mtc札幌ガイド日記

のんびりコツコツ更新中

・あ、わたし、これだ。

2013-03-04 | Weblog
あれこれサーフィンしてる時に見つけた下記リンク先
以前ブログにたった一言「アスペ」と書いたコメントが付き、その言葉を知らなかったので
何かの単語かとは思ったけど書きかけて途中送信したものと解釈し、気に留めることも無かった。
読み始めたきっかけは、きっと「アスペルガーという言葉があるんだ」こんな感じ。
読んですぐ驚きに変わったのでその辺のことはあまりよく覚えていない。

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」 | 現代ビジネス [講談社]

ここからは全部感想文、内容と自分のことを照らし合わせて書いてみようと思う。

わたしは「アスペルガー」かもしれない。
断言できないのは病院でそう診断されたわけじゃないのと、内容にある症状の一致は半分ほど。
自分を知りたいと思い病院に行ってみようか迷ったけど「病気」と判断されるのが少し怖い。
あと自分にも非があることを認めてる部分がある、ただのわがままな性格かもしれない。
全てを病気のせいにするのはどうかと思うことから、”アルペルガー「かも」しれない。”

まず、奥村隆さん親子のアスペルガー(以下ASD)症状と、不一致なところ。
わたしにはギフトが無い
数字に対して細かくない(遅刻に関してもASDほどのこだわりは無い)
暗記は不得意
学校の長期休みが終わるのは寂しいけど新学期は楽しい

まぁ病状にもいろいろあるだろうけど、とりあえずわたしはこんな感じ。

次は、超理解納得出来るところ。読んで初めて「え!これ病気なの?」と思った。
ここからが自分の書きたいところ、長文になると思う、でもそれも一つのASD症状と言えば納得出来る。

1.人の話をあまり聞かない
読んだ後にいろいろ調べたんだけど、最初自分は「注意欠陥・多動性障害」(以下ADHD)かと思った。
でもこの点に関しては症状に首を傾げる部分も多くあり、違うと自己判断。
例えそうであっても症状は軽い方だと思う。

2.人とコミュニケーションを取るのが苦手
苦痛とまではいかないけど、好かれずともどうすれば嫌われずにすむのかなと常に意識してる。

3.計画を練るのが好き
達成出来るかどうかは別として、自分がたてた計画を現実にするための努力は欠かさない

4.チーズケーキの話には震えるほど納得
その話の前にある、カレーの話はわからなくも無いけどそこまでじゃない、
チーズケーキの話には思い当たる点がすごく多い。
その話はコチラ【第9回】まったく悪気なく「ひどいこと」を言ってしまう理由
同じくなぜこれが問題になるのかがわからなかった、
ある程度の社会経験がある(と自分では思ってる)のでさすがに今となってはわかるけど、
読んですぐ、「Aさんだろ」「空気が読めないのは間違い無くAさん」この意識は今も変わらず。

この内容に関しては、ブログでもいくつか思い当たる点があるので書き出してみる。
その前に、
5.自分が嫌われてることに気付けない(気付くのが遅い)

まず1つ目、オフ会をする時にお土産をもらうのが苦痛だった
と言うより、この症状を把握していない人からもらうお土産が何より辛かった。
逆に自分を知る人からのお土産はぶっ飛ぶほどに嬉しかった。
何故苦痛に感じるのか書くと、
お土産をもらう
食べ物の場合、当然のモラルとして捨てることが出来ない→食べる→食べ歩きが出来ない→
ブログが書けない(当時はブログを書くのが大好きだった)→
お土産の目的はブログを書かせないこと→わたしのブログが嫌いなんだ→
わたしは嫌われてるんだ(ガチョーン!)
この図式が瞬時に出来上がる。塾の話が近いかも

2つ目、空気が読めないことに関して
好きなブロガーさんに対しての執着が強く、その人が敬愛する人や物事
(例えばお店)には怖くて近付けない。
理由は、思ったことを口にしてしまう(またはブログに書いてしまう)ので傷付ける可能性がある。

ブログを例に出すとこんな感じ、関連が出たのでポイントの続き

6.悪態に思える言葉に悪気は無い
自分に出せる正解を他人が間違った場合、不思議に思ってしょうがない。
学習能力に関してはあまり沿って書くことができないけど、
テストで0点を取った人に対して「何故0点なの?何故出来ないの?」と聞く奥村さん、わかる!
例えば、これは今もよくあるんだけど、仕事先で新人女史がミスをした場合、
自分は出来るのにこの人がミスる理由がわからずとまどってしまう、
「どうして?」と聞く場面がよくある。
気が立ってると「え、バカなの?」とよく思う、さすがにこれは口に出すとまずいことを知り
言わなくなった。この文章を読むと、どうしてこの人(わたし)に社会生活が送れるのか不思議、
そう思ってもおかしくない、これに関しては理由があるのだ。
たいした理由じゃないけど、「おばかさん」と言われたら
「テヘ」となる女史が多いのも理由の一つ。

「ASDの人と付き合うことは難しい」そんな記述をいくつか見たけど、
その通りだと思う。わたし自身人付き合いが難しいと思ってる。


病気診断をされてそれを公表すれば周りの人も「この人は病気だから」と解釈出来て
お互い気楽になるんだろうけど、
アスペルガーは「人を思いやることができない」とわかると、
自分が病院に行かない理由も明確なわけで。

ちなみに、今【第12回】まで読んだ。話を最後まで聞かない(読めない)症状はこんなところにも....
たまらず自分の話をしてしまう、やっぱりわたしはASDだ。

「家族といると本当の自分を出せる」とあったけど、
今のわたしにはブログが家族みたいなもんなのかな。続き読むか.....

+++++++++++++++++

【第15回】まで読んだ

7.いじめは無かった
今も中学、高校の同級生とやり取りがあり親友と呼べる友達もいる、
いじめは無かったと思うけど「変わり者」ではあったかも、実際にそう言われたことがある。
自分ではその辺を歩いてる普通の人と思っていたので「変わってる」と言われることに抵抗があった、
「変わってるね」と言われた時のある日の返事、
「わたしが普通で○○さんが変わってるんですよ」
何故か場が静まり返った、真顔で返したものだから、(だって本当にそう思ったんだもの)
今ならわかるけどきっとみんな「えー」だったに違い無い。

いじめが無かったと言い切れるのは、家庭環境を周りの人が知っていたのも理由の一つ。
これはこのブログを書き続けたら、書かずにはいられない内容となるので後にする。
ちょっと文章にするのは面倒臭い。

9.悪口を言わない
嫌われることにビクビクしてる毎日なので人を悪く言う余裕なんて無い。
例えば対人関係で自分が不快に感じたら、なぜこの人はわたしを不快にさせるんだ、
そうかわたしが嫌いだからか、となり記憶から消す努力をする。

10.数字に対するこだわり
読み続けると自分は該当しないことに安堵する、そりゃそうだ、
誰だって自分の脳に障害があるなんて信じたくない。
著者は車のナンバープレートを用いた計算式に没頭していたようだけど
前述したようにわたしは数字にあまりこだわりが無い。

「良かった、やっぱり自分はASDじゃない」そう思った、
でも自分に思い当たる節は無いか、すごく考えて読んでた。そしたら、あった。

誰にでも出来ることだけど、人に話すと少し驚かれる
昔は得意になって話してた、今は、それが出来たからと言って何になる、そんな気持ち
たぶん超くだらない。
それは、一つの文章を読む(または話す)のとほぼ同時に平仮名の五十音順、
頭文字に変換することが出来る。と言うより変換しなくちゃ落ち着かなかった時期がある
くだらない~有益どころかバリ無益、価値が無いのでマイナスもいいとこ。

例えば、「今日のご飯は何にしよう、そうだうどんが食べたいな」この場合、
「かやあながはんはなななさやあ、さあだあだんがたばたあな」となる。
この程度の文章なら書く(または読む)のとほぼ同時に変換することが出来る。
人に得意になって話さなくなったのは、正解を知りたいと思われない。

これくらいは誰でも普通に出来るのかな。
ちなみに子供の時は全部が頭文字だった。でも今は「う」で落ち着くことが多い。
例えば上記の文章で言うと、
「かやあながはんはなななさやう、さあだあだんがたべたうな」
やっと「う」まできた、次は「え」の段が待ってる
ASDは治らないと見たけど、これが「お」までいったら、治るんじゃないかな。

あ、数字に対するこだわり、一つだけあった。
それはブログに表れる、「4」の数字。
「あーーーー」この時に使う「ー」横棒は「4」を意識してる。

今日で全部読む予定、(寝てしまったらまた明日)
回想しながら読むから時間がかかってしょうがない。

+++++++++++++++++

「数字に対するこだわり」にこだわってる自分がいる
昨日も回想しながら眠りについたわけだけど、寝る寸前に「あ!」っと思ったことがある。
それは友人関係にあった、と言うか4千字を越えた..次の記事に移そうか考えたけど
いつだかリニューアルしたgooブログ、文字制限が、....何文字になったんだろ
わかんないけど千文字では無くなった。何より出来ることならこの記事一つに収めたい。
読み返したその時は自分に再びショックを受けそうなので回想は一度で済ませたい。

寝る前に自分の交友関係を思い出してみた。
そしたら、すごく身近に数字に対してこだわりを持つ人がいた。
こだわりと言うかそれを仕事にしてる人。
年齢が一回りも違うのに(年上)今も変わらず仲良くしてる女性、その人の仕事は会計士だった。
ただの偶然かな、「会計士=数字にこだわり」この図式が思い付かず、
(今思えば会計士と言えば数字じゃんね)まさに灯台下暗し。

今も変わらず、と書いたのは、お世話になってた会社が不景気の煽りを受けて
事業縮小をした。それでも細々とわたしの身を案じて使ってくれてたんだけど、
さすがにこれは社員で賄える仕事だろうと考えることが増え、
わたしが勝手に不憫に思い断ることが増えた。
ここにきて初めて就いた会社だった。
それから数年が経つけど付き合いが無くなったわけじゃない、
思い入れももちろんあるしその会計士の方と仲良しになったのも理由の一つ、
先日は社長が入院する病院にお見舞いにも行った。

ただ、会計士=数字、と見るには少し疑問があって。
会計士の仕事に就いて20年以上のキャリアがある上に、
人望もあり今も現役バリバリだ。
考えてみるとそんな人と、わたしはどうして仲良く出来るんだろう。やっぱり数字なんだろか。

このことに少し関連して、気になってることがある。
「コミュニケーションが苦手」なのはもう何年も前からだけど、
来週友達とランチに行く予定が楽しみに感じるのは何なんだろう。
その人は決してASDでは無いと断言できる、理由は書き出すときりが無いけど
とにかくそう、ASDでは無い。あとこの仕事が落ち着いたらみんなで飲みに行こうとも話してる。
「頑張ろう~」とフラフラしながらも飲むことを、
前提に士気を高めながら取り組んでると、思うんだけど、これは一体どういうことなんだろう。
酒が飲めない友達は「○ちゃん、もうベロベロに酔っ払っていいからね」
「帰りはちゃんと送ってあげるからね」なんて言ってもらって、ヘラヘラ喜ぶわたし。
どこからどこまでがASDなのか疑問に感じてしまう、
そしてまだどこかに「自分はASDではない」と思いたくてしょうがない自分がいる。

+++++++++++++++++

最新の記事はあまり響かない内容だった。自分とは一致しない。
奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」
【第22回】理解できない夫の言動に、泣いて怒って苦しんだ妻の告白


アスペルガーとブログである意味カミングアウト。
それも「障害者じゃん!」なんて言われないためにも過去記事でUPした。

例えば「え、この人何変な人、え、まじどんな人なんだろ」と興味を持たれても、
今の更新頻度なら簡単に遡ることが出来(しかもブログは「続きを読む」設定)、
「あ、病人か、」と読む前の準備運動をしてもらえるわけで。

こりゃ最高じゃん!だってね、まず自分勝手に好きなことが書ける、
これが出来るわけだから。
もちろん細心の注意は払うつもり。それは、
好きなこと書いた~すっきりした~なんて思う記事は、「新記事」としてUPしない。
前にも書いたけど「うるさいハエは叩きたくなるのが人間の本能」
この話に関連するけど、まぁとにかく目立たないことが一番だわ。

しかーーーーも!コメント不可。
もし、不快に感じるコメントで悩んでるブロガーさんがいたら伝えたい、
「その優しさは捨てちまいな」
励まされるコメントが多くても気持ちがめげるコメントをするのは
たった一人。(このブログの場合多重人格者じゃなければ3人だった)
多数を取るか、少数を取るかじゃないよ、
ブログなんて所詮自己満、自分が快適に書ける空間を自身で作らなきゃ意味が無い。
いやーでもこれも難しいんだよね、一概には言えないけど、
最後まで悩ませるのは人の優しさだと思う。

やり過ぎ注意~
世間の尺度はサーバーが知ってる、このブログでいうと
gooのサーバーがちゃんと管理してくれる。
「このブログを通報する」という箇所があるんだけど、
響く内容であればあるほど、不快に感じるブログは自動的に無くなる。

何が言いたいのかというと、病気や障害を気にせずブログは書いて良いと言うこと。
だってちゃんと管理してくれる人がいるんだもの。
例えばこのブログが通報されて運営が「これはアウト」と判断したら、
本人がどう主張したところで、ちゃんと削除してくれる。

わたしはそこで初めて、「書いてはいけない内容だった」と
理解することが出来るのだ。嗚呼ブログ世直し!もとい、性格改善!

わたしの場合、特にその力に頼っていいと思う。
だってわたしはアルペルガー。人の力を必要とする生き物なんだもの。

ただ少し気になることがある、自己診断テストがあるんだけど
それをやってみたところ28点だった。
あれ?と思いもう一度やってみると30点。
まぁこれは正式な診断結果にはならないと注意書きがあるものなので
あまりあてにならない。
ただ一つ意外に感じたのは想像力。診断結果をそのまま載せると、

社会的スキル 7点
注意の切り替え 7点
細部への注意 6点
コミュニケーション 5点
想像力 3点

「想像力3点」これは超意外だった。もっとあっても良いと思うんだけどな。