「森の火葬場」。今回の旅で、もっとも印象深かった場所。
広大な森となだらかな丘陵に抱かれるようにしていくつかの教会と火葬場、そして無数の墓地が点在するそこは、1940年、建築家のエリック・グンナー・アスプルンドとジーグルド・レウレンツの手によってストックホルム郊外につくられた。アスプルンドはときに「北欧近代建築の父」とも呼ばれ、アルヴァー・アールトにもたいへん大きな影響をあたえたひとである。
じつは当初、ここを訪れる予定はなかった。「森の火葬場」のことは以前から知っていたし、そのすばらしさについて何人かのひとの口から聞かされていたにもかかわらず。その理由をひとことで言えば、「『火葬場』という特殊な場所にゆくという感覚がわからなかったから」である。漠然とした恐怖心のようなものもあったし、なによりそこは「興味本位に訪れるべきではない不可侵の聖域」という印象がつよくあった。けれども北欧へと旅立つ数日前、やはりそこを訪ねるべきではないか、訪ねなければ後悔するかもしれないという思いがもくもくと湧きおこり、けっきょく予定に組み入れることにしたのだ。決断はまちがっていなかった。
さて、この旅行記を終えるためには、どうしたってこの場所について書かなければならないとずっとかんがえていた。けれども、遅々として筆が進まなかったのは、ここで受けたつよい印象、そして感じた情感は、けっして「ことば」によって語りうるものではないということがわかってしまったからだ。ここはだれかのために心静かに祈りを捧げる場所、つまり「『ことば』を必要としない場所」なのだ。
じっさい訪れた「森の火葬場」は、思いのほか殺風景でも、陰鬱でもなかった。ふくよかな木々の蒼(あお)、木立をわたる風の音、色とりどりの可憐な花々やキノコ、リスやさまざまな鳥たちの声とその姿、そしてこうした景色のなかに完全に溶け込んでしまったかのようにみえる慎ましいたたずまいの建物と無数の墓標群ーそこに立ち、たくさんの「いのち」の声が語りかけてくるものをききながら、むしろ、ぼくの心はとても平和におだやかになってゆくのを感じていた。
もうひとつ、どうしてもつけくわえたいのは、ここはアスプルンドとレウレンツというふたりの建築家によってつくられた場所にちがいないけれど、それだけではけっしてないということだ。ここを散策していた数時間に、ぼくはほんとうにたくさんのひとびとの姿を目にした。シャベルと花を手にお参りにきた老人たち、葬列に参加する老若男女、そしてこの場所ではたらく大勢のひとびとの姿だ。その姿からは、かれらがいかにこの場所を愛し、誇りに思っているかがひしひしと伝わってきた。かれらひとりひとりの思いと献身的なしごとがあってはじめて、この場所はいつまでも守られ、「特別な場所」でありつづけることができるのだ。そしてもしかしたら、そこでもっともぼくを感動させたものは、じつのところそんなさりげないかれらの「姿」であったかもしれない。
さて、お送りしてきました「旅のカフェ日記」はこれにておしまいです。ご愛読ありがとうございました。
広大な森となだらかな丘陵に抱かれるようにしていくつかの教会と火葬場、そして無数の墓地が点在するそこは、1940年、建築家のエリック・グンナー・アスプルンドとジーグルド・レウレンツの手によってストックホルム郊外につくられた。アスプルンドはときに「北欧近代建築の父」とも呼ばれ、アルヴァー・アールトにもたいへん大きな影響をあたえたひとである。
じつは当初、ここを訪れる予定はなかった。「森の火葬場」のことは以前から知っていたし、そのすばらしさについて何人かのひとの口から聞かされていたにもかかわらず。その理由をひとことで言えば、「『火葬場』という特殊な場所にゆくという感覚がわからなかったから」である。漠然とした恐怖心のようなものもあったし、なによりそこは「興味本位に訪れるべきではない不可侵の聖域」という印象がつよくあった。けれども北欧へと旅立つ数日前、やはりそこを訪ねるべきではないか、訪ねなければ後悔するかもしれないという思いがもくもくと湧きおこり、けっきょく予定に組み入れることにしたのだ。決断はまちがっていなかった。
さて、この旅行記を終えるためには、どうしたってこの場所について書かなければならないとずっとかんがえていた。けれども、遅々として筆が進まなかったのは、ここで受けたつよい印象、そして感じた情感は、けっして「ことば」によって語りうるものではないということがわかってしまったからだ。ここはだれかのために心静かに祈りを捧げる場所、つまり「『ことば』を必要としない場所」なのだ。
じっさい訪れた「森の火葬場」は、思いのほか殺風景でも、陰鬱でもなかった。ふくよかな木々の蒼(あお)、木立をわたる風の音、色とりどりの可憐な花々やキノコ、リスやさまざまな鳥たちの声とその姿、そしてこうした景色のなかに完全に溶け込んでしまったかのようにみえる慎ましいたたずまいの建物と無数の墓標群ーそこに立ち、たくさんの「いのち」の声が語りかけてくるものをききながら、むしろ、ぼくの心はとても平和におだやかになってゆくのを感じていた。
もうひとつ、どうしてもつけくわえたいのは、ここはアスプルンドとレウレンツというふたりの建築家によってつくられた場所にちがいないけれど、それだけではけっしてないということだ。ここを散策していた数時間に、ぼくはほんとうにたくさんのひとびとの姿を目にした。シャベルと花を手にお参りにきた老人たち、葬列に参加する老若男女、そしてこの場所ではたらく大勢のひとびとの姿だ。その姿からは、かれらがいかにこの場所を愛し、誇りに思っているかがひしひしと伝わってきた。かれらひとりひとりの思いと献身的なしごとがあってはじめて、この場所はいつまでも守られ、「特別な場所」でありつづけることができるのだ。そしてもしかしたら、そこでもっともぼくを感動させたものは、じつのところそんなさりげないかれらの「姿」であったかもしれない。
さて、お送りしてきました「旅のカフェ日記」はこれにておしまいです。ご愛読ありがとうございました。