半年間にわたる繁忙期がようやく一段落した。終電や徹夜の毎日でもまだ体力的には何とかなることは分かったものの、家庭生活との両立については課題が山積というのが実感だ。
仕事というものの悪いところの一つはやっているうちに面白くなりすぎてしまうことで、より詳しく観てみるとそれは他者からの評価による自己確認や自我充足であったり、複雑な人生の諸問題と向き合うことからの逃避であったり、そう考えると明確な信仰心というものを持たない日本人が(何かの不安から逃れるように)仕事中毒になりがちであるということも合点がいく。しかしその反対に、宗教的な情熱に支えられたヨーロッパ人たちが地球全体に自分たちの仕事を広げたせいで現在の世界があるとも言えるが、いずれにせよ仕事には何か人間の業のようなところがある。
当然ではあるが、「仕事」=ビジネスという訳でもない。十数年前にインドの旧ボンベイの近くのエレファンタ島という小島に行ったとき、島の相当な部分がヒンドゥー教の神々を彫った石窟寺院になっているのを見て、これらを作り上げるまでに要した労力を想像してクラクラしたものだが(有名なエローラやアジャンタの石窟寺院の規模はこの比ではないらしい)、こうした仕事をした人びとはもちろん金儲けをしようと思っていたわけではない。むしろ現世利益でなく彼岸の世界が確かに見えていないと人力であれだけのものはできないというのが本当だろうが、数百年後に我々の生きていた時代のモニュメントとして何が残され、後生にどのような評価を受けるのかを考えてみるのも面白い。
まあ、何も残っていないかもしれない。
仕事というものの悪いところの一つはやっているうちに面白くなりすぎてしまうことで、より詳しく観てみるとそれは他者からの評価による自己確認や自我充足であったり、複雑な人生の諸問題と向き合うことからの逃避であったり、そう考えると明確な信仰心というものを持たない日本人が(何かの不安から逃れるように)仕事中毒になりがちであるということも合点がいく。しかしその反対に、宗教的な情熱に支えられたヨーロッパ人たちが地球全体に自分たちの仕事を広げたせいで現在の世界があるとも言えるが、いずれにせよ仕事には何か人間の業のようなところがある。
当然ではあるが、「仕事」=ビジネスという訳でもない。十数年前にインドの旧ボンベイの近くのエレファンタ島という小島に行ったとき、島の相当な部分がヒンドゥー教の神々を彫った石窟寺院になっているのを見て、これらを作り上げるまでに要した労力を想像してクラクラしたものだが(有名なエローラやアジャンタの石窟寺院の規模はこの比ではないらしい)、こうした仕事をした人びとはもちろん金儲けをしようと思っていたわけではない。むしろ現世利益でなく彼岸の世界が確かに見えていないと人力であれだけのものはできないというのが本当だろうが、数百年後に我々の生きていた時代のモニュメントとして何が残され、後生にどのような評価を受けるのかを考えてみるのも面白い。
まあ、何も残っていないかもしれない。