牛込日乘

日々の雜記と備忘録

決断についてのメモ

2010-06-17 23:27:21 | Weblog

最後にはその人が持つ「美意識」が、その人による決断を支えている。
(「哲学」ではなかろう。)

最初にその人が持つ美意識によって決断する人は、迷惑であることが多い。
(特に軍人の場合。)

美意識のレベルが低い場合も、その人による決断は迷惑であることが多い。
(帝国陸軍末期に無責任に自決した将校の辞世の句はひどいものが多い。)

重要性がある一定レベルまでの決断は、早ければ早いほどよい。

重大な決断を迫られた場合は、他人がベストと考えそうなことは何かを考えるのではなく、自分が考えるベストとは何かをギリギリまで考え、責任を持って選択せよ。たとえ負けても、それは最終的な敗北ではない(かもしれない)。

つまり、それほど重要でない決断を引き延ばすのも、重要な決断を急ぐのも阿呆である可能性が高い。

果断と拙速は紙一重。

決断できる=責任の取り方(俗に言えば、落としどころ)が分かっている。

世の中には結果オーライなまぐれ当たりが存在するのは事実だが、重大なことに関してそれを本気で期待するのはどこかが弱ってるね(頭とか神経とか)。


四歳の誕生日

2010-06-17 00:31:28 | Weblog
一六日で娘が無事に四歳の誕生日を迎えた。このブログを始めたのも娘の成長を記録しておこうと思ったのが発端ではあったが、当然ながら子供がいる生活が日常になるとそうそう記録すべきことが起こるわけでもなく、いや、面白いことは喋れるようになった今の方がむしろ多く起きているのだが、忙しさを言い訳に「当初の高揚感を持続できるわけでもなくなってくるのでね」などと嘯き始める始末なので、やはり少しは自分の身を省みた方がよいのかもしれない。

ゼロ歳児から保育園に通っていると、自分の子供だけでなく同じくらいの子たちの成長を目にする機会も多く、それはそれで微笑ましい。近所を歩いていると、ついこの前までよちよち歩きだった気がしていた子から「○子ちゃんのパパ!」と声を掛けられることが頻繁にあり、悪いことはできませんなあと思ったことである(別にしてませんがね)。

昨日この四年間でいろいろなことが変わってしまったと書いたのは、具体的には娘が生まれたときには邪心もなく物心両面でお祝いをいただいた多くの人の中にも、(鬼籍に入ってしまった方々も含め)すでに何人も自分の生活圏内にはすでにいない、あるいはこれから生涯会うことも連絡を取り合うこともないだろうという人々が結構いることに気づかざるを得なかったということである。ただ単に会っていないがずっとつながっている感覚の人々も多く、あえて慨嘆するつもりもないのだが。ともかくも各方面から色々とお祝いもいただき、有り難い限り。この場を借りて御礼申し上げます。