海人の深深たる海底に向いてー深海の不思議ー

地球上の7割を占める海。海の大半は深海。深海生物、潜水調査船など素晴らしい深海の秘蔵画像を紹介。奇抜・奇妙な姿に驚愕!!

日本にも核爆弾沈んでいる。

2012年09月28日 | 日記
日本の領海内に核爆弾の落下物

 最近の情報公開によって米軍は沖縄から110キロ離れた海域(日本の領海内)に核爆弾を落としていることが明らかになった。

報告に書かれている内容は以下の通りである。
 ベトナム戦争が行われていた1965年12月5日アメリカ海軍の空母「タイコンデロガ」は横須賀基地へ向かっていた。 
その時「ニュークリアアラート(核警戒)」が発令されて、1基の核爆弾B-43を搭載したスカイホーク戦闘機A-4ESKYHAWK(写真)がパイロットを乗せて空母「タイコンデロガ」飛行甲板へ移動していた。
 移動中に誤って核爆弾を搭載した状態のスカイホーク戦闘機を海面に落下させ、パイロットを乗せたまま水深4,875mの海底に沈めてしまった。
 核爆弾を搭載したスカイホーク戦闘機の落下海域は沖縄諸島の110キロ沖合である。(日本の排他的経済水域は沿岸から200海里(排他的経済水域exclusive economic zone; EEZ)とは、国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域のことを指す。沿岸国は国連海洋法条約に基づいた国内法を制定することで自国の沿岸から200海里(約370km<1海里=1852m>)の範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得られる。その代わりに、資源の管理や海洋汚染防止の義務を負う。)

 核爆弾が落下した海底は4,875mもの深海で地上の約500倍の高い水圧がかかっているので、核爆弾から放射性物質が漏れ出ている心配があったが、これまで放射性物質が検出された事実はない。(落下した海域を詳しく調査されての報告ではないようだ。)

この報告と同様にウィキぺディアの空母「タイコンデロガ」でも日本語で以下のように記載されている。
1965年12月5日、同年11月からのベトナム沖での任務を終えて横須賀へ帰還する途中、北緯27度35分2秒・東経131度19分3秒(喜界島の南東約150キロ)で水素爆弾(B43・核出力1メガトン)1発を装着したA-4Eがエレベーターから海中に転落する事故が発生した。機体は乗員(ウェブスター大尉)ともに水没した。核攻撃アラートに就くために飛行甲板にあげる途中であった。現場の水深は約5,000メートルあり回収は不可能であるとされている。事故は1981年の国防総省の報告書で明らかにされたが、詳しい場所については1989年に明らかにされた。周辺海域の調査によれば放射能汚染は認められていない。

こうした事実が公開されて頭に浮かぶことはスペイン沖の水爆落下事故である。
スペイン沖での水爆の落下 1966年
1966年1月17日米空軍Bー52爆撃機がスペイン南東の沿岸上空で空中
給油機KC-135から燃料補給の訓練中、接触し運んでいた水爆(MK-28 Hydrogen bomb 4個 B-28 RI nuclear bonb 1個)5個を落下させてしまった。この1.5メガトン水素爆弾は広島に投下された爆弾の100倍もの威力あるもので、落下した1個は陸上に放射性物質を558エーカーに巻き散らし8000万ドルもの処理費を使ってアメリカ政府は対応した。
海中に落下した爆弾の捜索は潜水船「アルビン」「アルミノート」「PC-3B
キャブマリン」「デイープジープ」と無人探査機「カーブ」そして150人のダイバーによって行われた。浅い海域は潜水艦救難艦「ぺトレル」(ASR-14)とTringaは水深35mまでを空気潜水で行い、水深65mまでは混合ガス潜水、更に水深105mまでをダイビングベルを使って捜索した。
 最後の爆弾は3月17日に峡谷の急な傾斜水深777mで「アルビン」が発見した。しかし、回収には失敗して更に深い853mへ落した。この後、潜水艦救難艦「ぺトレル」に搭載された無人探査機「カーブ」によって無事回収された。
 このスペイン沖の水爆の落下では米海軍の海中システムの多くが動員され、約80日間の捜索・回収作業が行われた。そしてこの作業で最も脚光をあびたのは無人探査機「カーブ」で、この後、「カーブⅡ」「カーブⅢ」が誕生した。

 これからの課題 核兵器の絶滅を願う日本にとって日本の近海に核爆弾が落ちている事実知った我々は以下のことを行うべきである。
1. 落下しているとされる海域の海底調査
  スカイホークとともに落下したと言われているのでスカイホークの機体の発見
2. 落下している核爆弾の現状調査
  核爆弾の損傷の有無、腐食など劣化の様子、放射性物質の漏えいの有無。