どうでもいいようなことが、やけに引っかかることがある。たとえば「おしぼり問題」がそれだ。といっても、たいがいのひとはそんなこと気になりもしないだろう。ぼくもそうだった・・・店を始めるまでは。
出されたものはぜんぶ食べる、ぜんぶ使う、そんな律儀というかセコく(?)育ったぼくにとって、出された「おしぼり」を使わないひとが案外いるという事実はちょっとした驚きだった。いやべつに、使おうが使うまいがそれはお客様の勝手だし、じっさいどちらだってかまわないのだ。ただ「素朴な疑問」のひとつとして、それを使わないワケを知りたく思う、それだけの話である。
たしかに「なんか不潔そう」という理由で、いわゆる「純喫茶」で無雑作に登場する「蒸しおしぼり」を使わないというひとはいる。ぼくもまた、使ったり使わなかったりだ。ところが、うちで出しているのは使い捨ての「ペーパーナプキン」、使ったからといってなにか支障をきたすといったたぐいのものではなさそうだ。それともなにか、ぼくの気づかないところに「なるほど、そうだったのかぁ~」という納得の理由が隠されていたりすのだろうか?比率的にいってだんぜん女性がおおいあたり、ナゾを解き明かすカギがありそうだ。
そんなある日のこと、うまい具合に(?)知り合いの女性が「おしぼり」に手をつけずにいたので、チャンス到来、ここぞとばかりそのワケを尋ねてみた。するとその女性はこんなふうに答えるのであった。
えっ?ああ、べつに今日はいいかな、って。
あ、そ、そうですか・・・終了。というわけで、どうやら「おしぼり問題」には深遠な世界はもちろん、特別これといった「理由」すらなかったようだ。
出されたものはぜんぶ食べる、ぜんぶ使う、そんな律儀というかセコく(?)育ったぼくにとって、出された「おしぼり」を使わないひとが案外いるという事実はちょっとした驚きだった。いやべつに、使おうが使うまいがそれはお客様の勝手だし、じっさいどちらだってかまわないのだ。ただ「素朴な疑問」のひとつとして、それを使わないワケを知りたく思う、それだけの話である。
たしかに「なんか不潔そう」という理由で、いわゆる「純喫茶」で無雑作に登場する「蒸しおしぼり」を使わないというひとはいる。ぼくもまた、使ったり使わなかったりだ。ところが、うちで出しているのは使い捨ての「ペーパーナプキン」、使ったからといってなにか支障をきたすといったたぐいのものではなさそうだ。それともなにか、ぼくの気づかないところに「なるほど、そうだったのかぁ~」という納得の理由が隠されていたりすのだろうか?比率的にいってだんぜん女性がおおいあたり、ナゾを解き明かすカギがありそうだ。
そんなある日のこと、うまい具合に(?)知り合いの女性が「おしぼり」に手をつけずにいたので、チャンス到来、ここぞとばかりそのワケを尋ねてみた。するとその女性はこんなふうに答えるのであった。
えっ?ああ、べつに今日はいいかな、って。
あ、そ、そうですか・・・終了。というわけで、どうやら「おしぼり問題」には深遠な世界はもちろん、特別これといった「理由」すらなかったようだ。