富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(85)

2013年12月21日 09時32分30秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(85) 外伝 善徳寺考 霊場巡り(23)

伊予の旅(菩提の道場)を続ける。全国育樹の催事に皇太子の前で
長官賞の榮を受けた感激を思い出しつつの旅。面河渓谷の見事の紅
葉、星に近い久万の泊、久万林業の勉強、共に思い出。此の度は妻
子孫に付きそはれての仏を尋ねての旅である。

四国霊場第45番岩屋寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 弘仁6年、弘法大師が此の地を訪れた時、法華仙人といふ
     女人が居り大師に帰依し一山を献じて大往生を遂げた。大
     師は不動明王の木像と石像の2体を刻まれ、木像は本堂
     へ、石像は山に封じ込め、山そのものを御本尊不動明王
     として護摩修法された。寺号を海岸山岩屋寺と名ずけら
     れた。
     それ以来寺は修行の霊地として法灯を継承したが、明治
     31年失火の為焼失し、大正9年には再建されている。
     (所感)山号は海岸山とぞ夏うぐいす   稜子






 御本尊 不動明王
 御詠歌 だいしょうの いのるちからの げにいわや
     いしのなかにも ごくらくぞある




四国霊場第46番浄瑠璃寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 寺の創建は和銅元年「708」。薬師如来の別名の瑠璃
     光如来から寺号を浄瑠璃寺と名ずけた。本尊は行基菩薩
     の刻まれた薬師如来。本堂は天明5年(1758)の再
     建。
     (所感)千年のいぶきの涼し封じ石    稜子





 御本尊 薬師如来
 御詠歌 ごくらくの じょうるりせかい たくられば
     うくるくらくは むくいならまし





四国霊場第47番八坂寺
 順拝日 25,5,12、
 由緒等 大同2年(807)弘法大師が此の地を巡錫の折、此の
     地が補陀洛山さながらで8葉の蓮台に似ている事より、
     8葉山の山号をつけ霊場とされた。大師は此の山に登ら
     れて求聞持の修法をされ、船舶の安全を祈願して、自刻
     の十一面観世音を安置された。
     (所感)山滴る石の炎を負ふ不動尊   稜子





 御本尊 阿弥陀如来
 御詠歌 はなをみて うたよむひとは やさかてら
     さんぶつじょうの えんとこそきけ





四国霊場第48番西林寺
 順拝日 25,5,13、
 由緒等 縁起によれば、聖武天皇の勅願によって天平13年
    (741)、行基菩薩が徳威の里に堂宇を建立し、一宮別
     当寺と知って開創した。大同2年(807)には弘法大
     師は現在の地に寺を移し、十一面観世音を刻んで本尊と
     して安置した。
     (所感) 涼しさや観音やさし満願寺  稜子






 御本尊 十一面観世音菩薩
 御詠歌 みだぶつの せかいをたずね いきたくば
     にしのはやしの てらにまいれよ





四国霊場第49番浄土寺
 順拝日 25,5,13、
 由緒等 山裾に空也谷言ふ所が在る。是は村人が空也上人を慕っ
     てつけた地名で、此処に浄土寺がある。天徳の頃
    (557~60)、上人が此処で3年間教化に励まれた。
     此処に在る上人像は、村人の懇願により上人が去る時自
     刻された上人像である。
     本尊は行基菩薩作の釈迦如来。
     寺は天平年間に開創され、孝謙天皇の勅願所であった。
     後に弘法大師が巡錫され、伽藍を再興された。
     (所感)南風に押されて入る仁王門  稜子





御本尊 釈迦如来
 御詠歌 じうあくの わがみをすてず そのままに
     じやうどのてらへ まいりこそすれ




四国霊場第50番繁多寺
 順拝日 25,5,13、
 由緒等 御本尊は寺の開基である行基菩薩の作で、孝謙天皇の勅
願寺であった。弘法大師が長く留まって東山繁多寺に改
称された。時宗の開祖一遍上人も此の寺に留まって学問
修業されたと伝えられる。
     (所感)山門にまつはる定家葛かな  稜子






御本尊 薬師如来
御詠歌 よろずこそ はんたなりとも おこたらず
     しょびょうなかれと のぞみいのれよ