映画自体にはあまり触れてない「ひとこと感想」その26。
以前、若い友人の知り合いから原作マンガ(最初の2冊だけ)が回ってきて、なぜか私も読むハメになったのだけれど・・・「今度”京アニ”で映画化されるって」と聞いたときには、(7冊のうちの2冊しか読んでなくても)私にとってはこのマンガを読むのはかなり辛い体験だったので、映画を観にいくのにも、相応の気力(と決断)が必要だった。
学校での”いじめ”や、聴覚障がいに対する無理解・差別といったことだけではなく(それだけでも見ていて辛いものがあるんだけれど)、そもそも人と人とがコミュニケートすること自体の困難さ、人を理解したいと思うこととその思いを持続させることには、相当な隔たりがあるという現実・・・などなど、さまざまな次元・方向での「ディスコミュニケーション」が描かれることになるんだろうな・・・と想像してしまったからだと思う。
それでも、結果的にはこの映画が観られて、本当に良かった。(日本のアニメーションの特質というか、その一番いい部分を見せてもらった気がした)
原作を最後まで読んでいたら、特に後半部分については(多分2時間という時間的制約のせいで)色々不満を感じたんじゃないかと思うけれど、それでも若い友人の「京アニはここまで(表現)出来るんだな・・・」という呟きに、私自身も賛成したくなった。ほとんど実写映画を越えてしまいそうな、精緻な情景描写(人の心理がそのままそこに投影されているのがわかる)も、「人の顔が見られない」のを、いかにもアニメ的に「相手の顔にバッテンを貼る」ことでストレートに表現するセンスにも。
映画では原作とは違うラストだったという話も聞いたので、その後回ってきた残り5冊と合わせて近いうちに読もう・・・と、 寝室の枕元に積んでおいたら、5ヵ月後の今もまだ「ツン読」のままになっている。それくらい、私にとっては「読むのには気力と決断が必要」な作品なのだから、ま、仕方ないんだけど、2016年の「ひとこと感想」全部書き終わったら、まずこれに手をつけなくちゃ・・・と、今のところは思っている(^^;。
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