「宮崎駿が選んだ50冊の直筆推薦文展」なる展示会に行ってみた。
高知県立文学館の玄関のイベント・タイトルには、「岩波少年文庫創刊60周年記念・『借りぐらしのアリエッティ』DVD&ブルーレイ発売記念」なあんていうのも付いていて、なんとなくプロモーション会場風の賑やかで楽しげな雰囲気。建物の中に入ると「ハウルの動く城」の結構大きな模型もあって、突然ガチャガチャ音を立てて動き出したのにはビックリした(笑)。『借りぐらしのアリエッティ』のさまざまな場面を描いた美しい絵(原画?)が額に入れて何枚も飾られ、アリエッティたちの住む家(原寸大?)の模型も煉瓦で作られていたりした。
そんなカラフルな会場の一角に岩波の児童文学書の表紙が一面に飾られていて、そこが「直筆推薦文展」の入り口になっていた。思ったより小さなスペースに、ぎっしり50本の児童文学作品が、ハードカバーの素朴に美しい表紙の下、著者名や簡単なあらすじと共に紹介されている。その1冊1冊に、ハヤオおじさんの「推薦文」(直筆と活字に直したものの両方)が付いているようだった。
などと書きながら、実は私は「岩波少年文庫」をほとんど読んだことがない。
岩波少年文庫(1950年創刊)は私の子ども時代(1960年代)でも、おそらく学校の図書館などにあったと思う。表紙だけは知っている・・・という作品も多かった。
けれど岩波のそれらの本はどれも、私は子どもの頃に手にとって読んだ記憶が無かった。
「私はこういった話は、創刊されたばかりの「講談社 少年少女世界文学全集」(1958~62年)50冊で読んだんだ・・・。」「そこになかった話は、あんまり知らないんだな・・・。」などと少しずつ思い出し、私は昔を懐かしむ気分になった。
岩波とはまた違った考え方だったのだろう。講談社の全集には児童文学とは言えないような作品も採られていて、お蔭で私にとっての「児童文学」には、オデュッセウスに平知盛、ケストナーにショーロホフ、はたまた愛の妖精や人魚の姫が、もうゴチャ混ぜになっている。
その後、帰宅してからふと思いついて、講談社のこの古い全集を検索してみた。ごく軽い気持ちだった。
ところが全集の中の1冊の表紙(写真)を見た瞬間、言いようのない感情が押し寄せかけて、私は自分でもちょっと慌てた。「懐かしさ」という感情がこれほど圧倒的なものだとは、私は想像していなかったのだ。赤っぽい茶色の地に小さい装画と3行の横書きタイトル。(その絵をみるだけで、お話のタイトル3つが自然に浮かんでくる・・・。)
「私の子ども時代そのものが、今、目の前にある。」
大袈裟と思われるかもしれないけれど、一瞬そういう思いに駆られた。それらの本を繰り返し読んだ当時の自分が傍にいて、一緒に表紙を見つめているような気がした。
子どもの頃に読んだ本の記憶というのは、今の自分の想像を超えるものがあるんだ・・・と思ったとき、漸く我に返った。
「そうかあ・・・。50冊選んで推薦文を書く時には、ハヤオおじさんもきっと同じこと思っただろな・・・。」
たくさんの岩波少年文庫を前に、当時を思い出したり、確認のために読み返したりして、おじさんも思いを巡らしたに違いない・・・と。
話が逸れてしまった。元に戻すと・・・会場で私の印象に残った事柄は3つある。
1つは『ハイジ』についてのおじさんの推薦文だ。
「原作(本)のあるアニメーションの場合、原作の方が作品として良いからまず本の方を読みなさいという人がいます。私も半分くらいは賛成ですが、でもこの作品については違います。」
「当時、先頭に立つ若い演出家がいて、その人はもう白髪のおじいさんなんですが、その人の下で私たちはいい仕事をしたと今も思っています。」
「だからこの作品に関しては、本とアニメーションの両方を読んで、見て下さい。」
そうかあ。『アルプスの少女ハイジ』のアニメーションは20代の友人がわざわざ見せてくれたオープニングの部分しか知らないけれど、いつか私もまとめて観てみたいなあ。(若い演出家は高畑勲さんのことかな。おじさんは確か「場面設定とか画面構成を担当したはず」って友人が言ってたっけ。)
2つめは、おじさんへのインタビューを活字化したパネルで読んだこと。
おじさんは、高校生の頃色々な(大人の)小説を読もうとしたんだけれど、ドストエフスキーだったかなんだったか(既に忘れてる)を読んでいる時「自分が解剖されるような気分になって、それ以上読むことが出来なくなる」経験を何度かしたという。「それらの小説を一応読んでないと、同級生たち(進学校だったらしい)の仲間に入れない気がして、読もうとしたんだけれど・・・。自分のような(タフじゃないところがある?)性格の人間は、むしろ子ども向きの本の方がいいというか、ずっと水に合う感じがした。その後は児童文学を沢山読むようになった。」とかなんとか。
以前私は、スタジオ・ジブリ初の洋画提供作品となった『ダーク・ブルー』について、おじさんの言った言葉にちょっと呆れたことがある。
「ジブリが日本公開に関わっていますけど、私自身はこの映画を観ていません。この映画に出てくる人たちは、悲劇といえば悲劇なんですけど、戦争中はこんなこといくらもあったというか・・・。」
「大体、僕は映画なんかで心を揺すぶられたくない。」
今回見た(インタビューでの)おじさんの言葉はそれよりずっと正直で、なんだか私は納得した。
「映画なんかで心を揺すぶられたくない。(現実だけで、もう十分以上だ?)」というおじさんの心情を、ある若い友人は、「僕はとてもよくわかる・・・と思う。もう全く同じこと思うから(笑)。」。そういう人たちもいるだろうな・・・と改めて思った。おじさんはそういうものを「見る」より「作る」方が、性に合っているのかもしれない。(「解剖される」より「解剖する」側の方がいいんだ、きっと・・・なんて(笑)。)
そして3つめも、やはりインタビュー記事でのおじさんの言葉。
「日本では翻訳文学の質が高くて、その地位もそれ相応に高いんです。」
おじさんは続けて言う。
「石井桃子さんの翻訳と聞くと、それなら(読む気がなかった作品でも)読まなくちゃ・・・とか。」
「『ゲド戦記』なんて、日本では清水真砂子さんのあの訳だから残った。言葉の使い方が独特で、雰囲気があるでしょ。あれでなかったら今頃は消えてしまってますよ。」
「消えてしまう」はちょっとヒドイと思うけど、ホントにそうだな~と私なりに思うところもある。(どんなに誤訳が多いと言われても、菊池光さんのフランシスが好きだった。ギャビン・ライアルも「スペンサー」シリーズも、私はみんなキクチさんに読んでもらったのだ・・・などなど。)
タイトルで謂うところのおじさんの「直筆」メモは、きれいなハードカバーの表紙やアニメーションの絵の中にあって、それだけが「鉛筆での下書き」風だった。でも、私はおじさんの丸々コロコロした手書きの文字を、『借りぐらしのアリエッティ』の前売り券を買った際についてきたミニ・ブック(アニメの構想を練っている途中の「下書き」が一杯!)で見て以来、なんとなく好きなのだ。もちろん、ざっとした手描きの絵も。
考えてみると・・・元々は宮崎駿監督のアニメーションというのを、私はあまり好きじゃあなかったと思う。
女の子のスカートを下から見上げて撮るアングルも、「魔女が箒で空を飛ぶ」のを撮すのに最も良い角度と判ってはいても、やっぱり気分は良くない(苦笑)・・・とか。ワケのわかるようなワカラナイような物語展開も、たまにメンドクサくなってきたり(笑)。
要するになんとなく「虫の好かない」監督さんだったのだ。それなのに何年か経つ中に、こんなに長々とおじさんについて、アレコレ書き散らすようになってしまった。
今回の展示会を紹介する文学館の機関誌上で、1枚の写真に目を惹かれた。仕事場の床にきちんと並べた沢山の少年文庫を前に、作業用の白いエプロン姿で自分もきちんと正座して、両手を膝に乗せ、じっと見ているおじさんの全身が写っている・・・。その顔がごく微かに微笑んでいるように見えて、なんとなく私も嬉しくなる。おじさんが見ているのは、単なる本の表紙じゃあないことが伝わってくる。
いつも不思議だった。
私はなぜこの人のアニメーションをスクリーンで観たいと思うのだろう。大トトロもネコバスも、私は「気持ち悪い」と感じるであろう子どもだったヒトなのに、どうして公開時に大きなスクリーンで観られなかったことを、今でも悔やんでいるんだろう。
ところが最近、『コクリコ坂から』を観ているうちに、その理由が少し判った気がしてきた・・・。
(というわけで、次回は『コクリコ坂から』を観ながら考えたことを書こうと思います。宮崎吾朗監督よりも、またまたハヤオおじさんの話になりそうです。どこまでもムダに長くてスミマセン(ぺこり)。)
『ハヤオおじさんのアトリエ』 http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/7e710b7a1d51f6ad524606b58345399c
私も殆ど(ポニョだけ観てないの~)観てるけれど、何も考えないで観ていたよ~(なんか恥ずかしい)
ムーマさんの観察力や文章力に圧倒された。
解剖されたよ~♪
宮崎作品明日にでも見よう。何にしようかな。
子供の本の話とズレちゃってごめんね。
素敵な日記ありがとう。
いやいや、楽しいですね。(実際は影響を受けすぎるので注意しています)
私、全然詳しくなんかないんですよ~。
よく間違って覚えてて、ひとりで冷や汗かいてます。
さっきも(引用したので一応)久方ぶりに『ハヤオおじさんのアトリエ』読み返してみたら、映画の「ダーク・ブルー」を、100%「ディープ・ブルー」って間違って覚えてました。
直そうにも直しようがないくらいなんで、諦めて訂正コメント書いてきたばっかりなんです。
(3年後の訂正って何なんでしょ(悄気)。)
なあんて言いつつも、空想妄想は止まらないんですが(笑)。
今回も思いつくままに書いてたら、3年前に書いた『アトリエ』とかなり内容が重なってました。
いつまでたっても同じようなこと考えてるんでしょうね、飽きもせず(笑)。
で、おじさんのアニメーション観てる最中は、もう何も考えてません。
ただただボ~~~~って、観てるだけ。
こんなとりとめのない話を読んで下さって、本当にありがとう!
次回はもう少し短く出来ると思います。
いいなあ。「文字より絵とか、写真とか、でイメージを楽しむタイプ」って。
イエローフロッグフィシュさんの頭の中には、私とは全然違った色彩・デザインの風景が広がってるんだろうな・・・って、昔からいつも羨ましかったんですよ(本当)。
良くも悪くも、私は人間の「顔」に目が行って、だから当然?「言葉」も聞いちゃうし、書いたもの(文字)も目に入っちゃうみたい。
聴覚より視覚優位らしくて、「音楽」は(好きなんだけど)なかなか耳にも頭にも残らない・・・。
でも、音楽から「色彩」や「絵」が浮かぶことはたまにあります。
そういうときは(私としては)「特別な体験」をしたような気分になって嬉しかったり(笑)。
楽しみ方ってほんとに人それぞれですね~。
検索して、あの赤い背表紙を見たとき、「あ、これだ、これだった!」と興奮しました。なぜか、小さい頃にギリシャ神話に異常に興味を持ったときがあって、この第一巻のせいかもしれません。
ガリバーも人魚姫も、たぶんこの全集で読んだはず。
懐かしいです。
やっぱりはにわさんもそうでしたか~?
私もあの第1巻のギリシャ神話、何回読んだかわかりません(なぜか興奮)。
挿絵も良かったんですよね~。
上品なオトナっぽい線画で、いかにもギリシャの神さまだの、綺麗な女の人だのが描かれてる気がしました。
ガリバーも人魚姫も、この全集にあったの覚えています。
ほんとに懐かしい・・・なんだかはにわさんが同級生?に見えてきました(笑・笑)。