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▲始皇帝の「侵略」=「天下統一」の時代

▼始皇帝の「侵略」=「天下統一」の時代(『衛湯湯』、『項羽と劉邦』、『朱蒙』)
秦王暗殺は「天下」の大儀で回避された(『英雄』
紀元前5世紀ごろの釋迦の時代は手塚治虫の『ブッダ』で描かれている。
釋迦の誕生日とされるのは四月八日の灌佛会(くわんぶつゑ)である。釋迦が生まれてすぐ七歩ほど歩いて「天上天下唯我独尊」と叫んだという話は、孫悟空でも知っていたようだ。
人間としての釋迦は紀元前に入滅したが、その後、佛(ほとけ)となって、紀元後の後漢(推定)、さらに唐の時代にも出現し、孫悟空や玄奘の前に現れることになる。

映画『墨攻』『英雄HERO』は紀元前の東アジア大陸を描いている。
映画『英雄』が描いているのは、秦王・嬴政(Yíng Zhèng・前259生~前247即位~前210没)が紀元前221年にシナ大陸を統一して始皇帝となる前の戦国時代。
刺客「無名(現代北京音でWú Míng)」が秦王暗殺を謀って接近。秦王は大群で趙(前403~前222)を攻め、の書道の塾にまで雨のような矢を降らせた。師匠は弟子たちに「うろたえるな。趙の国は滅んでも趙の文字は滅びぬ」と一喝し、塾生たちも逃げず、矢の雨の中、書の練習を続けた。
この「統一」とは、言い換えれば、「秦趙併合」、「秦韓併合(「韓」はシナ大陸の国名、朝鮮ではない)」、「秦斉併合」、「秦楚併合、「秦燕併合」、「秦魏併合」である。趙国人は秦王に復讐を考えたが、秦王が六国を滅ぼしたのは「天下統一」という大儀で正当化された。国が国を滅ぼす戦争が、あるときは「侵略」と呼ばれ、あるときは「天下統一」と言われるのが歴史の曖昧さである。
『機動戦士ガンダム00』によると西暦2307年になっても人類は一つになれていないようだが、一つにするというのは、否定的に人から「侵略」、「植民地支配」と言われるのが常である。
「無名」は趙国人の書による「剣」の字(「」に近い)を献上した。

当時、「剣」という漢字には20とおりほどの字体があり、秦王は「ばかげたことだ。余が六国を滅ぼし、外に打って出るときは、無駄な字体を廃止してみせる。天下の言語を統一するのだ」(和譯の要約)と豪語していた。「無名」は六国だけで終わらない王の野望に驚いていたが、中国大陸政府の簡体字政策はそれを受け継いだものだろう。残念ながら、東アジアでは漢字の統一ができておらず、日本という東洋の島国では普通は「剣」を使いながら、地名の「剱岳」を特別扱いするように、地名と人名で多くの異体字が独立した別々の漢字のように扱われ、メチャクチャである。

秦王は「剣を使わないのが真の英雄」と述べ、それを信じた「無名」は暗殺を寸前で断念、秦王の家臣たちから多数の矢を受けて絶命した。

歴史は「侵略」を「天下統一」と言い変えて正当化するもの(『項羽と劉邦』、『朱蒙』)
秦の話は映画『THE MYTH 神話』でも出てくる。Wikipediaによると舞台は紀元前220年らしい。
この始皇帝が21世紀になって、テレビCMで吉永小百合と競演していたように想うが、幻かも知れない。
始皇帝が求めた不老不死の霊薬を探す仕事は、日本でも平安時代から江戸時代まで繰り返されることになる。

「謀叛は決して成功しない。もし成功したらだれも謀叛などとは呼ばないから」という格言があるが、「侵略も決して成功しない。もし盛行したらだれも侵略などをは呼ばないから」とも言える。
企業買収や市町村合併は国の併合、つまり植民地支配、「侵略」の縮小版である。
今では、人々は口では「国境など無意味」、「グローバル」などと言いながら、日本が「銃社会」になりかかると「国が規制を」などと、国境内だけの法に頼り、農薬の入った餃子や核兵器、原子力空母、在日朝鮮人などを「国境」の外に追放して安心しようとする。さらに国境をなくそうとした過去の先人の行為を「侵略」、「植民地支配」として全面否定する。このような状況では「世界を一つに」など、当面は実現しないほうがいい。
秦に併合された(植民地化)楚の人間は始皇帝を恨んでいた。

項羽劉邦
『史記』『項羽と劉邦』は多くの漫画で題材になっている。
久保田千太郎作、久松文雄画の『史記1項羽と劉邦・上』によると、紀元前210年、始皇帝が5回目の巡行に出たとき、始皇帝の行列を目にした項羽(かうう、Xiàng Yŭは「ここはもともと、われら項氏一門が代だい将軍職をつとめたの土地」と言って悔しがっていた。

始皇帝の圧政は批判の的だったが、その秦の政府に批判的な者たちも建物を破壊、罪のない人たちを殺しまくっていたようだ。
紀元前210年、始皇帝が没すると、多くの女官や労働者が殉死させられた。秦王朝の打倒を叫ぶ反乱が多發。現代で言えば自爆テロのようなもの。中国の反日暴動も義和団の乱(暴動)も日本による真珠湾攻撃も同じ感覚だっただろう。

劉邦は濮陽城を攻め、項羽軍七万は城陽城(せいやうじゃう、
Chéng-yáng-chéng)を攻撃、つまり器物破損、おそらくは放火、そして殺人罪を犯した。その結果、城陽城は紅蓮の炎をあげて燃え盛り、久松文雄画の漫画によると、兵士だけでなく多くの民衆が殺された。

さらに、項羽の叔父・項梁(かうりゃう、Xiàng Liáng)が
定陶城(ていたうじゃう、Dìng-táo-chéng)で章邯(しゃうかん、Zhāng Hán)軍の総攻撃を受けあえない最期。項羽が定陶城についたときは、章邯は河北(Hé-bĕi)に向かった後で、城には罪のない町人のみ。しかし、項羽は定陶城に火を放ち、無辜の町人をも虐殺した。

沖縄の集団自決が問題になっているが、始皇帝死去直後のこうした歴史の風化を防ぐこと、大虐殺の原因の検証、国家による謝罪、責任者への処罰、被害者への賠償も考えるべきだろう。戦争への反省というと第二次大戦だけを考えているようでは意味がない。過去を清算するなら、100年前、
1000年前、2000年前の戦争もすべて清算すべきである。
反権力の独立運動は、まず、結果が出ない間は犯罪、テロリズム(恐怖主義)である。
紀元前208年閏(うるう)9月、項羽)と劉邦(りうはう、Liú Bāng)は軍を率い、二手に分かれて関中(くわんちゅう、Guān-zhōng)を目指した。
当時の人々にとって「楚」や「趙」は滅んでも一時的なもので、いつか独立するものであり、1910年から1945年まで日本に統治された朝鮮のようなもので、つまり、始皇帝による「統一」は「植民地支配」であった。「歴史から学ぶ」、「過去の清算」は重要だが、それなら始皇帝、項羽、劉邦など、あらゆる「侵略者」、「戦争指導者」の戦争責任を考えるべきであろう。

秦が古朝鮮を「侵略」
『朱蒙Ju-mong~Prince of the Legend』によると、紀元前108年、漢の「侵略」によって古朝鮮が滅亡、多くの人が国を失った。日本がおこなった日韓併合だけでなく、唐による高句麗への「侵略」など、中国が朝鮮におこなった「侵略」も後世につたえ、戦争責任者を罰し、外交の場で謝罪し、被害者に賠償をすべきだろう。
そして主人公・朱蒙が高句麗を建国したらしい。中国への古朝鮮への「侵略」の過去は清算されただろうか。被害者に謝罪しただろうか。中国の歴史教科書はどうなっているか。東アジア共通の歴史観構築は極めて難しく、不可能と言ってよく、必要はないし、むしろ、歴史観の統一など、全体主義である。
日本では「終戦」前、高句麗を「高麗」と書いて「こま」と振りがなをつけ、鎌倉時代の「高麗」には「かうらい」という振りがなをつけて、同じ漢字、別の読みで区別していた。中国人は唐代の高句麗を「高麗(Gāolí・麗の声調は例外的)」、元朝の高麗を「帖戦(Cháoxiān)」と呼ぶ傾向がある。また、中国製の新華字典では「高麗」は「朝鮮の歴史上の王朝」としているが、「高句麗」については「高句驪」という表記でGāogōulíと読み、「古国名」とだけ記してある。

紀元前後、修羅の国(推定)で北斗神拳が成立(『北斗の拳』)。北斗神拳は中国から日本につたえられたが、修羅の国では梵語や梵字が使われ、中国かインドかよくわからない。ケンシロウは1970年代に生まれたが、出身地が「修羅の国」か、それとも「日本」かはっきりしない。

『火の鳥・エジプト、ギリシャ、ローマ編』の舞台は古代ギリシャ・ローマ時代らしい。

『デビルマン』によると、サモトラケのニケはデーモン族だったらしい。飛鳥了によって斬殺された、飛鳥了は神を裏切り、悪魔に味方した天使・サタンで、このとき、サタンは記憶を消して人間・飛鳥了になりすましていたが、このときはさすがにデーモンたちもサタンを敵だと想ったのではなかろうか。

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