moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

右側に気をつけろ

2006-01-31 23:40:37 | コラム、というか
側に気をつけろ。といっても、ゴダールの映画の話じゃない。

ふりかえればこの半年あまり、からだの不調はことごとく右半身に出ていたような気がする。肩や首筋のこり、虫歯、足の巻き爪、おまけに(たんなる偶然だろうが)ちょっとしたケガまで。そして極めつけが、この右耳の突発性難聴である。ぼくの背中をみた鍼灸の先生いわく、「右の肩甲骨がすごい離れちゃってるよ」。

どうやら人間のからだというのは、じぶんでかんがえている以上に正直なものらしい。

森正洋展@無印良品

2006-01-30 23:51:27 | コラム、というか
ィンランドデザインの「良心」がカイ・フランクなら、さしずめ日本デザインの「良心」はこのひと、森正洋ではないだろうか。

いま開催中の「無印良品の器 森正洋展」を、たまたま足をはこんだ有楽町の無印良品で観て、あらためてそんなふうにかんがえた。ふたりのデザイナーの共通項はアノニマス、つまり「匿名性のデザイン」ということにある。かれらがつくりだす製品がめざすのは、それが当たり前のようにひとびとの暮しのなかに存在し、使われること。たとえばカイ・フランクの「テーマ(Teema)」が、森正洋の「しょうゆさし」がそうであるように。

あくまでも使いやすく、コストパフォーマンスがよく、しかも飽きがこない、生活になじむデザイン。

森正洋が「無印良品」のためにデザインしたボーンチャイナのティーポットをみて、ああきれいなデザインだなあ、と感じた。「暮らし」という文脈のなかで「きれい」であるということは、つまりそれが「理にかなったうつくしさ」を持ち備えているということ。みた目のクールさやユニークさとは無関係なのだ。ポットの中で茶葉はきれいにジャンピングするか。冷めにくいか。取っ手の持ちやすさはどうか。お茶を注ぐとき、勢いよくですぎたり、逆にでにくいことはないか。液だれしないか・・・。このポットの曲線は、こうしたことを考え抜いたすえに生み出された曲線だとわかる。

なんでもカイ・フランクは来日した際、森正洋をたずねてわざわざ「白山陶器」のアトリエまで赴いたのだとか・・・思わずニヤリとさせられるエピソードである。いつか日本とフィンランドで、「カイ・フランクと森正洋 展」なんていう企画が実現されないものだろうか。

Pen Station Cafe

2006-01-29 23:00:29 | コラム、というか
座あたりでお茶をしようと思うと、なんか落ち着かなかったり値段が高かったりで意外に苦労したりする。だったらいっそのこと京橋まで歩いて、「Pen Station Cafe」へゆくのが正解。

ペン・ステーションという名前がしめすとおり、ここは筆記用具でおなじみの「パイロット」が運営するカフェで、2階にはミュージアムもある。企業がアンテナショップとして、あるいは眠っているスペースの有効活用として、こうしたカフェを運営するというケースはけっしてめずらしい話ではないけれど、そういったことを抜きにして純粋に「カフェ」としてみても、ここはかなりイイ線いっていると思う。いや、むしろこの立地で、この値段で、このレイアウトで・・・ふつうだったらとてもじゃないけれど経営として成り立たないだろう。そこはなんといっても「企業系カフェ」の強みである。

じつはたいした期待もせず「カフェオレ」を頼んだのだが、これが思いのほかおいしく新鮮な驚きだったので、いまこうしてブログでおすすめしている次第。お昼ごはんに、銀座でおいしいビーフシチューを食べてしまったあとだったのでドリンクしかオーダーできなかったのだが、陳列されていた「ヨーロピアンシナモンロール」が気になってしかたない。

ちなみにここ、「京橋」という土地柄、平日の昼間はほとんど「ルノアール」のようである。

日々の鍼灸 (6)

2006-01-28 23:44:05 | 「突難」になる
前中、フィンランド語教室のために店をあける。

ポストをのぞくと広告や請求書(汗)にまじって、お客様からのあたたかいメッセージが添えられたポストカードなど・・・ありがとうございます!また、通りがかりのご近所の方なども何人か声を掛けてくださりうれしい限り(よかった・・・まだ忘れられてなくて)。さらにきょうは、ユッシさん(「オーロラ写真」なごめます)が差し入れを持ってきてくださったり、moiのウェブサイトを制作してくださったデザイナーのえつろさんが顔を出してくださったりと、みなさんからたくさんの「力」をわけていただいた一日。そして午後は、鍼。

店をお休みして一ヶ月、けっして辛い思いばかりではないのは、こうして日々みなさんのあたたかい気持ちに接しさせていただいているせいにちがいない。「有り難い」という美しい日本語を、なんどもなんども心のなかで噛み締めています。

『ククーシュカ~ラップランドの妖精』

2006-01-27 23:35:26 | コラム、というか
の春、2本のフィンランドを舞台とした映画が公開されます。ひとつは、以前このブログでもご紹介した荻上直子監督の『かもめ食堂』、そしてもうひとつが、ロシア映画『ククーシュカ~ラップランドの妖精』です。どちらもフィンランドを舞台としていながらも、ともに「外国映画」というところが不思議です。

この『ククーシュカ~ラップランドの妖精』は、すこし重いテーマをもった作品です。舞台は第二次世界大戦さなかの、フィンランドの北極圏ラップランド。この地で暮らすサ-メ人の女アンニと、彼女の家に逃げ込んだふたりの負傷兵-ソビエト兵イワンとフィンランド兵ヴェイコ-による言葉の通じない三人の奇妙な共同生活(サーメ語/フィンランド語/ロシア語)が描かれています。

もちろんいうまでもなく、当時ソビエトとフィンランドとは敵対関係にありました。フィンランドは隣国ソビエトの侵攻を食い止めるべく、やむなくドイツ軍に加担していたのです(結果フィンランドは「敗戦国」となる)。そして、ソビエトvsドイツ/フィンランドの戦闘の最前線こそが、この映画の舞台ともなっているサ-メ人たちが代々暮らしてきた土地「ラップランド」だったわけです。表面上は、ソビエトとドイツ/フィンランドとの闘いという様相を呈しているものの、サ-メ人にとっては自分たちの土地を彼らが奪い合っている、そんなふうにもみえたかもしれません。こんな彼らが、ひょんなことからひとつ屋根の下、言葉さえも通じない状況のなか暮らすことになるというストーリー、なんともアイロニカルで、かつ寓話的です。

ぼく自身、この作品を観たわけではないのでなにも語れないのですが、歴史をふりかえる限り、この戦争で得をした人間はだれもいない(辛くも戦争賠償金を手に入れたソ連でさえも)ように思われ、この作品を通して監督が伝えたかったこともまさにそのあたりにあるのではないかと推測しています。

余談ですが、ラップランドの州都ロヴァニエミは、皮肉なことに、戦争末期フィンランドにとって味方であったはずのドイツ軍の手によって焼き払われます。いわゆる「焦土作戦」というやつです。けっきょく、フィンランドはじぶんの国からドイツ軍を撤退させるため、ドイツ軍との戦いも強いられてしまいます。そのためラップランドでは、ソ連軍以上にドイツ軍を嫌う人々も多いそうです。この映画を観るにあたっては、こんなページなども参考にしてそんな歴史的背景をすこし頭にいれておくと、より深く理解できるかもしれません。

※以上、情報提供はみほこさんでした。いつもながらキートスです。

日々の鍼灸 (5)

2006-01-26 23:56:05 | 「突難」になる
や病院での診察のあとは、どこかでコーヒーを一杯のみたくなる。できればおいしいコーヒーを。それは、いまじぶんが置かれている状況を一杯のコーヒーで「リセット」したいから、にちがいない。そして事実、一杯のコーヒーにはそういう「力」がある。帰りにコーヒーをのんだ日とそうでない日とでは、その後の気分になにかおおきな隔たりがあるように感じられるからだ。

じつは、そんなこともあるのだろうなということは、日々のしごとのなかでも感じてはいた。moiの近所にはわりと大きな病院があるので、通院されている方やご家族が入院されている方、またときには入院中の患者さんらがたずねてくださる。そしてそんな方々のことばや表情から、いまここで一杯のコーヒーをのむ「理由」を汲みとることはむずかしいことではない。そうして気がつけば、いまぼくは逆の立場からそれを「反証」しているわけだ。

残念なことに、いまぼくが鍼に通っている「新橋」にはここぞという喫茶店がみあたらない。そこで、てくてく「銀座」まであるくのだ。わざわざ気分を「リセット」するために。銀座でいちばん落ち着くのは、やっぱりカフェーパウリスタ。ここには京都のイノダコーヒに通じる「空気」がある。いつだれが訪れても自然体で迎え入れてくれるような、「老舗」ならではの鷹揚さとでもいおうか。moiをつくるとき、こういう「空気」が感じられる店になればとかんがえていたのだが、実際やってみるとやはりこういう「空気」は「時間」がつくるものであって、一朝一夕につくれるようなものではないと気づいた。あたりまえの話だ。

いろいろなことに気づいたり気づかされたりと、そんな毎日である。

日々の鍼灸(4)

2006-01-25 22:18:47 | 「突難」になる
の帰り道の丸の内線で、落とし物をみつけた。空席になった向かいのシートに転がったそれは、よくみると会社の制服などにつけるネームプレートのようだった。どうやら前に座っていた客のものらしいが、あいにくぼくはずっと本を読んでいたので、それが男性だったか女性だったかすらもおぼえていない。とりあえず終点の「荻窪」で駅員に手渡そうとそれ拾いあげてみたところ、それは「三○東京U○J銀行」(「じゅげむじゅげむ」かお前は)の「タナカさん」のネームプレートなのだった。

たしか、以前ぼくがはたらいていた会社では、「ネームプレート」の紛失は「罰金&始末書」だったような気がする。もちろんくわえて、再発行にあたっては総務のひとからみっちりお灸をすえられる。なので、ネームプレートをなくしましたというのは、かなりプレッシャーのかかる事態といえる。うっかりそれをトイレに流してしまった同僚の女の子は青くなっていたし、べつの同僚などは紛失したことをなんとかごまかそうと、その場しのぎで、ぼくから借りたネームプレートをつけてそしらぬ顔で仕事をしたりしていた(それでなんとかなっていたのだから、まあ会社も会社である)。

ぼくがはたらいていたユルい会社ですらそうなのだから、「銀行」などというおカタい業種にあってはとてもじゃないがこんな程度では済まされないだろう。始末書&罰金はあたりまえ、丸坊主くらいは覚悟しなきゃならないのではないか。時すでに遅しかもしれないが、「タナカさん」、もしこのブログをみていたら「東京メトロ」までお問い合わせを。

「猪八戒」、じゃなくて

2006-01-24 23:39:37 | コラム、というか
みだくじのように歩くのだ。角があったら曲がる。つぎの角でも、また曲がる。だいたいそのつど適当に曲がるので、場合によっては目的地からどんどん遠ざかっていたりもするのだが、そうしたらこんどは逆に曲がってゆけばいいだけの話である。こんな具合に歩いていると、たいていひとつやふたつ思わぬ《発見》があって、それが面白くてしかたがないのだ。

新橋へ鍼を打ちにゆくときは、いつも銀座まで出て、そこから歩いてゆく。片道15分ちょっと。道筋はいろいろあるのだが、「最短コース」の途中で思いがけずみつけたのがこのブタのレリーフ(画像)。じつは、このレリーフの存在はむかしから知っていたのだが、こんなところで生き延びていたとは意外だった。

これは、いまから20年くらい前までこの場所にあった「大阪ビル」(現「ダイビル」)の壁面を飾っていたレリーフである。1927年に竣工されたビルで、大学のころ買った本にはたしか「日比谷の三信ビルとならぶ国内ではめずらしいアール・ヌーヴォー様式の建物」と紹介されていたような記憶がある。残念なことに、「大阪ビル」はぼくが高校生のころすでに解体されてしまったので、現存していたときの姿については思い出すことができない。ただ、そのユーモラスというよりは、むしろ無気味なレリーフのことだけは本で目にして以来ずっと記憶に残っていたのだった。

そんなわけで、ぼくにとっては思わずニヤリとしてしまう「出会い」だったのだが、そんなルーツのことなどなにも知らない近隣のOLのおねえさまがたの目には、あまりに唐突かつグロテスクなこの「ブタさん」、はたしてどんなふうに映っているのやら、そのことを思うとどうにも不憫でならないのである。

『北欧デザインを知る』

2006-01-23 23:05:31 | コラム、というか
どい頭痛で一日ふせっていたので、ネタがない。そこで、いま読んでいる北欧関連の本を紹介してお茶を濁しておこう。雑誌などで、北欧デザインにかんするコラムを精力的に発表されているライター渡部千春さんの新著『北欧デザインを知る~ムーミンとモダニズム』(NHK生活人新書)である。

ところで現在の「北欧ブーム」というのは、じつはかなりの程度「北欧デザイン・ブーム」なのであって、それも巷の「かわいい雑貨・インテリアブーム」とリンクしているというのは一目瞭然である。そしてそれがもうちょっと深化すると、「ていねいに暮らす」といったポスト「清貧の時代」的なスローガンにまで「昇華」(?!)されることになるのだが、まあ、それはそれとして、こうした背景をもった現在の「北欧ブーム」が紹介されるとき、その紹介のされ方がヴィジュアル中心になってしまうのはいたしかたないとはいえ、どうしても「浅い感じ」がしてしまうのはちょっと残念なことである。

「北欧デザイン」について語ることは、それらが生まれた《背景》について語ることである。渡部さんはこの本で、「新書」という制約のなかで最大限、その「軸」がブレないことに細心の注意を払っているように感じる。もうひとつ、この本からは「日本人」である筆者の「北欧デザイン」(つまり、それらを生んだ「背景」)に対する驚きや感動、リスペクトといった感情が、とてもフレッシュに伝わってくる。だから、「北欧デザイン」に愛着を抱いているひとにとっては安心して読めるし、また共感もできるのだ。

この本は、ヴィジュアル中心の「北欧ブーム」にはなんとなく飽きたというひとにこそうってつけの一冊だと思う。

片手にお灸 首には置き鍼

2006-01-22 16:38:49 | 「突難」になる
のむかし、♪片手にピストル 心に花束~という歌い出しのヒット曲がありましたが(35歳以上限定)、こちらはというと、鍼灸院が日曜日でお休みのためこんなことになっちゃってます。♪片手にお灸 首には置き鍼~(35歳以上の方は節をつけて歌っていただいても結構です)。ったく、ジジくさいったらありゃしない。