富士市今泉の昔話(27)善得寺考 試掘(1)
河東第一の大寺であった善得寺を、現在の場所と妙心寺
の写真とで当時を偲んでみた。確信を持って伽藍の配置
を推定してきたが、実証すべく推定地の空地を、二回に
亘り市の教育委員会に依り試掘して戴いた。
吹上の南の丘を削り、凹凸をならしての伽藍の建設だっ
た筈であり、其の跡地より奈良時代の住居跡が発掘され
たことに、疑念も持たれる。
然しながら、4ケの柱基礎の出土は有り難く、その意味・
由来に就いて尚の調査をお願いしてある。
其の状況を写真で見て見たい。
試掘前の景である。
第一回
平成16年12月9日~12月17日 調査面積85平方m
空地にL型のトレンチを計画し、南北の辺より掘作、要部
は拡大の方法を進めてくださった。状況は説明戴けなかっ
たが、報告書には此の部には住居跡のみとのことであった。
善得寺跡として勘案は難しかったかもしれない。
基礎と思はれるような平らの石1ケ、焼け土の層(?)、
約20cmの厚みの大きな灰溜まり等はなお検討いただき
たい。
トレンチ内に2ケ、拡大部に2ケ計4ケの写真の様な基礎
状の石が出土した。小石の囲む円は径が60cm(木の柱
と考えられる)であり、石は3.5mの正方形の配置であ
る。
此の石が何であるかは結論戴けなかつた。
写真を示し各所に質問したが明確な答えは得られなかった。
柱の太さ、配置より鐘楼又は塔としか考えられない。又こ
の場所での出土は家康・駿河大納言に関係するよりは、
善得寺に関係すると私見する。
次回に更にこの纏めと第2回の試掘に就いて記して見たい。
河東第一の大寺であった善得寺を、現在の場所と妙心寺
の写真とで当時を偲んでみた。確信を持って伽藍の配置
を推定してきたが、実証すべく推定地の空地を、二回に
亘り市の教育委員会に依り試掘して戴いた。
吹上の南の丘を削り、凹凸をならしての伽藍の建設だっ
た筈であり、其の跡地より奈良時代の住居跡が発掘され
たことに、疑念も持たれる。
然しながら、4ケの柱基礎の出土は有り難く、その意味・
由来に就いて尚の調査をお願いしてある。
其の状況を写真で見て見たい。
試掘前の景である。
第一回
平成16年12月9日~12月17日 調査面積85平方m
空地にL型のトレンチを計画し、南北の辺より掘作、要部
は拡大の方法を進めてくださった。状況は説明戴けなかっ
たが、報告書には此の部には住居跡のみとのことであった。
善得寺跡として勘案は難しかったかもしれない。
基礎と思はれるような平らの石1ケ、焼け土の層(?)、
約20cmの厚みの大きな灰溜まり等はなお検討いただき
たい。
トレンチ内に2ケ、拡大部に2ケ計4ケの写真の様な基礎
状の石が出土した。小石の囲む円は径が60cm(木の柱
と考えられる)であり、石は3.5mの正方形の配置であ
る。
此の石が何であるかは結論戴けなかつた。
写真を示し各所に質問したが明確な答えは得られなかった。
柱の太さ、配置より鐘楼又は塔としか考えられない。又こ
の場所での出土は家康・駿河大納言に関係するよりは、
善得寺に関係すると私見する。
次回に更にこの纏めと第2回の試掘に就いて記して見たい。