年末は十二月三〇日の夜に佐久に帰省。浜松に住む弟、それぞれ前橋と板橋に住む従兄たちもいろいろな事情で帰れなかったため、やや寂しい年末年始となった。年が明けて元旦は如例三つの寺と昨年同様新海三社神社に参り、夜には帰京。ちなみに新海三社神社の近所には「日本で一番海から遠い地点」というのがあるのだが、行ったことはない。
二日は川崎市柿生の病院に入院中の義母を見舞い、その足で藤沢経由で江ノ電に乗って鎌倉(というか稲村ヶ崎)へ。妻が子供の頃によく泊まったという「鎌倉パークホテル」に家族三人で一泊。周りにめぼしい観光スポットも温泉もないのだが、昨日の海から一番遠い場所から一転して目の前が相模湾というロケーションというのもまた一興。
三日はホテルをチェックアウト後、タクシーで江ノ島まで。江ノ島、というかいわゆる湘南に来たのは、今世紀に入って初めてではなかろうか。辯才天への初詣客でごった返しており、行列が嫌いな私は辟易したが、並びながら境内の看板を見ていて昨年が本厄だったことに気づいた。まあ、思い当たる節があるようなないような。
小学校に上がるか上がらないかの頃、某重機メーカーのエンジニアだった伯父(母の次兄)一家が平塚に住んでいたので、そこを拠点に江ノ島近辺に何度か海水浴に来たことがある。やけに波が高かったこと、砂浜を掘ると大きなハマグリがたくさん採れたこと、山で採れるはずのノコギリクワガタをなぜか海の近くで見つけたことなどを思い出す。
二日は川崎市柿生の病院に入院中の義母を見舞い、その足で藤沢経由で江ノ電に乗って鎌倉(というか稲村ヶ崎)へ。妻が子供の頃によく泊まったという「鎌倉パークホテル」に家族三人で一泊。周りにめぼしい観光スポットも温泉もないのだが、昨日の海から一番遠い場所から一転して目の前が相模湾というロケーションというのもまた一興。
三日はホテルをチェックアウト後、タクシーで江ノ島まで。江ノ島、というかいわゆる湘南に来たのは、今世紀に入って初めてではなかろうか。辯才天への初詣客でごった返しており、行列が嫌いな私は辟易したが、並びながら境内の看板を見ていて昨年が本厄だったことに気づいた。まあ、思い当たる節があるようなないような。
小学校に上がるか上がらないかの頃、某重機メーカーのエンジニアだった伯父(母の次兄)一家が平塚に住んでいたので、そこを拠点に江ノ島近辺に何度か海水浴に来たことがある。やけに波が高かったこと、砂浜を掘ると大きなハマグリがたくさん採れたこと、山で採れるはずのノコギリクワガタをなぜか海の近くで見つけたことなどを思い出す。