富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(83)

2013年12月06日 19時11分43秒 | 昔話

富士市今泉の昔話(83)外伝 善徳寺考 霊場巡り(21)

四国霊場第33番 雪渓寺
 順拝日 24,5,20、
 由緒等 延暦年間に弘法大師に依って開創され、当初小林山高
     福寺と称し、その後「運慶」「湛慶」の所縁で慶運寺
     に改めた。寺歴によると一時荒廃し、月峰和尚が再興
     し、元親の死後その菩提寺となり、法号にちなみ雪渓
     寺となった。
     (所感) 此の寺に終わるこの旅7変化    稜子
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 たびのみち うえしもいまは こうふくじ
     のちのたのしみ ありあけのつき




四国霊場第34番 種間寺
 順拝日 24,5,20、
 由緒等 敏達天皇の6年(577)四天王寺造営のため来日した
     百済の仏師が、海上安全を願い刻んだのが薬師如来で、
     これを山頂に安置された。やがて弘法大師が此の地に巡
     錫し、薬師如来を御本尊として寺を開創され、中国から
     持ち帰った五穀の種子をまかれた。種間寺の寺名はこれ
     に由来する。
     (所感) しまなみの海何処までも夕焼くる   稜子
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 よのなかに まけるごこくの たねまてら
     ふかきにょらいの だいひなりけり




四国霊場第35番 清滝寺
 順拝日 24,5,20、
 由緒等 縁起によれば、養老7年(723)行基菩薩が御本尊
     薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院鐸木寺とした。
     弘仁年間に弘法大師が巡錫し、山中で17日間の修法
     され、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き
     でて鏡の様な池になった。そこで医王山鏡池院清滝寺
     に改め、霊場とした。
     (所感)花蜜柑の香に導かれ札所寺   稜子
 御本尊 薬師如来
 御詠歌 すむみずを くめばこころの きよたきじ
     なみのはなちる いわのはごろも





四国霊場第36番 青龍寺
 順拝日 24,5,20、
 由緒等 弘法大師は中国留学中、青龍寺の恵果阿闍梨に就いて学
     ばれたが、帰国にあたって師の恩に報いる為に有縁の勝
     地を撰ばれるようにと、明州から東に向かって独鈷杵を
     投げられた。やがてこの地の山上に在る松に止まった。
     帰国した大師は此の地に巡錫して感得し、弘仁6年
    (815)嵯峨天皇に奏聞して一宇を建て、自刻の波切不
     動を安置し、恩師を慕って寺名を青龍寺とした。
     (所感)山蟹の土のいろなす土佐の国   稜子
 御本尊 波切不動明王
 御詠歌 わづかなる いづみにすめる しょうりうは
     ぶっほうしゅごの ちかいとぞきく





四国霊場第37番 岩本寺
 順拝日 24,5,19、
 由緒等 寺は、古くは福円満寺と言い、開基は行基菩薩で、聖武
     天皇の勅を奉じ、天の7星をかたどって6ケ寺を建てて
     仁井田7福神とも称した。弘仁の頃になると、弘法大師
     が巡錫して5社・5寺を増築し、本地仏の御本尊である
     不動明王・観世音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩
     薩の5体を安置し、3国相承の星供秘法を修し、藤井寺
     5徳智院と号された。また嵯峨天皇は勅願寺として御料
     地を給された。
     (所感) 卯の花の枝垂れ従ふ札所寺     稜子
 御本尊 不動・観世音・阿弥陀・薬師・地蔵の五尊
 御詠歌 むつのちり いつつのやしろ あらはして
     ふかきにいたの かみのたのしみ




四国霊場第38番 金剛福寺
 順拝日 24,5,19、
 由緒等 弘仁年間に弘法大師は此の地を巡錫して千手観世音を感
     得し、此の地が日本の最南端に在ることから、観世音の
     理想の世界(普陀洛世界)の地として朝廷に奏聞し、嵯
     峨天皇より「普陀洛東門」の勅額を賜り、弘仁13年
    (822)伽藍を建立し、千手観世音を安置した。
     (所感)山門を入るや夏うぐひすの声     稜子

     名にし負える足摺岬の絶景に感動。援けられつつの最南
     端の順拝の感激。一時を千金の思い。

 御本尊 千手観世音菩薩
 御詠歌 ふだらくや ここはみさきの ふねのさほ
     とるもすつるも のりのさだやま




6年生の檜。鹿の食害による枯死が見られる。