三月十一日金曜日の午後、私は高円寺駅前の喫茶店で同僚と打合せをしているときに地震が発生した。座っていた席は店内のやや奥まった場所にあり、案内されたときに何となくイヤな感じがした。今思えば虫の知らせのようなものだったのかもしれない。
話しているときにコーヒーカップがかちゃかちゃと揺れ出し、「こりゃちょっと普通じゃないぞ」と言ってすぐに店から出ると、周りの建物や電信柱が激しく揺さぶられていた。一緒にいたK女史と駅前のロータリーに逃げたところ、すでに多くの避難者がいた。周囲を見回すと、八階建てくらいの古くて細長いビルがいくつか左右に揺れており、その中の一つに行きつけのバーがあったので、「あーあ、こりゃボトルは全部ダメだな」などと阿呆なことを考えた。iPhoneでネット検索すると、東京は震度五強、最大は宮城県栗原市の震度七強。これは相当な被害が出ているな、と暗い気持ちになる。駅前には多くの人が集まってきており、奇妙な連帯感があった。余震が治まるまで一時間ほど周辺で過ごし、会社に戻ったところ、総務からの指示によりすでにほとんどの人が帰宅済。最低限の確認をした後、17:00頃に歩いて会社を出て家を目指した。何年か前に試しに徒歩で帰宅したところ、二時間半ほどかかったので、まあだいたいそんなものだろうという心構えはあった。道は割合に単純で、青梅街道から新宿方面に行き、大久保通りを真っ直ぐ行って神楽坂を目指した。
話が前後するが、高円寺駅前から会社に戻る途中で、さっきまでいた喫茶店に寄って一応会計を済ませてきた。「お代は結構ですから」とは言われたものの、何となく気持ち悪かったので。驚いたのは、まだ余震で揺れている最中に宝くじ売り場で宝くじを買っている人がいたこと。まあ、別に構わないが、それもつい数分前まで揺れまくっていたビルの一階にあるのだから、店の人も閉めればいいのにと思ったことである。習慣の持つ強制力というのは、人が思うより相当に強いようである。
地震当日に会社に戻っても閑散としていたが、何人かの人は平然と通常通りの仕事をしていた。落ち着いているのか腹が据わっているのか鈍感なのかわからないが、そのうちの一人の態度にはどこか「俺様はお前らと違って落ち着いているぜ、仕事に責任感持ってるんだぜ」というようなexhibitionisticな感じがして、好感が持てなかった。そりゃ仕事は大事だろうが、こんな緊急時には例え会社にいたとしても散らかったものを片付けるとか他部署で困っている人を助けるとか、もっと優先してすべきことがあるだろうがよ、という感じである。カッコつける方向性が間違っているというか、センスがないというか、この人はどうも普段からそういう傾向が強い人なので、これも習慣のなせる技だったのかもしれない。
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会社には仙台営業所があるのだが、幸い皆家族も含めて無事との情報。ただし物資はかなり不足しているらしい。避難所暮らしをしている人もいるとのこと。何とかしてあげたいが、今は電力消費を抑えるくらいのことしかできない。
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さいたま市に住んでいる親戚が、地震の当日に仕事で仙台市郊外の多賀城市に出張していた。午前中で仕事を終えて帰ったところで地震があったそうで、まさに間一髪。仕事に行った建物は、跡形もなくなってしまったとのことである。
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ネットでは国内の各報道機関とともにBBCやMSNBCなどの米英のニュースサイトも見ていたのだが、最大の関心は最初から原発問題のようであった。怖いと言えば怖いが、一番の問題は「こういう理由で怖い」のか、あるいは「恐れるに足りない」のか理解できない、あるいは、理解するための時間がないということである。情報も足りないのかもしれないが、まずその情報を判断できるだけの知識があるかどうかが問題である。東電や政治家に責任を求めるのはたやすいが、彼らをくさしたところで自分の命が守られるわけでもない。もちろん原発の近くに住んでいる人々にとっては「今そこにある危機」であるが、今のところまだ余裕があるのなら、流言飛語の類に踊らされないように自分で納得できる考え、結論を出すしかない。
日本の報道機関の情報やその深さは基本的に横並びであり、TVの前でリモコンを駆使して複数のチャンネルを見てもあまり差は見られない。国外から見ると問題の重み付けが違うので、かえっていろいろなことがわかることがある。単純な例で言うと、上記のような海外のニュースサイトでは、場合によっては犠牲者の死体の写真が掲載されていることがあるが(「これはショッキングな映像なので自己責任でご覧ください」というような注意書きがある)、日本では週刊誌以外では考えられないだろう。日本人の秩序正しさが高く評価されているという報道もあるが、これに関しては余りいい気になるべきではなく、一定の留保が必要だろう。疲労が蓄積してくれば、心の余裕も失われていく。一度悪い方向にパニックが起これば、なし崩し的に多くの人が同調してしまう危険性もまだまだあると思う。こうした事態を避けるためにも「プライド」は必要なのだが。
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これを書いている途中で、また揺れ出した。今度は静岡県東部で震度六強との報道。段々南下しているようで、不気味である。明日も出社しなければならないが、できるだけ安全な経路で通い、無理をしないことにする。