moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

「京都珈琲フェア」終了しました。

2006-03-31 23:34:44 | event
かげさまをもちまして、第一回(?!)「京都珈琲フェア」は終了させていただきました。期間中ご来店いただきましたみなさま、どうもありがとうございました!

コーヒー豆というのは、かんがえてみれば「楽譜」のようなものかもしれません。おなじ「楽譜」を使っても、どうしてもそこに「演奏者」の解釈がはいってしまう。だから、原曲の魅力を存分に引き出すことのできる演奏者もいれば、反対にもてあましてしまう演奏者だっているでしょう。

今回登場したコーヒーは、どれもぼくが京都で口にして「おいしい」と感じたコーヒーばかりです。そんな魅力的な「原曲」をはたしてぼくがどれだけ上手に「演奏」できたかはさだかではありませんが、「楽曲」のよさをすこしでも多く伝えたい、そんな気持ちでたどたどしくも、いっしょうけんめい淹れていたといったところでしょうか。

すこしでも「原曲」の魅力がみなさんに伝わって、そうだ、京都行こうなんて気分になっていただけたならまさに本望、です。

義父のレコード

2006-03-30 16:56:49 | コラム、というか
年ほどまえに亡くなった義父が、若いころよく聴いていたというレコードの整理を手伝ってきた。レコードはほとんどがクラシックで、SP、LPあわせてざっと百枚ほどあったろうか。うちの奥さんによると、義父がレコードを聴いている姿をみかけた記憶はまったくないらしい。若いころはずいぶん熱心だったようだが、なにかきっかけがあったのか、あるいは自然とそうなったのか、いつしかレコードに耳傾けるという習慣じたいがなくなってしまったようだ。そんなわけだから、三十年以上手つかずになっていたレコードのほとんどはカビが生えてしまっていたけれど、さいわい聴けないほどのダメージを受けているものはすくなかった。

一枚、一枚レコードを調べていておどろいた。こういうのもなんだが、「玄人好み」とでもいうか、とても趣味がよいのだ。シューリヒトの「ブル9」、ビーチャムの「ジュピター」、クレメンス・クラウスのR・シュトラウス・・・、ベートーヴェンの交響曲にしても、第2と第4はワルター、「田園」はトスカニーニ、第7はフルトヴェングラーといったぐあいに曲ごとに、しかも「なかなかやるな」と思わせるセレクトになっている。これだけでも、相当に聴きこんでいたことがよくわかる。

さらに義父のコレクションをみてゆくと、チャイコフスキー、フランス音楽、それにシベリウスがずいぶんと目立っている。好きだったのだろう。とりわけフランス音楽はお気に入りだったらしく、ラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンスといった「定番」にはじまり、プーランク、ミヨー、それにダンディといったマニアックどころまでしっかり押さえられている。そしてもうひとつ、義父の趣味が計り知られるとしたら、それはシベリウスのヴァイオリン協奏曲のレコードが二種あったことだろうか。これ以外はすべて、ひとつの楽曲につき一種類ずつ揃えられていたことからすれば、義父はこの曲に相当強い思い入れがあったのではないだろうか。

晩年の義父は、おだやかで寡黙なひとだった。かたわらの猫をなでながら、満足げにいつも静かにほほえんでいるようなひとだった。そんな義父だったから、あまりたいした話をしたという記憶はないし、むこうからいろいろと話を切り出してくるということもなかった。けれども、こうして義父のレコードを眺めたり、針を落としたりしていると、なんだかいま義父がここにいて、生前に話せなかった分まで対話しているようなそんな気分になってくるのだ。

アンクルトリスふたたび

2006-03-29 18:18:05 | コラム、というか
事があって奥さんの実家へ行ったら、まるで待っていたかのように、茶の間に置かれたヴァイキング・コスプレの「アンクルトリス」のようじ入れを発見!こんな身近なところに・・・。もちろん、連れて帰ってきました。

・・・これはもしや、ノルウェーに行け!というお告げ?

甦ったルワンダ

2006-03-28 23:40:43 | コラム、というか
いう、なにやらいかめしい名前のついたコーヒー豆をいただいた。編集者のKさんが、取材先の「コーヒーノート」という豆屋さんで手に入れたものだという。

ふだんぼくはあまりストレートをのむ機会がないのだけれど、ストレートコーヒーは旅ゴコロのようなものを刺激してくれるので嫌いではない。どんな土地でどんな人々によって育てられてきたのか、豆のかたちや香りをとおして想像してみることはたのしい。

いただいた豆は、その名のとおりアフリカのルワンダという国でつくられたものである。アフリカといえばコーヒーのルーツといわれ、「モカ」の産地としてしられるエチオピアやケニア、「キリマンジャロ」でおなじみのタンザニアといった国々のことがすぐ思い浮ばれるけれど、ルワンダという国の話はあまり耳にしたことがない。

それもそのはず、伊藤博『珈琲を科学する』によると、もともとコーヒーの栽培じたいは盛んな国だが、それぞれの農園の規模が小さいため生産量がすくないのだそうだ。さらに追い討ちをかけるようにして、90年代には激しい内乱のためコーヒーの生産じたいがストップしていたという経緯もあるらしい。つまり、こうしていま日本でルワンダのコーヒーがのめるということは、とりもなおさずルワンダという国が一時とくらべて平和になりつつあるということの証しといえるかもしれない。

はじめて口にするルワンダのコーヒーは、その渇いた土を思わせる独特の匂いとはうらはらに、思いのほか癖のないすっきりとした飲み心地であった。豆を煎じて飲んでいる、そんなふうにすら感じられる作為のないあじわいは、あるいは焙煎した「コーヒーノート」さんの哲学ゆえの結果かもしれない。「甦った」ルワンダのコーヒーが、いつでもぼくらの口に届くよう「平和」を願わずにはいられない。

プッテ・ウィックマン

2006-03-27 23:23:22 | コラム、というか
ウェーデンのジャズクラリネット奏者プッテ・ウイックマンが、先月亡くなったそうだ。といっても、ぼくはけっしてかれの優秀なリスナーとは言いがたい。なにせ、かれのCDは一枚しかもっていないし、その一枚すらも訃報をきいて、そういえばたしか一枚もっていたような気が、なんて思い出したくらいなのだから。

手もとにあるのは、プッテと、ブラジルのミュージシャン、シヴーカが共演したCD。一曲を除いて、エドゥ・ロボ、バーデン、ドナートらブラジルの楽曲を演奏している。シヴーカ本人のものも二曲。そしてぼくがこれを手に入れたのは、「スカンジナヴィア・ミーツ・ブラジル」という最高に心ときめく顔合わせだったからという単純明快な理由以外のなにものでもない。録音は1969年、ストックホルムにて。おなじ年にはおなじストックホルムでもう一枚、トゥーツ・シールマンス&エリス・レジーナによる超名盤が誕生している。1969年という年は、それゆえスカンジナヴィア・ミーツ・ブラジルの《金字塔》のような年号として記憶されなければならない(純正スウェーデン人による「ギミックス」が、ブラジリアンな名盤「Brasilian Samba」をリリースするのはその翌年、1970年のこと)。

肝心な音はというと、はじめに書いたとおりぼくはかれのCDを一枚しかもっていないのでとやかく言える立場にはない。ただ、「異能のひと」シヴーカによる圧倒的なパフォーマンスに煽られたかのようにプッテもたいへん熱のこもったグルーヴィーな演奏を展開している。

そういえば、このCDを手に入れたのは京都の北山にある優里奈というショップだった。いつごろのことだったかはもうはっきりとは覚えていない。7~8年は前じゃないだろうか。ぼくにとって、京都-スウェーデン-ブラジルの奇妙なトライアングルの中心に、プッテ・ウィックマンという名前がある。

アンクルトリスのてぬぐい

2006-03-26 23:37:52 | コラム、というか
都旅行の戦利品。

おなじみ「アンクルトリス」のデッドストックのてぬぐいです。トリスウィスキーのノヴェルティーと思いきや、「サントリー 純生」というロゴと酒屋さんの店名、そして電話番号がプリントされています。オリジナルの「純生」ブランドは1967年から82年にかけて販売されていたとのことなので、その時代に販促用として配られたものと思われます。

それはともかく、やはり注目は「アンクルトリス」の衣裳でしょう。なんと、ヴァイキングのコスプレをしています。高く掲げた右手には盃が、そしてその上には「SKAL」(=乾杯)とノルウェー語がプリントされています。

どうやらどこに行っても、けっきょく「北欧」に呼ばれてしまうようです。

hohoemiのシナモンロール

2006-03-25 23:03:47 | Korvapuustiseura
都のベーカリー、hohoemi(ホホエミ)のシナモンロールです。鴨川のほとり、荒神橋のたもとにあります。

白粉をほどこしたようなルックスが「舞妓さん」を思わせる、京美人なシナモンロールです(無理矢理ですが)。これをかぶりつきながら鴨川の河原を散歩したい誘惑になんども駆られましたが、写真を撮らねばという「使命感」でなんとかホテルまで持ち帰りました(撮影終了とともに胃袋に消えたのはいうまでもありません)。

お味はというと、外はしっかり、中はもっちりでなかなかユニークな食感のシナモンロールでした。ちなみに、砂糖のアイシングだとばかり思っていた表面、じつはバタークリームのようなもので、持ち歩いているあいだにすっかり「化粧崩れ」してしまったのが悔やまれます。

京都珈琲フェア、はじまる

2006-03-24 22:45:29 | event
欲ならおさえられても、「マメ欲」(!?)だけはどうしたっておさえられない。気がつけば、カバンのなかはマメだらけ。コーヒー豆ではちきれそうなカバンをかつぎ、あたりにコーヒーの薫りを漂わせながら、京都の街を上ル下ル。そして、我にかえってふと思うことは、さて、このマメいったいどうしたものか?

こうして、「京都珈琲フェア」は唐突にはじまるのでした。

期間中は裏メニュー(?)として、ぼくが京都で出会ったおいしいコーヒーを3種類ご提供させていただきます。もちろん、数に限りがありますので売り切れ次第終了となります。ラインナップは、以下のとおり。

1.「SARASAかもがわ」さんのハウスブレンド 深煎り
2.「カフェ・ドゥ・ガウディ」さんのグアテマラSHB 中深煎り
3.「六曜社地下店」さんのブレンド 中深煎り

各550円。なお、もともとじぶんで飲むつもりでセレクトしているため、すべて中深(の深め)~深煎りになっています。よって、しっかりした苦みのあるコーヒーをお好きな方におすすめです。なお、豆をお分けすることはできませんのでご了承ください。

春のひととき、しばし京都のコーヒーでほっこりと。

京都へいってました

2006-03-23 19:22:04 | コラム、というか
ルース好きはメンフィスを、アールト好きはユヴァスキュラをめざす。そして喫茶店好きはといえば、そう、京都をめざす。

というわけで、唐突ですがこの連休をつかって京都にいってきました。去年の暮れに病気をし、以後お店をしばらく休んだり治療をしたりするなかで、いままでになく自分のこと、そしてモイについてかんがえる時間を多くもつことができました。ならばいっそのこと節目の年ということで、いろいろ感じたりかんがえたりする一年にするのもわるくない。こうして4年ぶりの京都旅行は突然にやってきたのでした。

なんといっても京都の喫茶店とそこに集うひとびとの姿は、モイにとってはいわば「永遠のお手本」のようなもの。思えばそんな様子がまぶしくて、うらやましくて、ぼくはここ東京に「モイ」という場所をつくったのでした。

時間にしたらたったの二日ほどの滞在でしたが、それでも京都という街はぼくにとってはやっぱりなんだかまぶしくて、そしてうらやましくなる場所でした。夏にはモイもまる四年、「京都」に4センチくらいは近づけたでしょうか?

法然院で

2006-03-22 23:16:12 | そうだ、京都いこう
然院にいってきた。京都へでかけてもほとんど神社仏閣には縁のないぼくであるが、今回ここだけは行こう、そう決めていた。

ちょっとあやしげなぼくの知識では、貴族や裕福な商人らがお金や財産を寺に寄進することで「徳」を積み、「極楽浄土」ゆきの切符を手にするいっぽうで、その他大勢の、そうした財力をもたない市井のひとびとは「地獄」に落ちざるをえないのかと悲嘆にくれ、あるいは自暴自棄になっていた時代、財力や寺への寄進などとは関係なく、どんなひとであろうとただ「念仏」さえ唱えれば等しく「阿弥陀如来」によって救われ「極楽浄土」へと迎え入れられる、そう説いたのが「法然」というひとだった。

そんなふうにいうと、まるで「念仏」が「魔法の呪文」のようにきこえるがそういうことではない。ここでいう「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」というのは、ひらったく言ってしまえば「神様~」という究極にシンプルな呼びかけのことばにすぎない。ひとは、思わぬピンチに立たされにっちもさっちも行かなくなったとき、つまりじぶんの力だけではもはやなんともしがたいと知ってしまったとき、おのずとじぶん以外の何者かに助けを求めてしまうものである。そうした救いを求める心の叫びこそが、つまり「念仏」である。そして、 「阿弥陀如来」はすべての助けを求めるひとびとを救いたいという「願い」を立てて仏さまになったのだから、当然その呼びかけに応えてくれるはずである、そう「法然」はかんがえた。

こうした「浄土の教え」を、ぼくは勝手に「『気づき』の信仰」ととらえシンパシーを抱いてきた。思わず「神様~」と叫んでしまうような絶体絶命のピンチというのは、またじぶんの「限界」を知り、けっしてひとりでは生きてゆけないことに気づく、そうした唯一無ニの「チャンス」でもある。去年の暮れに突然体調を崩したとき、ふしぎなことに、じぶんのことや周囲のことがそれまで以上にクリアにみえ、かえってさわやかさのような感覚をおぼえた。じぶんの「限界」を知ったこと、他人のやさしさを知ったこと、その「気づき」のよろこびが、たぶん病気のつらさを凌駕してしまったのだろうと思う。そしてちょうどそんな折、「東京カフェマニア」を主宰されているサマンサさんのブログをとおして出会ったのが梶田真章さんの『ありのまま』という本である。

今回たずねた「法然院」の貫首(住職)をつとめる著者によって、そこには日々をていねいに暮すことのすばらしさが淡々とした口調でつづられている。梶田さんのことばには、大上段に構えたようないかめしさや説教臭さはまったく感じられない。読んでいると、口にふくんだ「水」のようにすーっとじぶんのからだに浸透してゆくのがわかる。そして、このタイミングでこのような本に出会えたのをラッキーと思うとともに、なにか強い「縁」のようなものを感じたのだった。

この日、かつて法然が「念仏」を唱えたというゆかりの地で、ボソボソと「南無阿弥陀仏(ありがとう)」と唱えてきた。