工藤忠も随行。
日本から帰国後、溥儀は別人のように親日になった。
その後、日本は国策として国民を満洲に送る。
1937年、溥儀と関東軍で覚書。
溥儀に嫡男なきときは関東軍の同意を経て昭和天皇が決定。
1937年7月、日中戦争が始まる。満洲は日本の後方支援。
天照大神をまつる建国神廟が作られた。
これは1935年、関東軍の南次郎からの溥儀への提案に始まる。
満洲の靖国神社で溥儀も快諾。
紀元2600年(昭和15年、1940年)に溥儀が再度来日。
溥儀は建国神廟に1945年まで参拝。
ただ溥儀の復辟への想いは絶たれた。
1940年、工藤忠は定年で退職。当時も「福寿」の「寿」は手書きで略字に近かった。
1945年8月9日、満洲にソ連侵攻。8月10日、関東軍を朝鮮国境近くに移ることを溥儀に傳えた。
8月12日、建国新廟に火が入り、御神体が持ち出され、溥儀は脱出。
鴨緑江の向こうは朝鮮(当時は日本)だった。
溥儀が到達したのは大栗子。
国学院大学(國學院大學)の樋口秀実は建国神廟を研究している。
8月15日、溥儀は玉音放送を聴く。溥儀は号泣。
18日、溥儀は退位証書を読み上げた。人生で3度目の退位だった。
工藤は東京にいた。
8月18日、溥儀の乗った飛行機が奉天に着くが、ソビエトに拘束される。
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