moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

義父のレコード

2006-03-30 16:56:49 | コラム、というか
年ほどまえに亡くなった義父が、若いころよく聴いていたというレコードの整理を手伝ってきた。レコードはほとんどがクラシックで、SP、LPあわせてざっと百枚ほどあったろうか。うちの奥さんによると、義父がレコードを聴いている姿をみかけた記憶はまったくないらしい。若いころはずいぶん熱心だったようだが、なにかきっかけがあったのか、あるいは自然とそうなったのか、いつしかレコードに耳傾けるという習慣じたいがなくなってしまったようだ。そんなわけだから、三十年以上手つかずになっていたレコードのほとんどはカビが生えてしまっていたけれど、さいわい聴けないほどのダメージを受けているものはすくなかった。

一枚、一枚レコードを調べていておどろいた。こういうのもなんだが、「玄人好み」とでもいうか、とても趣味がよいのだ。シューリヒトの「ブル9」、ビーチャムの「ジュピター」、クレメンス・クラウスのR・シュトラウス・・・、ベートーヴェンの交響曲にしても、第2と第4はワルター、「田園」はトスカニーニ、第7はフルトヴェングラーといったぐあいに曲ごとに、しかも「なかなかやるな」と思わせるセレクトになっている。これだけでも、相当に聴きこんでいたことがよくわかる。

さらに義父のコレクションをみてゆくと、チャイコフスキー、フランス音楽、それにシベリウスがずいぶんと目立っている。好きだったのだろう。とりわけフランス音楽はお気に入りだったらしく、ラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンスといった「定番」にはじまり、プーランク、ミヨー、それにダンディといったマニアックどころまでしっかり押さえられている。そしてもうひとつ、義父の趣味が計り知られるとしたら、それはシベリウスのヴァイオリン協奏曲のレコードが二種あったことだろうか。これ以外はすべて、ひとつの楽曲につき一種類ずつ揃えられていたことからすれば、義父はこの曲に相当強い思い入れがあったのではないだろうか。

晩年の義父は、おだやかで寡黙なひとだった。かたわらの猫をなでながら、満足げにいつも静かにほほえんでいるようなひとだった。そんな義父だったから、あまりたいした話をしたという記憶はないし、むこうからいろいろと話を切り出してくるということもなかった。けれども、こうして義父のレコードを眺めたり、針を落としたりしていると、なんだかいま義父がここにいて、生前に話せなかった分まで対話しているようなそんな気分になってくるのだ。

アンクルトリスふたたび

2006-03-29 18:18:05 | コラム、というか
事があって奥さんの実家へ行ったら、まるで待っていたかのように、茶の間に置かれたヴァイキング・コスプレの「アンクルトリス」のようじ入れを発見!こんな身近なところに・・・。もちろん、連れて帰ってきました。

・・・これはもしや、ノルウェーに行け!というお告げ?

甦ったルワンダ

2006-03-28 23:40:43 | コラム、というか
いう、なにやらいかめしい名前のついたコーヒー豆をいただいた。編集者のKさんが、取材先の「コーヒーノート」という豆屋さんで手に入れたものだという。

ふだんぼくはあまりストレートをのむ機会がないのだけれど、ストレートコーヒーは旅ゴコロのようなものを刺激してくれるので嫌いではない。どんな土地でどんな人々によって育てられてきたのか、豆のかたちや香りをとおして想像してみることはたのしい。

いただいた豆は、その名のとおりアフリカのルワンダという国でつくられたものである。アフリカといえばコーヒーのルーツといわれ、「モカ」の産地としてしられるエチオピアやケニア、「キリマンジャロ」でおなじみのタンザニアといった国々のことがすぐ思い浮ばれるけれど、ルワンダという国の話はあまり耳にしたことがない。

それもそのはず、伊藤博『珈琲を科学する』によると、もともとコーヒーの栽培じたいは盛んな国だが、それぞれの農園の規模が小さいため生産量がすくないのだそうだ。さらに追い討ちをかけるようにして、90年代には激しい内乱のためコーヒーの生産じたいがストップしていたという経緯もあるらしい。つまり、こうしていま日本でルワンダのコーヒーがのめるということは、とりもなおさずルワンダという国が一時とくらべて平和になりつつあるということの証しといえるかもしれない。

はじめて口にするルワンダのコーヒーは、その渇いた土を思わせる独特の匂いとはうらはらに、思いのほか癖のないすっきりとした飲み心地であった。豆を煎じて飲んでいる、そんなふうにすら感じられる作為のないあじわいは、あるいは焙煎した「コーヒーノート」さんの哲学ゆえの結果かもしれない。「甦った」ルワンダのコーヒーが、いつでもぼくらの口に届くよう「平和」を願わずにはいられない。

プッテ・ウィックマン

2006-03-27 23:23:22 | コラム、というか
ウェーデンのジャズクラリネット奏者プッテ・ウイックマンが、先月亡くなったそうだ。といっても、ぼくはけっしてかれの優秀なリスナーとは言いがたい。なにせ、かれのCDは一枚しかもっていないし、その一枚すらも訃報をきいて、そういえばたしか一枚もっていたような気が、なんて思い出したくらいなのだから。

手もとにあるのは、プッテと、ブラジルのミュージシャン、シヴーカが共演したCD。一曲を除いて、エドゥ・ロボ、バーデン、ドナートらブラジルの楽曲を演奏している。シヴーカ本人のものも二曲。そしてぼくがこれを手に入れたのは、「スカンジナヴィア・ミーツ・ブラジル」という最高に心ときめく顔合わせだったからという単純明快な理由以外のなにものでもない。録音は1969年、ストックホルムにて。おなじ年にはおなじストックホルムでもう一枚、トゥーツ・シールマンス&エリス・レジーナによる超名盤が誕生している。1969年という年は、それゆえスカンジナヴィア・ミーツ・ブラジルの《金字塔》のような年号として記憶されなければならない(純正スウェーデン人による「ギミックス」が、ブラジリアンな名盤「Brasilian Samba」をリリースするのはその翌年、1970年のこと)。

肝心な音はというと、はじめに書いたとおりぼくはかれのCDを一枚しかもっていないのでとやかく言える立場にはない。ただ、「異能のひと」シヴーカによる圧倒的なパフォーマンスに煽られたかのようにプッテもたいへん熱のこもったグルーヴィーな演奏を展開している。

そういえば、このCDを手に入れたのは京都の北山にある優里奈というショップだった。いつごろのことだったかはもうはっきりとは覚えていない。7~8年は前じゃないだろうか。ぼくにとって、京都-スウェーデン-ブラジルの奇妙なトライアングルの中心に、プッテ・ウィックマンという名前がある。

アンクルトリスのてぬぐい

2006-03-26 23:37:52 | コラム、というか
都旅行の戦利品。

おなじみ「アンクルトリス」のデッドストックのてぬぐいです。トリスウィスキーのノヴェルティーと思いきや、「サントリー 純生」というロゴと酒屋さんの店名、そして電話番号がプリントされています。オリジナルの「純生」ブランドは1967年から82年にかけて販売されていたとのことなので、その時代に販促用として配られたものと思われます。

それはともかく、やはり注目は「アンクルトリス」の衣裳でしょう。なんと、ヴァイキングのコスプレをしています。高く掲げた右手には盃が、そしてその上には「SKAL」(=乾杯)とノルウェー語がプリントされています。

どうやらどこに行っても、けっきょく「北欧」に呼ばれてしまうようです。

京都へいってました

2006-03-23 19:22:04 | コラム、というか
ルース好きはメンフィスを、アールト好きはユヴァスキュラをめざす。そして喫茶店好きはといえば、そう、京都をめざす。

というわけで、唐突ですがこの連休をつかって京都にいってきました。去年の暮れに病気をし、以後お店をしばらく休んだり治療をしたりするなかで、いままでになく自分のこと、そしてモイについてかんがえる時間を多くもつことができました。ならばいっそのこと節目の年ということで、いろいろ感じたりかんがえたりする一年にするのもわるくない。こうして4年ぶりの京都旅行は突然にやってきたのでした。

なんといっても京都の喫茶店とそこに集うひとびとの姿は、モイにとってはいわば「永遠のお手本」のようなもの。思えばそんな様子がまぶしくて、うらやましくて、ぼくはここ東京に「モイ」という場所をつくったのでした。

時間にしたらたったの二日ほどの滞在でしたが、それでも京都という街はぼくにとってはやっぱりなんだかまぶしくて、そしてうらやましくなる場所でした。夏にはモイもまる四年、「京都」に4センチくらいは近づけたでしょうか?

北風に~

2006-03-19 16:31:09 | コラム、というか
ょうの東京は、それはもうすごい風でした。しかも、北風。

店の前で100人くらいのお客様が、すんでのところで吹き飛ばされてどこかにいってしまう、そういうことが何度かありました。誠に残念なことです。

夕方から風向きも変わり、おかげさまで忙しくなりましたが。みんな野球を観てたのでしょうか?

みみに優しい時間

2006-03-17 23:34:54 | コラム、というか
きどき、思い出したように「なぞかけ」のような遊びをして楽しんでいるともだちがいる。

このあいだ、ぼくの誕生日にそのともだちから贈られたプレゼント、それは一枚のCDで、なかにはピアノ教則本《バイエル》の音楽がおさめられている。もちろんちょっとした「なぞかけ」なのだろうけれど、《こたえ》はなかなかみつからない。おもての写真は、彼女が旅してきたという「ベルリン」のものであることはだいたい察しがつくものの、いったい、なんでバイエルなんだ?と寺尾聡のように呟くことしきり・・・。けっきょく、不本意ながらともだちに「そのココロ」をたずねると、帰ってきたのはこいう《こたえ》。

みみに優しい時間には、やさしい音楽を。

なるほど、直球勝負でしたか。耳の調子があまりよくない日には、いつも仕込みをしながらきいています。でも、もしぼくがこどものころピアノを挫折していたら《逆効果》だったりして。

ちなみに、おなじともだちからいっしょにもらったのは、関根勤『バカポジティブ』ウサギ(!)のイラストのポストカード。こっちはわかりやすい。アリガトウ。

宮越屋珈琲へゆく

2006-03-16 23:36:58 | コラム、というか
幌の「宮越屋珈琲」が、日本橋三越本店の新館にある。東京進出の第一号店である(このあいだたまたま通りかかったら、新橋交差点にも大きな店舗をつくっていた)。いちどは行ってみようと思いつつなかなか機会に恵まれなかったのだが、ちかくに用事ができたついでにここぞとばかり、行ってみた。

出てきたのは、ちゃんとしたおいしいコーヒー。そのほかにも木目調のクラシックな佇まいのインテリア、オールドジャズのBGM、そしてロイヤルコペンハーゲン(?)のうつわと、お客様を「安心」させる要素のたくさんある、いわば「喫茶店の模範回答」のような店である。

ただひとつ「安心」できないのは、一杯840円~というその「お値段」

表参道ヒルズ

2006-03-13 23:56:56 | コラム、というか
を切りに原宿まで出たついでに、ウワサの「表参道ヒルズ」を冷やかしてきた。「冷やかしてきた」なんて言っているが、ほんとうは買いたいモノがないというよりは、買えるモノがないといったほうが正しい。

さて、そんな「表参道ヒルズ」ではあるが、ひとことでいえばそこは「物欲のアリ地獄」といえる。写真をごらんいただければわかるとおり、館内は吹き抜けを囲むようにショップが並んでおり、上階から下階までのアプローチは、いわば「らせん」のようにゆるいスロープで連続している。なるほど安藤サンは、表参道に、タテに伸びる「商店街」をこしらえたというワケなのですね。そういう意味では、ありがちな「最上階に飲食店」とか「アパレル中心のフロア」といった区分けはせずに、あえて無秩序にいろいろなショップが並んでいたほうがずっと楽しかったようにも思うのだけれど。

それはともかく、ショップをみてもあまり面白くなかったので、ひまつぶしにもし「表参道ヒルズ」に出店するとしたらどのあたりがよいか?などとかんがえながら、ダラダラと坂を下ってみた。結論は、最上階の4,5軒目からその下の階あたりだろうか。というのも、こういうショッピングセンター的空間にやってくると、たいていのひとはまずこんなふうに口にする:とりあえずいちばん上まで行ってみる?そして買い物に突入するわけだが、最初の何軒かはまだ様子見で本気モードには突入しないものである。逆に、ここまで連続していると、さすがに最後のほうは疲れてきて「物欲」もやや散漫になる。というわけで、体力+物欲がピークになるのは、おおよそ「最上階の4,5軒目からその下の階あたり」なのではないか?と予想される。

とすれば、そんな消費者の買い物行動までもが「家賃」に織りこまれ反映されていたらつくづく「森ビル」は恐ろしいと思うのだけれど、さて、じっさいのところはどうなのだろう?どなたか「表参道ヒルズ」の家賃の仕組みを知っているひとがいたら、ぜひそのあたりのことを教えてもらえないものだろうか。