イコンのもとに


在宅介護16年が終了後、やっと自分のために生きられる。イコンも描いてます。ブログは書いたり書かなかったり、気分で。

納戸神

2024年02月19日 | チャリティイコン
今、同時進行で3枚のイコンを描いています。

前に載せたキリスト像の続きと、
荒野の声と、
あと1枚はキリシタンの納戸神です。

チャリティイコンを思いついた2013年頃から、
いつか描かせていただきたいと思っていました。
ですから、私は、イコンは描くけれども、イコン画家ではないんです。

時々、書いていますが、
私の父方の先祖には
津山藩の森家と関わりのある先祖がいて、
祖母や父からはキリシタンをかくまった様々な話を聞いています。
ただ、やはりかくまったので、
大っぴらに話はできなかったみたいです。
祖母はかなり晩年になってから話してくれました。
祖父は戦前は帽子屋で津山のキリスト教会の牧師や神父の帽子を作っていました。
津山の正教会の神父の帽子も作っていました。

江戸の津山藩の屋敷で何があったか?
キリシタンをご存知の方なら知っておられるでしょう。
岡山は備前宰相の宇喜田秀家がおり、その妻は前田利家の娘、
豪姫、豪マリアがいましたから。
黙っていても、キリシタンとご縁のあった岡山県民はいるんです。

磯田くんはキリシタンの話はほとんどしないです。
意識して触れないんだと思う。
彼は忍者の方ですから。

少しずつキリシタンの資料を調べてきてはいたのですが
あまりの悲惨さを知るのが嫌になったのと、両親の介護もあって数年は離れていました。
でも、介護が完全に終わった今なら、描けると思っています。

完成しますまで、しばらく、お待ちください。



私がオリエント美術館に紹介したイコン画家からは、
度々、「カトリックはろくでもない」と言われました。

イコン画家は札幌のハリストス正教会の神父の娘ですから、
神父からそう聞いて育ったんでしょう。
イコン画家の陶芸家の夫の家は、私の父の津山京町の家のすぐ側なのに、
津山と関わりのある人間が、
よくカトリックの悪口が言えるものだと思いました。
近くにいたら、それこそ、ろくなイコンは描けないと思い、
2012年の8月にはイコン画家からは離れました。
離れてよかったとつくづく思います。
オリエント美術館に紹介してしまい、大失敗でした。
申し訳ありません。

イコン学者も岡山から東北の大学へ行きましたから、
イコン画家夫婦から利用されなくなりました。
これには、安心しました。

他宗派、他宗教の悪口を平気で口にする宗教画家など、
私は画家としては認めていないです。
ロシアの総主教も、とんでもなかったけれど、
似たような正教会の人間がいるもんだと思いましたが、
日本正教会の神父の中にも、
キリシタンの勉強をされている方がいるので、
それはよかったと思います。

他宗派、他宗教は、お互い理解をしないと、必ず争いが起こります。
私みたいなイコンも描く画家は、
この意識を常に持ってないと
宗教を利用した傲慢極まりない高飛車な画家になりかねない。
気をつけています。
「絵描きの婆さん」で充分満足なんですよ。



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