moving(連想記)

雑文(連想するものを記述してみた)

意味(コード) 雑感

2006-08-17 | エッセー(雑文)
男性の軟弱さ、古来より英雄色を好むといわれるが、
特に「可愛い女の子」の媚び諂いの表情に、
軟弱になってしまうのは、
小犬が、仰向けになって腹を見せる服従のポーズの
「意味(コード)」として受け取られてしまうからだろう。
真に軟弱になった男性に向け、雑誌グラビアには媚び諂いの表情が
溢れ、特化したAV作品では女性の媚び諂いの表情一色になっている。
こういう幻想「意味(コード)」が蔓延する社会性というのは
問題であるが、女性が軟弱になった男性労働者に向け、媚び諂いの表情を
とることで、再生産システムがうまく機能しているようだ。
所詮、被支配者層による男性労働者によって運営される社会性は、
女性コードに支配されてしまうのであるが・・・。

「意味コード」に従い運営される社会性は、根本であって、
それは、容易に破壊することができない。
近年では、ホリエモンやムラカミなどが不用意に
それを変えようと試みていたようだが、其の志向性において、
小泉政権とも同調していたようであるが、
政治において、その姿勢は慎重であり、「意味(コード)」が
ズレる時を、その機を窺っているにすぎない。

歴史的に信長が「意味(コード)」を徹底的に変えようと
していたらしいのであるが、それは戦国乱世の時代で
価値観が浮き足立っていた背景が、長く続いていたためであり、
それに飽きた民衆の意思のようなものを土台とすることが
できたからである。
しかし、一方で上杉謙信のように、中世的な「意味(コード)」社会を
理想とする武将もいたわけであり、その常勝無敵ぶりは
社会「意味(コード)」的に考えると、やはり、多くの民意は
伝統的な価値体系に帰ることを望んでいたからではないだろうか。
だから、信長は勝利一歩手前で、足元をすくわれ、造反されたのでは
ないだろうか。
一説に、明智だけではなく、羽柴、徳川、柴田などの武将らの
密約があったとされるのも、急激な変化に対する抵抗が
強すぎたからであり、徳川政権においては、中央集権的な
律令国家のシステムを幕藩体制に取り込んでいる。

地方分権を主張される時代になって、
幕藩体制の藩経営のシステムが見直される傾向が生じることが、
予想されるが、すでに会社経営のモデルが武家社会の階層性を
モデルとしていて成立しているわけであり、
サラリーマンの理想像は武士モラルが実践できるものであり、
其の伝統は、スポーツ選手に養成されていることが多く、
そのため、優先的に会社はスポーツ選手を雇用するのである。
しかし、一方で県職員などの地方公務員は、貴族的律令制度に
おける中級官僚を理想モデルとして、その職務を遂行しており
21世紀国際社会といわれる時代になっても、
武家社会と貴族的律令社会のコード的な対立構造が背景にあるのは
とても面白い。
田中・元知事になった背景はコード的対立によるものであり、
貴族的な価値観を擁したいのか、横浜のように武士モラル的な
価値観を擁したいのかという差に過ぎないのではないか?
本来はコード的対立を解消すべく、政治は動かなければならない
とおもわれるが、目先の利権に左右される近視的状況の
市民(コモンセンス)であっては、それも叶わないだろう。
政治によって、コードを創造し変えようとしても無理なのであって、
既に対立しているコードの解消によってしか、
社会的コードは変化しないのである。
国際社会においては、社会的コードの変化という視点が
養成された政治家が活躍できるのではないだろうか。
・・・とするならポスト小泉に立候補している輩を
みるにつけ、絶望的にならざるを得ないのかもしれないw。