楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

何気なくメキシコの民謡を聴きながら

2012年01月20日 | 日記

20日(金)は雨が降りそうな、どんによりした曇り空のお天気でした。傘を差したご婦人もいましたが、なぜかポツリと感じたのでしょうか。私は傘は要りませんでした。

会社員時代、私は仕事の都合で、時々海外へ出張しました。でもメキシコへは行くことはありませんでした。アメリカ・テキサス州のサン・アントニオまでは行きましたが、(旧メキシコ領)ラテンの感じはあったのですが、その先へは行ったことはありません。また、アメリカ・カリフォルニア州サンジェゴの国境まで出かけて、何かの都合があり、フリーウエーを引き返したこともありました。7,8年ほど前に、アメリカ・ロサンジェルスから乗船して観光目的のクルーズで、太平洋側をはじめてメキシコに行くことができました。幾つかの小都市を訪れた印象はメキシコ本質というより、寂れた裏庭という感じでした。昨19日にメキシコのある街角のレコード屋でその時買ってきたCD音楽を、久しぶり何気なく聴きました。その中から「ラ・ゴロノリーナス」(スペイン語でツバメ)が出てきました。古いメキシコ民謡だそうで、少々名に合わないスローなテンポのこの曲は、ノスタルジックな民謡です。私は若い時から聴いた覚えがあり、懐かしく聴きました。今日ももう一回聴いています。日本人ギタリスト等も以前には結構多く弾いたり、唄っていました。 3年前、観光でアメリカ・フロリダから、またクルーズでカリブ海を渡り、メキシコ南部(コスメル)などへ行きました。こちらの方が、太平洋側よりやや退廃的で、開けて見え、かなり米国ナイズしているようでした。その時に買ったテキーラ人形のお土産は、まだ口を開けずに今もソンブレロを被ったままになっています。私には「メキシコ」は、意外にいろいろな思い出のある国です。 

 


主婦たちの自転車置きの傾向

2012年01月19日 | 日記

19日(木)は、朝方からどんよりしていましたが、昼ごろから久しぶりの雨になりました。雨がきつい時間と小ぶりの時間があり、午後は大体しとしとしていました。

知人の病院見舞いに阪急「曽根」まで出かけ、その帰りのバス待ち と 雨宿りにスーパー「ダイエー」に30分ほど入りました。このダイエーの入り口のすぐ近くに大手「三井住友銀行」支店入り口もあります。5mほどの距離で90度直角の感じで二つの入り口があります。銀行支店の表示では、スーパーへ買い物にくる主婦の自転車の置き方が自社の入り口を塞いでいて営業妨害的なのが、日頃からの悩みのようです。「入り口の前に自転車を置かないでーー」という表示が出ています。今日は自転車に乗った主婦たちは傘をさして自転車に乗るサーカスもどきをやる上に、なんと重い買い物も乗せようという剛毅なお考えのようです。至近距離の銀行支店にいかにも客だといわんばかりに、自転車を入り口に置きっぱなしです。スーパー出口から近いからそうなっています。スーパー側も屋根のあるきちんとした駐輪場は準備していません。この主婦たちは周りや子どもがいると、いかにも健全な主婦の顔を見せるママという感じですが、一歩裏へ回ると、禁止のはずの所を平気で使って無茶な「エチケットなし」の状態が実態です。どんな事情があろうとも、少なくとも雨の日は自転車は危ないです。ご自分の怪我や人に怪我を負わせる前に、冷静に(子ども教育的にも、人には見えない所でも)こういう無茶で、しかも禁止の行動はぜひ自重してください。そう思って眺めていると、次々と当たり前、いつもやっている、といいわんばかりの顔した主婦(30歳代、40歳代が多い)達がどんどん乗り付けていました。どういう顔で子ども教育をやっているのだろうか。


阪急電車「十三」駅名の読み方で

2012年01月18日 | 日記

18日(水)は、冬らしくない暖かい日で、ほとんど一日晴れでした。電車の中で、一部の人が分厚いマフラーをしている姿は、むしろ滑稽でした。

用事があり、阪急電車で梅田まで出かけました。阪急は今日は、どこかで信号故障があったそうで、ダイヤがずいぶん混乱していました。かなり予定より遅れて梅田に着きました。帰りの情報を得たくてチケット売り場に出て、「十三」という読み方 じゅうそう を見ました。いま、この駅は阪急の主要3線が交差する大事な乗り換え駅です。これはなぜ「じゅうさん」と素直に読まずに じゅうそう でしょうか。不思議におもいました。名前では「〇〇三」と書いて関東の人は「ぞうzou」と読み、関西の人は「そうsou」と読むと、とっくに亡くなった父が言っていました。そうですね、例えばNHKで見た「敬三」「雄三」などの読み方は標準語(関東の読み方)で「ぞう」でした。父の名前も三男に生まれたので「〇〇三」でした。わたしが子どもの頃、関東生活が長かった父は「ぞう」と言われる方が抵抗少なく、後年暮らした幾らか関西の影響ある広島の田舎の皆さんが、父の事を「〇〇そうさん」と呼ぶと、本人は一応返事はしているようでいたが、私は何故か違う人に感じてしまいました。昔、「十三」は淀川の縁にあり京から下流に数えて13番目の渡し場があって、その名が残ったそうです。でもなぜ「じゅうそう」と呼ぶのかは、調べましたが、謎です。関西だから「そう」で良いのでしょうが、なぜ「じゅうさん」でないのでしょうか。分かりません。300年前頃だから「算用数字」への偏見だったのかな。


いつの間にか「阪神・淡路大震災」は神戸だけに

2012年01月17日 | 日記

17日(火)は暖かく好いお天気になりました。私は難波のあるビルに一日中缶詰でしたので、この好天の恩恵にはあずかりませんでしたが。

朝、新聞やTVで盛んに阪神・淡路大震災の17年目であることを報道しています。でもどれを見ても、「神戸」だけが浮き上がって、神戸だけが報道されています。名は阪神というのにナゼ神戸だけになっているのでしょう。17年前の震災当初は神戸だけでなく淡路や兵庫県東部各都市も大阪北部も大きな被害だったので、この名になったはず。それが、報道しやすい神戸のパーフォーマンスに紛らわされた形で、シンボライズされ、今やいつの間にか、「阪神」 = 神戸 になっているようです。この度の「東日本大震災」が「神戸」の大震災と比較対応されています。東日本がある都市や地域に限定できない広域なのに比べて、神戸はかなり災害被害が重点的だったのは分かりますが、神戸のパーフォーマンスはやや度が過ぎる感じはしています。報道(マスコミ)が偏っています。私の住む豊中市(大阪北部)も17年前の被災地です。私も箪笥や本棚の下敷きになりました。幸い怪我はしないでしたが、家中大混乱でした。私が被災後一か月で東京へ出張した時、東京方面の人から「神戸が大変です。支援募金中ですが、募金してください」と言われ、「あほなことを言いなさんな。なぜ私が募金をするのでしょう。私は震災被害者の方ですよ」と言った覚えがあります。ある所ばかりを重点取材する報道の偏り と いい加減さ のパーフォーマンスだけを追いかける姿勢には、おかしい所があることをつくづく感じました。マスコミは頭冷やしなさい。おかしいよ。


「千里中央」駅は今も終点

2012年01月16日 | 日記

16日(月)は一日どんより曇っていましたが、雨にはならず、と言って晴れた時間はありませんでした。日本海地方ではかなりの積雪だと聞きましたが、大阪の寒さはまずまずでした。

千里中央で仲間の打ち合わせと個人の旅行情報集めのために、いろいろな場所に立ち寄りました。お昼頃、「千里中央」駅の地下一階にある駅を跨ぐ歩道橋から地下二階の下を眺めると、ちょうど北大阪急行(大阪市地下鉄の相互乗り入れ最終駅千里中央駅ホーム)が真下でした。駅に着いた電車からかなりの乗客が降りるところでした。今でこそ、ここは地下鉄最終に当たる駅でいったん全員下車します。大阪モノレール乗り換え等でHUB駅の感もありますが、モノレールができるまでは万国博があった折には電車はそこまで通じていました。したがって万博があった時は単に途中駅でした。乗客の減少や将来性で問題もあったのでしょう。万博が終わるとしっぽ切りされて地下鉄御堂筋線江坂駅から北大阪急行に数駅だけ延長され、ここ千里中央が終点になりました。バブル経済の頃、一時御堂筋線をまっすぐ延長して箕面市の山間にトンネルを通す計画もあったようですが、今は何も言われません。この跨線橋(駅すぐ上)は、動く電車が良く見えて子どもの喜ぶ場所のようで、幼児を連れたママが何人か一緒に眺めていました。見えるのは、千里中央駅「中央出入り口」近辺風景です。


最近の「学生の論文」は

2012年01月15日 | 日記

15日(日)は曇天で、冷たい感じの一日でした。ほとんど外出しない日になりました。

中国人女子留学生 Oさん(28歳、既婚、一児の母、K大学修士過程)の日本語を支援して3年程になります。学生結婚(相手は先に中国で独立)し、この人は妊娠出産の時に休学し、中国在住の母親に子どもを預け、勉学を継続していたようです。現在は日本語資格1級テストにも合格して、アルバイトしているとのこと。最近は、私もその日本語支援も終わり、ほとんどしていませんでした。突然連絡があり、半年ぶりにお会いしました。この3月でK大学院を修了し、中国へ帰ると言います。ただ、その前に提出すべき卒業論文の原稿に日本語で自信がない部分があるので、一度見て欲しいという相談でした。国際経済の専攻ですから、日本と中国の関係が主体のようです。80ページに亘る分厚いコピーを預かって(多少の責任を感じながら)内容を見させてもらっています。でもいろいろ聞く話によると最近の学生の論文にはインターネットからの情報を コピー & ペースト する傾向が強く、先生の方も分かっていて黙認していると言います。彼女の論文もいくらかその傾向があるのでしょうか。でも前から思うことは、中国版の情報から取ってきたものは、日本語化しても共産中国の党宣伝臭が強く、国際的に客観的でもないので、日本語で論文にする時には、誰が見ても「何よ、これは」になる危険があります。いくら学生でも日本のように政情の違う国で論文を簡単に コピー & ペースト するのは問題ですね。いま専門外の私は、慣れない経済用語で苦しんでいますよ。


人形浄瑠璃の「新春公演」も佳い雰囲気だが

2012年01月15日 | 日記

14日(土)は寒い中にも多少暖かさを感じる瞬間がありました。旧のお正月を過ぎるまでは春ではないのでしょうが。

用事で、上六でのボランティア終了後、心斎橋まで出かけました。大阪南を斜めに横切る形で、30分ほど歩きました。途中の「国立文楽劇場」前は、幡や宣伝板が出ていて、新春の気分が溢れた感じでした。人形浄瑠璃はなぜか片思い、横恋慕、不倫、道行、心中と悲劇が多いです。近松ものを多く演ずる方のプログラム作成側にも一考を要す部分もあるのでしょうか。喜劇やハッピーエンドはないのでしょうか。何を見せてもらっても同じような、「物語」のように思えます。浄瑠璃の語り(うなり)方も同じように聞こえます。いくら古くからの文化遺産であってもこんなマンネリズムとバラエティーのなさは若い人には耐えられないキツサではないでしょうか。たまには現代ものや和風オペラ等も取り上げて、若い人をフアンにしていかないと、こんな「洋風時代」に先が思いやられます。でも新春公演の劇場前は、佳い雰囲気に感じました。プログラムや出演者の名前も貼り出してありましたが、高齢の私でもそちらの方をじっと見つめる気力はありませんでした。


高齢者住宅が次々と売り物件

2012年01月13日 | 日記

13日(金)は好天でした。乾燥した毎日が続きます。午前中は多少寒さもありましたが、午後には暖かくなりダウンコート程度ですむようになりました。

月一回の恒例である豊中市上野坂にあるT内科病院へ行ってきました。体調をみる血糖値など採血もありました。帰りに上野坂を下っていると、あるお宅に「売り物件」と貼り出されていました。この近所は昭和35年(1960年)ごろ急速に開発され、人口が急速に増えたところで今は高級住宅です。開発当時若かって当時でも安い地所ではなかったので、何かで得た資金があった人が土地か住宅を買ったのでしょう。いま高齢者で家を手放す人が急速に増えています。まだ生存中に手放す人も多いです。私の同年齢の高齢の知人(男と女)も今年に入って(理由はいろいろありますが)今の住宅から引っ越すと聞きました。基本的には「子どもの近く、とか 今後は、より郊外の施設で」と言っています。そういう現在の住宅の維持や保管をやれない人も増えてきたようです。この家の持ち主はどういう理由か分かりませんが、私は不動産会社の「売り物件」をみて体の中を風が横切る様な気持ちがしました。ご本人たちはどうしているのでしょう。もうお二人とも亡くなったのか、一人が残っているのか、お二人とも杖ついて、動けないのか。時代は変わりました。


歯科医は苦手だ、冗談言って紛らわす

2012年01月12日 | 日記

12日(木)は寒さの到来で、朝出ていく時には完全武装(帽子・マフラー・手袋・厚着など)で出て行きました。昼からは意外に気温も上がってきました。マフラー、手袋は脱ぐくらいでした。

歯医者のM医院(写真は待合室からの風景)は毎年適当な時期に検診をしてくれます。私の場合、昨年秋に多少疼いたので知覚過敏であろうと診てもらいました。ちょっとした詰め物をしてもらいその後、問題はありませんが、年初に「定期検診の要請はがき」が来ましたので、先生との付き合上、出かけました。でも私にとっては歯医者特有のあの「キューン」というグラインダーかバキュームの吸音は、どうしても恐怖の対象です。音からの連想(穴をあける感じ)で怖いのです。子どもの時に身に付いた「恐怖感」はなかなか取りにくいです。今日は、M先生から「あなたは随分前から寝ている時などに、歯ぎしり、奥歯をかみしめる歯をしています」と言われました。その後、バトンタッチした歯石掃除係の技士(若い女の子でグラインダーとかバキューム音源はここ)に向かって「M先生の言葉通りに歯ぎしりする癖はないけど、そんなに歯ぎしりするのであれば、若い時に女の子にふられたことがあるからでしょうね」と冗談を言うと、白衣とマスクだから眼だけしか見えない若い彼女は「そんなに何回もふられたのですか、ハッハ―」と笑っていました。一回はあるが、そんなに何回もないよ!!


冬日の公園「蓮園の池」で

2012年01月11日 | 日記

11日(水)は朝からどんよりしていました。外気もかなり下がってきて、本格的な冬日でした。午後は北風とともに「みぞれ」もあり厳しい寒さでした。

公園の池の中にある「蓮」の群生(特に発生するように移植?)する所があり、夏は緑の葉っぱの間に一面ピンクや白色との混合などの花があり、いろいろ楽しませてもらっています。冬は、その花が落ち蓮根の断面のようなカサが残り、軸から落ちて無残な姿になります。その合間を渡来した「水鳥」でしょうか、鴨?でしょうか。大小の鳥たちが餌を求めて動き回っていました。寒い風の池の辺には今日は人の姿がありません。それでもほんの少し不法な釣り人が糸を垂れていました。完全武装に近い防寒対策をしていました。近づいて笑いながら、「ここで何が釣れますか。この池で今夜用の寒ブリでも釣れますか」と言おうとして止めました。喧嘩を売るような言葉に受けとるでしょうね。こんな不法な輩に「一般の人には通用するジョーク」が分かるはずは無いと、止めました。その20分後私は歩行中に、かなり激しい「みぞれ」に遭いました。それでも「池の寒ブリ野郎」は寒い釣りを続けたのでしょうか。あほらし。