今の、絵画に関して、ずーっと疑問があるんです。
公募展で見る巨大な、
100号以上のパネル に描かれた作品は
売れなかったら、
みんな、どうしているわけ⁉️
私は一時期、十数年、
パッチワークキルトをしていて、
最大2m50㎝角のをミシンで縫ったりして、
海外のコンペに出したり、
展示してもらったりしましたが、
キルトは折りたためて
段ボールに入れて、空輸できたりしたんです。
なので、キルト作品の購入者も
海外の人がいても、空輸できたんです。
画家も高齢化しているだろうし、
あの巨大なパネル作品、
毎年描いている人は
保存にも部屋を借りたりして、
もし、画家が亡くなったら、
いったい、どうするんだろう⁉️
友人の画家が、某市長に
「市役所にあなたの作品を展示してもいいですよ。
絵にアクリル板をつけてくれたらね」
というようなことを言われて、
アクリル板は、大きな作品だと、
4万円〜7万円するんです。
わざわざ、金を払って
市役所に自分の作品を展示してもらうということになるわけです。
その画家は「それは違うな」と考えて、
市長の申し出を断りました。
また、別のアクリル板の件も知っていて、
母校に絵を寄贈してほしいと要望があり、
やはり、アクリル板をつけて寄贈してほしいと言われ、
4万円のアクリル板を自費でつけて
母校に寄贈していました。
その画家は「絵が家にあるよりいいから」と言われていましたね。
この2件は、公的な場所への展示、寄贈依頼であって、
私が知っている民間病院に展示されている日本画は
大きな作品でも、アクリル板なんかついてないんですよね。
油絵やアクリル画もアクリル板はついていない。
画家が公募展に出した状態で購入、寄贈してもらっているわけです。
もちろん、昔はアクリル板でなく、ガラスだったから、
大きなガラスを額につけることは無理だったんです。
今のアクリル板要求は、
公的な場所は
「アクリル板をつけねばならない」という認識になっているんだろうなと思いました。
そういう、寄贈品についての規約でもあるのでしょうか?
アクリル板をつけねばならないという規約が。
私は、わざわざ高い金を払って
アクリル板をつけて、
絵をもらってもらうなんて、
非常に奇妙⁉️
と正直思いますし、
某市長からアクリル板つけるなら、
市役所に展示してやる、と言われた友人の画家は
それを断ったと聞いてホッとしました。
これは、公的な場所から画家への一種のパワハラみたいなものですね。
アクリル板つけるなら、展示してやる、というパワハラです。
画家が高齢になると、言い出すんです。
イコン画家もそうですが、
「私は立派な作品を描いてきたんだから、敬われるのが当然だ」
これは画家だけでなく、
ベビーブーム時に生まれた人の特徴らしく、
自分の子どもにまでマウントする親世代が
「自分の素晴らしい人生を褒め称えるのが当たり前だ」
という要求をしてくるわけです。
私はいばりまくるイコン画家からは、さっさと離れたし、
少しでも、敬うことを要求する人間とは、つきあいは辞めるようにしています。
高飛車な画家ほど、出し惜しみして、
たいして教えてはくれないからね。
非常識な画家もいる。
公的な場所が、
アクリル板をつけるなら、
うちへ展示してやろうという要求は
画家へのマウントだなと私は思っています。
展示したけりゃ、自分とこで
アクリル板くらい買えよ‼️と言ってやりたいね。
そうやって展示しても、
絵を見る人は、たいして見ないんだよ。
昔、キルトも、家にあるたくさんのキルトを
どこか展示する場所を作ろうという運動がありましたが、
当時、キルト専門誌の編集長と
この件について話したことがありますが、
編集長も、日本ではキルトは家庭内のもので
アートとしての扱いはないだろうということでした。
今は現代美術が投資としての価値を認められて
日本でも取り引きが盛んだけれど、
本当のよさを理解して購入している人は少ないだろうなと思います。
いまだに
「描いている人、変わっている人なんだけど、絵はいいでしょ?高くなるしね」
という考えですからね。
また、それを儲けとして、描いている人もいるから、
アートビジネスとして確立はしましたね。
私は、子育てと介護があったから、
キルトも絵も、その生活に沿っています。
子育ても介護もできるなんて、
人間としては、
すごく幸せだし、
作品には影響があると考えています。
アクリル板の件、
公的な場所は、いったいいつまで要求してくるかね⁉️
また、巨大な作品を残して死ぬ画家は
生前整理をしておくべきですね。
私は断捨離という言葉が嫌いだから、
老前整理、生前整理を少しずつしています。