moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

アスファルトの音楽

2006-02-25 23:38:38 | カフェの音楽
かごろよく聴いているのは、安藤裕子のアルバム「Merry Andrew」。

これはちょっと、ひさびさにグッとくる良質のシティポップスなのではないでしょうか。「シティポップス」というと、たとえば70年代後半から80年代にかけてもてはやされた「AOR」であるとか、日本では山下達郎、大貫妙子らが在籍したシュガーベイブ、最近ではキリンジなんかを思い出したりするわけですが、個人的には、その音楽にふくまれるアスファルトと土との割合が最低でも「7:3」以上でなければ「シティポップス」とは呼べないような気がします。その意味で、「シティポップス」とはつまるところ「アスファルト・ミュージック」なのですね。

で、この安藤裕子というひとなのですが、割合としては「8:2」以上(当社比)という純度の高さを誇っているといってよいでしょう。ほかにも長々と書いてみたいことなどあるのですが、なんか面倒臭くなっちゃったので、まあそういうことで。とにかくよいですよ、これは。

《Hesa系》の真打ち登場~Teddy Rok Seven

2006-02-23 13:58:37 | カフェの音楽
ッポ・マキネンのソロ・プロジェクト、Teddy Rok Sevenのアルバム「ユニヴァーサル・フォー」がついに国内発売されました。めでたい!

テッポはNuspirit Helsinki、昨年来日したJukka Eskola Quintetへの参加、そして現在来日中のThe Five Corners Quintetのドラマーとして、まさに《Hesa系》(=ヘルシンキ系←勝手に命名)の中心人物といえるひと。そのテッポが、満を持して昨年リリースしたのが、このデビューアルバム「Universal Four」なのです。

サウンドは、ジャズをベースに、アフロ、ブラジル、ファンク、サイケデリックなどさまざまなスパイスで巧みに味つけられた、いわゆる《ニュージャズ》ということになるのでしょうか。ただし、こうしたサウンドが新鮮かというとそうでもない、むしろいま世界中にはこの手の音楽があふれていると言ったところで、あながちまちがってはいないでしょう。じゃあ、なぜいま「ヘルシンキ」なのか?それはおそらく《手触り》の問題なのです。

ぼくは、かれら《Hesa系》のサウンドを耳にするとアラビアの《Ego》というコーヒーカップを思い出します。一見シンプルにして機能的、ひどく洗練されたデザインにみえるのだけれど、じっさい手にしてみるとどこかもっさりとしたおだやかさが感じられる。もしおなじものを、東京やロンドン、あるいはNYでつくったら、きっとこんなふうにはならなかったことでしょう。全体的に、もっとエッジのきいた印象に変わっていたはずです。Teddy Rok Sevenのサウンドにもまた、ぼくは東京やロンドン、NYはもちろん、ストックホルムですらなく、まさに「ヘルシンキ」という都市からしか生まれえなかったであろうオーガニックなグルーヴ、《手触り》を感じてしまうのです。

Teddy Rok Sevenことテッポ・マキネンこそは、あるいはそんな《Hesa系》の真打ちと呼んでいいかもしれません。

冬にきくべき2枚

2005-11-24 23:45:42 | カフェの音楽
きでやっていることとはいえ、毎日なにかしらをネタに文章を書くというのはそれはそれでけっこう大変だったりもするのですが、そういえばこんな切り抜け方もあったのね・・・というわけで、きょうは常連おくむらクンがおすすめする「冬にきくべき2枚」のご紹介です。

まずはマイケル・ジョンソンという、いまにも走りださんがばかりの名前をもつシンガーの、1977年に発表したセカンドアルバム「Ain't Dis Da Life」です。



うんうん、これはよいですね。ケニー・ランキンジェイムス・テイラー好きなぼくとしては、まさにど真ん中。冬に、ちょっと暖房が効きすぎた室内で顔をほてらせながら聴きたいです。たとえるなら、六畳一間の「鍋パーティー」のあの感じが、このアルバムにはあります。友だちや家族との、時間を忘れるなごやかなひととき。そしてふと窓の外に目をやると、いつしか雪が・・・。フルートが絡むフォーキーモダンなワルツ「Circle of Fifth」、それに雪が降ったあくる日の晴れた朝を思わせるラスト「Mr.Arthurs Place」がお気に入りです。アン・サリーのざっくりとした感じが好きなひとにもおすすめですよ。

ということで、このアルバムの「ほくほく度」は・・・シチュー四杯

つづきましては、その名もずばり「High Winds White Sky(邦題「雪の世界」)」というアルバム。カナダのシンガーソングライター、ブルース・コバーンが1971年に発表したセカンドアルバムで、ジャケットからしてすでに「雪景色」です。



こちらは、先ほどのマイケル・ジョンソンとは対をなす「冬」の情景。このアルバムの主人公は、おそらく冬の或る日を「ひとり」で過ごしています。つまり、モノローグです。思えば、雪に閉ざされた冬はそれじたいがすでに「密室」のようなもの、嫌が上にもひとを内へ内へと向かわせる季節です。こたつでミカンの皮など剥きながら、とりとめもなく物思いに耽ったりなどしているはずです。秋を振り返ったり、ときにはやがてくる春を思ったり・・・振り子のようなその「思い」の振れ幅を、ぼくらはこのアルバムに聴くことができます。ベン・ワットの「North Marine Drive」キングス・オブ・コンビニエンスとおなじく、男子ウケの世界とも言えるかもしれません。一曲、一曲を取り出すのではなく、全体で味わってこそ魅力の伝わるアルバムだと思います。

ということで、このアルバムの「ほくほく度」は・・・ブランケット三枚

以上、ネタ提供はおくむらクンでした。Kiitos!

手触りのあるCD

2005-11-18 16:14:10 | カフェの音楽
のうち「本」はこの世から姿を消すだろうなんて、まことしやかにいわれていた時期があった。アナログレコードがCDにとってかわられたように、「本」もまた、紙にかわる記録メディアの普及にともないその形態を変化させざるをえないだろう、そんな話だったようにおもう。たしかに、現代は「本」が売れない時代といわれる。けれども、それはたんに「活字離れ」のせいであって、「本」がなにかべつのメディアにとってかわられたせいではない。その証拠に、「本」はいきている。

おなじように、ituneをはじめとするネット上の音楽配信が普及すれば、やがては「CD」というメディアは姿を消すだろうという意見もある。たしかに、一曲単位でいながらにして買い物ができてしまう音楽ダウンロードは便利にはちがいない。では、いずれすべての音楽がネット上で流通するようになり「CD」というメディアが存在しなくなるのかといえば、ぼくはそうはおもわない。なぜなら、「本」にも「CD」にも手触りがある。そうしてぼくらは、その手触りこそを愛しているからだ。「イタリア人って、人の手を介したものにしかおカネ出さないんだよぉ」と、ミラノ在住のイラストレーターで詩人のふじわらいずみちゃんは言っていたけれど、それはとてもまっとうな精神だとつくづく思う。他人が淹れてくれるコーヒーがおいしいのも、またおなじ理由。手のぬくもりや手触りのないものに、ほんとうの意味での愛着を感じることはできない。すくなくともぼくはそうだ。

すっかり前置きが長くなってしまったけれど、このコンピレーションCD『わたしとボサノバ』にはたしかに「手触り」が、ある。



これは、あまたあるボサノヴァのコンピレーションCDのひとつであることにちがいはないけれど、決定的になにかがちがうとすれば、それは名曲をただ羅列したり、こと細かな説明文をつけたりすることでボサノヴァの魅力を伝えようとするものではないというところにある。じっさい、このCDにはジョアン・ジルベルトやナラ・レオンのポートレイトも、ボサノヴァの歴史や秘密のエピソードも一切ない。かわりにあるのは、フードコーディネーター松長絵菜さんの手による何枚かの写真と、ボサノヴァの名曲からその名をとった『おいしい水』というタイトルのちいさな小説だけ。CDに収録されているのも、かならずしもよく知られた曲ばかりではない。ひとつひとつの曲は、読みさしの本や毛糸玉、あるいは食べかけのサンドイッチのように、ひっそりと置かれているにすぎないのだ。

教科書的な、あるいはベスト・オブ~的な「ボサノヴァのCD」を求めるむきには、この『わたしとボサノバ』はあまりおすすめできない。けれども、真夜中に、親しい仲間たちがひざを寄せ合ってちいさな声でささやくように歌い、育まれてきた「ボサノヴァ」という音楽、つまり世界でもっとも「手触り」を大切にしてきた音楽のエッセンスを伝えるには、あるいはこのCDの《スタイル》ほどふさわしいものはないかもしれない。

手もとに置いて、その手触りをたしかめながらぜひ耳かたむけてほしい一枚。

CD『わたしとボサノバ』(ユニバーサルミュージック)
・選曲と小説執筆/林 伸次(BAR BOSSA/BOSSA RECORDS)
・写真撮影/松長 絵菜
・ジャケット・デザイン/保里 正人(サンク・デザイン)

80日間世界一周

2005-11-04 14:22:38 | カフェの音楽
ェラルド・ウィギンズというひとについてはなにもしらないが、映画『80日間世界一周』の音楽をピアノトリオ編成のジャズアレンジで聴かせてしまうという粋な企てにのせられて、思わず手にした一枚。

ジャズの演奏家のなかには、オーディエンスに対しても真摯な態度でその音楽と接することを要求するタイプが存在するいっぽうで、オーディエンスのざわめきやその場の空気までをも味方につけてしまう、そんなタイプもまた存在するようにおもう。このレコードをきくかぎり、ジェラルド・ウィギンズというピアニストはどうやら二番目のタイプであるらしい。

ヴィクター・ヤングのスコアによる有名なテーマ曲も、ボールルームの優雅さを思わせるようなオリジナル・ヴァージョンに対して、ここにきかれる音楽はもっとエネルギッシュで、ひとびとの歓声が波のようにわきおこる週末のカジュアルなレストランバーを思い出させる。スタジオレコーディングであるにもかかわらず、ウィギンズたちの演奏がライブのような臨場感を感じさせるのは演奏家としてのかれらのスタンスのあらわれであるにちがいない。

ヴィンス・ガラルデイとおなじくらい、理屈ぬきでたのしい心おどらせるジャズがそこにある。

●「Around The World In 80 Days」(1957)
Gerald Wiggins(pf)  Eugene Wright(B)  Bill Douglas(Dr)

Quintessence

2005-10-31 23:10:56 | カフェの音楽
北のほっこりソウル。

2ndアルバム『5am』が、つい先だって日本でもリリースされたばかりのフィンランドのバンド「Quintessence」。これは売れるんじゃないでしょうか?フィンランドの音楽で「売れそう」ということは、イコール「フィンランドらしくない」ということで、そのあたりがこのブログを読んでくださっているような方々のあいだでは評価が分かれるところでしょうけれど・・・

あのジャイルス・ピーターソンが、彼らの1stアルバムのイギリス発売に際してライナーノーツを執筆していると聞けば、音楽好きにとっては「80へぇ~」くらいのインパクトがあるのではないでしょうか。海外進出を見据えて活動をスタートした彼らは、当然の成り行きとして英語で歌っています。サウンド的には、ディアンジェロmeetsカーディガンズ?!エンマ・サロコスキのボーカルは、ソウルフルというよりもポップです。全体に、クールを狙っているけれどクールになりきれない、そういう「ぬるさ」はやっぱりなんというかフィンランドなんだよなぁ・・・ぼくはすきですとも、もちろん。

とにもかくにも、先日のユッカ・エスコラの来日、そして来年2月のファイヴ・コーナーズ・クインテットの来日決定と、最近なかなか活況を呈しているフィンランドのクラブミュージックシーンですが、ぜひこのクインテッセンスもSISUで来日を果たしてもらいたいものです。

全曲試聴はこちらから。

雨の樹

2005-10-15 21:52:10 | カフェの音楽
が続いている(関東だけ、らしいが)。

そこで、ひさしぶりに武満徹が作曲した『雨の樹(レインツリー)』を聴いている。正確にいうと、『雨の樹・素描』。1982年につくられた、わずか3分のピアノ曲だ。武満は、大江健三郎の短編『頭のいい「雨の木」』に登場する「ふしぎな樹」にインスパイアされてこの曲を書いたのだそうだ。

雨の日に、雨をきく。

そういえば、いまはもうなくなってしまった「六本木WAVE」(←あんまり知らないや、というひと必見の記事)の一角には、たぶんこの曲からとったとおもわれる「レインツリー」という名前のカフェがあった。雨の日に、いろんなことを思い出すのはどうしてなんだろう?

ヨハンナ・ユホラ

2005-09-24 23:08:59 | カフェの音楽
としもまた、フィンランド政府観光局主催のイベント《Finland cafe》がはじまります。期間中に予定されているさまざまな企画のなかでも、とりわけぼくが注目しているのはヨハンナ・ユホラのライブパフォーマンスです。



フィンランドといえば、数多くの優れたプレイヤーを輩出している知る人ぞ知る「アコーディオン大国」。じっさい、この夏訪れたフィンランドでも、ヴィヴァルディの「四季」を巧みに演奏する若いストリートミュージシャンと遭遇しました。弱冠27歳の「ヘルシンキっ子」ヨハンナ・ユホラは、シベリウス音楽院のフォークミュージック科で学んだ俊英ながら、タンゴやジャズにはじまりクラブミュージックまでさまざまな音楽の要素を吸収し独自のサウンドへと昇華させるとびきりの「個性派」といった印象。その存在感は、たとえるならアコーディオンを持ったビョーク?!

待望のソロ・アルバムもまもなくリリースされるというこのヨハンナ・ユホラのライブパフォーマンスが、なんと《Finland Cafe》では入場無料で楽しめてしまいます(店があるのでぼくは行けそうにないけれど・・・)。東京以外でも三重や大阪でのライブも予定されているそうなので、キュートなアコーディオン・プレイヤーのヒップなパフォーマンスにぜひ直に触れてみてはいかがでしょう。



Johanna Juholaの来日スケジュールの詳細は、コチラでチェック!

DAG ARNESEN/Time Enough

2005-09-08 16:32:23 | カフェの音楽
じめはピンとこなくても、聴きこむほどに味わいをます、そんないわゆるスルメ系なアルバムというのがある。そして、後々だいじな一枚になったりするのも、たいていはそういうアルバムだったりする。



ノルウェーのジャズピアニスト、ダグ・アルネセンのトリオによるこのCDは、ぼくにとって、まさにそんなスルメな一枚である。おしえてくれたSクンによると、アルネセンは寡作ながら「通好み」なピアニストであるとのこと。しかもこのアルバムでは全曲をかれが書き下ろしていて、メロディーメーカーとしてのその非凡な才能も発揮している。ミネラルウォーターにたとえれば、けっこう硬度が高い感じ。さらりとしているようにみせかけておいて、喉元でグビリと主張してくる。ラーシュ・ヤンソンしかり、抒情的でありながらも甘々にはならない、その《節度》こそが北欧のクールネスであるかもしれない(個人的な好みからすると、ドラムスがもうちょっとおとなしくしていてくれるといいのだけど)。

キース・ジャレットの『The Melody At Night,With You』にもつうじるラストのピアノ・ソロ「Til Jens」は、しんしんと降りつもるその冬はじめての雪のようなうつくしさ。

『STANDARDS~土岐麻子ジャズを歌う~』

2005-07-29 23:30:36 | カフェの音楽
とからすすめられて、このCD『STANDARDS~土岐麻子ジャズを歌う~』を手にとった。「Cymbals」の解散後、Voの土岐麻子が録音した二枚のジャズ・カヴァーアルバムのうちの一枚。

ぼくはCymbals時代の彼女についてはあまりよく知らないのだけれど、このCDは聴いていてとても気持ちのいいアルバムである。サブタイトルには「ジャズを歌う」とあるが、そこにいわゆるジャズのボーカル・アルバムにありがちな「重さ」はぜんぜん感じられない。言い方が的確かどうかはともかく、鼻歌モードなのだ。ジャズのアレンジにのって、しっかり歌われているにもかかわらず。

ひとつには、彼女の声。ちょっと乾いた感じの清潔な声は、洗い立ての綿のシャツのような感触である。影が感じられなかったり湿り気がなかったりすることは、ここではかならずしもマイナスの要素にはなっていない。すくなくとも、ぼくはその「声」を支持する。

もうひとつには、その選曲。タイトルにもあるように、ここで歌われるのは「スタンダード」の楽曲である。といっても、それはいわゆるカタログ的な意味での「スタンダード」ではない。土岐麻子というひとが、日々慣れ親しんでいる楽曲という意味での「スタンダード」、つまり「定番」なのである。じっさい、チェット・ベイカーも歌った「Like Someone In Love」、リン・マリノのヴァージョンが一時クラブでもヒットした「Feeling Good」、ティアーズ・フォー・フィアーズによる80'sヒット「Everybody Wants To Rule The World」、それにEW&Fの名曲「September」など、彼女のレコード棚が目に浮かんできそうな楽曲がならぶ。こんな時代やカテゴリーにこだわらない選曲が、このCDになおいっそうの風通しのよさをあたえている。

恋人ではなくて、異性のともだちと他愛のないおしゃべりをしながらコーヒーでも飲んで、そのうしろに流れていてほしいのはきっとこんなCD。