富士市を中心の郷土史

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富士市今泉の昔話(112)

2014年07月10日 19時55分05秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(112) 今泉近辺の年譜(15)
              注記 根方街道(1)

年譜を続けている時、根方街道に関して継続があり、また面白い
伝承もあったため注記して見る。
根方街道の記は明治5年の陸地測量部の地図より始める。この年に
「佐野新道」と名つけられている根方街道が明示されている。何故
にこの名が在るか解らなかったが、吉原より下土狩の「佐野」迄の
往還名として了解で来た。現在の下和田・栄町・富士見町・田宿
を経て原田に通ずる新道が開始されたようである。
新しい根方街道は、明治9年地租改正の際に幅員を拡張し、その後
明治32年に吉原・沼津間が改良道路に指定され、完成したのは明治
42年である。
改良の内容は、馬踏2間副、屈曲を改良するため古道を廃して新道を
設け、高地を削り、低地は土盛して子砂利を敷き、両側に悪水路を設
置して、路面の土流出を防ぐ施工方法がとられた。
この改良工事により、尾根の先端を結ぶ直線道路となり、距離も旧道と
比べ著しく短縮された。是が今日言うところの新道である。
この新道の完成を浮島地区はじめ、沿道の住民がどのように受け止めた
かは、当時流行した「根方づくし」という俗謡からも見てとれ、その伝承
を記して見る。



俗謡「根方づくし」
 吉原本町あとにして
 水の清きは今泉
 原田 宇東川 滝川よ
 比奈の娘の
  おいろけないのにわしゃ惚れた
 わしのかかあはほんだしよ
 富士岡一本だきしめて
 中里仲好く暮しましょう
 神谷仏に願をかけ
 増川 江の尾は境えます
 恋の新田情の船津をあとにして
 米のやりとりゃ石川よ
 石川 平沼 井出 根古屋
 根古屋のお城をあとにして
 青野柳沢夢の間に
 おや(鳥谷)という間に日が暮れて
 東原の明けるころ
 椎路 沢田か熊堂へ
 そのまた向こうが岡の宮
 そのまた向こうが下土狩
 そのまた向こうが
 三島女郎衆はノーエ
   (あとは農兵節を続ける)

夏の暑さを思はせる「竹煮草」が咲き始めた。珍しい
「にんじんぼく」の青色の花も賑やかである。