富士市を中心の郷土史

昔話、城、寺、歴史。

富士市今泉の昔話(72)

2013年09月20日 20時30分36秒 | 昔話
富士市今泉の昔話(72) 年間ブログの整理(4)

昔話(23)12・10・3 善得寺考 伽藍の配置(1)
「香語」に示す如く、吹上の南の丘を切り開き累石で段を造った現状であ
る。関東10刹に列された大寺、善得寺を入れ得る平坦地約10町歩がある。




昔話(24)12・10・10 善得寺考 伽藍の配置(2)
禅の修行専門道場であった善得寺。七堂伽藍を中心とした聖域約1町歩の推
定配置。京都5山、甲府5山と同様の伽藍・配置である。





昔話(25)12・10・18 善得寺考 伽藍の配置「3」
伽藍配置の中央部である。
伽藍配置に足る面積が2本の道で区切られているが、伽藍の後は既に無く、
妙心寺の伽藍をお借りし昔を偲んでみたい。
 山門。
 仏殿。
 法塔。









昔話(26)12・10・25 善得寺考 伽藍の配置(4)
伽藍配置の北部の変遷。
伽藍の北部は、信玄の焼き打ちにより灰燼に帰し、梅雪の領地となった時
に、甲州の入植者の為地割し、今の吹上の東西の道が造られたと私見する。
公用・私用の区分、入植者の配置等に梅雪の工夫が在ったと考える。




昔話(27)12・11・2 善得寺考 試掘(1)
伽藍推定地の北部に空地が在ったため、市の教育委員会による試掘を依頼し
た。
空地の南・東にL字型のトレンチによる試掘を進めて戴き、南東部に柱の基
礎と思はれる石の配石が見られた。焼け土層の確認、大きな灰だまり、小石
の堆積等私見したが何れも何か確認いただけなかった。






昔話(28)12・11・9 善得寺考 試掘(2)
市の試掘を2次として、北の空地に南北のトレンチ2本を平行に実施して戴
いた。結果的には古い住居跡のみで、善得寺に結ぶ物は見られなかった。地
番の一筆の面積が多き為、塔頭或いは堂楼の基礎を期待したが、得られな
かった。黒曜石の鏃石は子供の頃より拾った為、客土等土の移動は在ったか
もわからない。







昔話(29)12・11・17 今泉小学校の思い出(3)
今泉小学校水の上教場の思い出は、既に2回程記したが、文集「椋の樹」は
殊に懐かしい。
旧師旧友の文を読み返して、当時を思い出す。



庭に、赤まんじゅしゃげ・白まんじゅうしゃげが群れ立ち急に賑やかに
なった。