしておられました。
お話を聞かせていただきますと、毎日朝晩欠かさずにお仏壇に向かって「正信偈」をお勤めになっておられるとの事で、「正信偈」の節回しも正調。昨今、大切な「正信偈」すらなかなか正確には拝読できない都市部のご門徒が増加しているなかでです。「幼少の頃からの習慣です」とのお話でしたが、お念仏の味わいのなかで「知恩」という言葉がありますが、人はそれぞれの人生のなかで、生まれるときから、さまざまな恩を受けて今に至っています。そして、気づかないところでも、多くの恩恵を受けているものです。それに気づくことが「知恩」です。
私達は、自分の力だけで生きているのではありません。家族、その他のもろもろの事が自分に関係して生きさせていただいているのです。これが、お釈迦様の説かれた根本の教え「縁起」の法です。この事を実感するのが「知恩」です。この事に気づけば、おのずから謙虚な心境に至りて、「報謝」の心、「感謝」の心がわいてきます。お婆さんの「正信偈」は、この「知恩」の勤行なのではないでしょうか。
そこで、当日「正信偈」お勤めの後、拝読いたしました『御文章』が「八万法蔵の章」でありました。
ご文章・・第五帖目第2通にある「八万法蔵の章」の一部抜粋
「それ、八万の法蔵(ほうぞう)をしるといふとも、後世(ごせ)をしらざる人を愚者(ぐしゃ)とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教(しょうぎょう)をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心(しんじん)のいはれをしらざる人は、いたづらごとなりとしるべし。されば聖人(親鸞)の御ことばにも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願(ほんがん)を信ぜずしては、ふつとたすかるといふことあるべからず」と仰せられたり。」
現代人の常識である知識・教養の豊かさが、蓮如上人の「信心の物差し」で計ったとき、ものをしりたりという心が返って邪魔をしてしまい、一番大切な「後世」知る事(浄土往生)がおろそかになっていますよ。そういう人を愚者というのですよ、とお示しの御文章です。私は、お婆ちゃんから改めて「愚者」・「知恩」という事を教えていただきました。
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大悲の深さ・仏法の不思議さ・・・・

2013-01-20 10:09:46 | Weblog
昨日(1月19日)、名古屋市に行きました。この度、自坊の新門徒になっていただいたお宅です。今まで、縁もゆかりもなかったお宅。それが、この度ご縁を結ばれご門徒のお付き合いを。阿弥陀様の大悲の深さ、仏法の不思議さをつくづくと思います。何故に、ご縁を結ばれる事になったのか?それは、「仏と仏のおはからい」であると思うのです。それ以外に説明のしようがありません。
頭をよぎるのは、親鸞聖人の次のお言葉。(親鸞聖人御消息集より)
「また他力(たりき)と申すことは、義(ぎ)なきを義(ぎ)とすと申すなり。義と申すことは、行者(ぎょうじゃ)のおのおののはからふことを義(ぎ)とは申すなり。如来の誓願(せいがん)は不可思議(ふかしぎ)にましますゆゑに、仏と仏との御はからひなり、凡夫のはからひにあらず。補処(ふしょ)の弥勒(みろく)菩薩をはじめとして、仏智(ぶっち)の不思議をはからふべき人は候(そうら)はず。しかれば、如来の誓願には義なきを義とすとは、大師聖人(源空=法然上人の事)の仰せに候ひき。」浄土真宗聖典註釈版(779頁)
少し判りにずらい文章ですが、赤字の部分に注目してください。親鸞聖人は、「他力とは凡夫(ぼんぶ)のはからいではありません。凡夫とは、自分勝手な判断にもとづき行動する私達のことです。そうではなくて仏様と仏様のはからいをいうのです」と話されておられます。仏法のおいては、これひとえに阿弥陀様のお働きなのです。今回も、まさしくその通りと思わざるをえません。
自坊ご本尊阿弥陀様

今回、初めて訪問させていただき、お仏壇の前で「正信偈」をご家族の皆さんとともに読誦(どくじゅ)させていただきました。その時、思ったのが「ここの阿弥陀様と自坊の阿弥陀様のおはからいなのだ」と、聖人の上記のお言葉を深くかみしめた事です。他力とは不可思議です。
尚、義(ぎ)とは「行為」という意味でつかわれています。つまり、自分の分別で行動するという意味。

雪を連れてきたようです

2013-01-18 22:59:54 | Weblog
今日(1月18日)から、息子が学ぶ中央仏教学院が三学期。そこで昨日(1月17日)、息子と友人を京都まで車で送りました。勿論、往復路は石榑峠トンネル(4157メートル)を利用。国道421号線です。便利になりました。京都まで行くにはこれが最短ルート。自坊を出発し、石榑峠トンネルを通過すれば滋賀県。そして、八日市インターから名神にのれば京都も至近距離。おまけに、高速料金も安いとくればいう事なし。自坊を出発し、1時間40分でご本山到着。
さて、石榑峠トンネルは鈴鹿山脈をぶち抜いたもの。ですから山岳道路なのです。トンネルを抜ければ、そこは雪国でした。
写真は、滋賀県側から見た石榑峠トンネル入口付近

気温も、0度を表示しています。ですから、トンネルの出口はいつも凍っていると考えて間違いありません。それを知らずに、スピードを落とさなければ事故のもと。
雪大好き人間の自分ですから、復路は完全に遊びの世界。石榑峠トンネル入口付近にある旧道(旧421号線)に入りました。今は雪の林道。時々寄らせていただく山の喫茶店の「萌黄(もえぎ)」も店じまい。「萌黄」は、左側柵を越えて下ればあるのですが・・

雪の林道を、4駆の愛車で登っていきます。通行止めの標識もなんのその。「轍(わだち)があるのですから、何とかなるさ」の勢い。気合です。

通行止めの標識から、随分と走りました。積雪も、20cm~30センチ前後でしょうか?これが限界。

雪の林道には、ウサギの足跡も。

折り返し地点で、記念写真。

楽しい1時間の雪の林道でした。しかしです。どうやら、雪雲まで連れてきたようです。日本列島は、最大級の寒波襲来。日本海側の自動車道は軒並みチェーン規制。名神高速も関が原付近は、低速車を先頭にした事実上の速度規制です。雪も降っています。
写真は、午後6時頃の関が原付近。

ところで思う事があります。1週間程前に首都圏に5cm程度の雪が降りました。テレビ等の報道も、都市機能が麻痺しあたかも非常事態が起こったような過熱報道。ノーマルタイヤで走ればスリップするのは当たり前。雪が凍れば凍結するのも当たり前。そんな当たり前の事を、あたかも重大事件のように報道。これって、雪害に苦しむ雪国から見れば偏向報道ではないのでしょうか?アホらしさで・・・・・・

讃歌衆の練習が始りました

2013-01-16 23:48:03 | Weblog
4月14日(日)の午後の部は、『親鸞聖人750回大遠忌法要』です。この法要の作法は、出勤僧侶も参詣の皆さんも共に参加型の『宗祖讃仰作法(音楽法要)』。でも、法要当日なかなか声を出してという訳にはまいりません。そこで、臨時編成の「讃歌衆(6人=全員女性)」が組織されました。今日が、初練習日。京都からは、当日シンセサイザーを演奏していただく御堂悠耀さんも。

初日の今日は、全体の流れの説明。差定(さじょう=法要の式次第の事)説明の後、実際に練習に入りました。なかなか声はでません。それでも、後半は皆さんがリズム感をなんとなくつかんでいただいたようです。「家にて、何度もCDを聞いていただき、リズムに慣れていただく事が一番大切です。」との御堂さんのアドバイス。
写真は、息子に特訓中の御堂さん。

「讃歌衆」の皆さんの写真は有りません。今は、写真撮影の段階ではないからです。次回の練習日は、1月24日の午後7時と決まりました。「讃歌衆」の皆さんよろしくお願いします。