moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

よいお年を!

2005-12-31 10:39:46 | Weblog
ことしも残すところ、あとわずか。みなさんにとって、この2005年はどんな一年でしたでしょう?

おかげさまでmoiは、みなさんに支えられながらこの夏「まる三歳」を迎えることができました。この一年、moiに足をはこんでくださったみなさん、遠くから心にかけ応援してくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました!ちっちゃな庭先にひょろりと生えたやせっぽちの花のような店ですが、じょうろで水をやるようにみなさんがmoiを訪れてくださることで、すこしずつたくましく育っていきたいと思っています。

思わぬ病気の発症で、尻切れトンボな一年の締めくくりになってしまったことが悔やまれますが、来年はそのぶんまで元気にみなさんとおめにかかりたいと思います。

では、おだやかなよい新年をお迎え下さいませ。    moi店主


2005年12月31日 神田淡路町・近江屋洋菓子店にて

日々の点滴 (5)

2005-12-30 18:09:35 | 「突難」になる
かし東京はうるさい。そんなことあらためて言うほどのことでもないが、耳をやられているぼくにとっては切実な問題、「うるさい」を通り越して、それは「攻撃的」ですらある。

よく、そういったことを海外生活のながい「知識人」などが書いているのをみるたびに、言いたいことはわからないでもないけれど、とはいえワケ知り顔でそんなことを主張するのもちょっと嫌みだよねぇ、などとかんがえていた。ところが、耳をわずらってここ東京の街をあるいてみると、耳を休めようにも休ませてあげられる場所がどこにもみつけられないのである。これには困った。

ぼくの場合、いま右耳の聴力が左耳の半分程度にまで落ち込んでいる。どういう仕組みになっているのかは皆目見当もつかないのだが、ダメな右耳のぶんまでがんばってしまうのだろうか、左耳が異様に敏感になっているのを感じる。おそらく「低音」がカットされているせいだと思うのだが、ちょっとした物音が突き刺さるようにとんがって聞こえ、ガンガンと頭のなかで反響する。あるきながら、無意識のうちに耳をふさいでいることもしょっちゅうだ。

コーヒーを飲もうにも、ごはんを食べようにも、あるいはちょっとした買い物をしようにも、店へ入ればそこではたいていなにがしかのBGMが流れている。しかも、けっこうな音量で。そればかりかご丁寧なことに、街にはわざわざスピーカーで店内の音を通りにまで流している店もすくなくない。けっきょく耳を休ませるどころか、居たたまれずに早々に退散するはめになる。「バリアフリー」という言葉はすっかり定着した感のある日本だが、この先「サウンドフリー」な街や店にもふえてほしいものだ。

で、ひるがえってmoiなのだが、もちろん店内に音楽を流している。なんか矛盾しているようだけれど、moiのようにミニマムな空間の場合、あまりにシーンとしているとかえって息が詰まってしまうということもあるからだ。だから、店内にお客様がひとりしかいらっしゃらないようなときには、逆に音量をすこし上げたりということもしたりする。そんな具合だから、ぼくにはすべてのBGMが一概に悪いとは断じることができない。ただせめて、耳が敏感になっているお客様がいれば音量を絞るなり止めるなり、ささやかな心遣いはしたいものと心に誓う、そんな年の瀬である。

日々の点滴 (4)

2005-12-29 19:44:01 | 「突難」になる
が覚めて、「あ、やばい」とおもう。なんかリバウンドしてる?!ここ2,3日は、体感的によくなってきているように感じていただけにショックだ。病気ってやつはなるときには一瞬にしてなるくせに、治るときは牛歩のごとく、ジリジリとしか回復しない。まったく曲者だ。それだけカラダが、「K-1」よろしく病気とくんづほぐれつ格闘しているということなのだろう。負けるなっ。

病院も、年末年始をひかえきょうから休診期間。よってぼくのような患者は、「救急外来」として「救急センター」で点滴治療をうけることになる。いやだなぁ、そんな特番「実録・救急救命センター24時」みたいな緊迫した現場で点滴するなんて・・・とおもっていたのだが、きょうのところはそんな場面に遭遇することもなく終了。ああ、よかった。

肩のコリをほぐすため、目をつけておいた2軒の喫茶店のうちのひとつ「Voici Cafe」でコーヒーブレイク。お店の雰囲気から察しがつくとおり、豆は「コクテール堂」のものだった。その後、支払いやらなにやら月末&年末の仕事を片づけ、店に寄って大家さんらに年末のご挨拶などしてから戻る。オープン以来、たいした風邪すらひかず来たのでみなさん心配してくださっていたようだ。ありがたい。さすが荻窪、「♪ふれあいの街~」だよ。

家ではこういうときだからこそと、いままで登場した雑誌などの記事をクリッピング作業。部屋に積み上がった掲載誌の山をみるたび「ああ、なんとかしなきゃねぇ」と思うのだが、だいたいこういう作業というのはえてして優先順位が低いもので、「あ、見なかったことにしとこ」となりがちなのです。おかげでちょっとスッキリしました。

耳の具合は、またすこーしだけ良くなってきたかな?

日々の点滴 (3)

2005-12-28 17:36:32 | 「突難」になる
学病院はプロの患者たちであふれかえっている。ぼくのように、この年まで入院はおろか、大きな病院へすらかかったことのない患者はそこではいわばアマチュア、異郷の地にひとり放りこまれた孤独な旅人みたいなもんである。そしてこの孤独感は、「ギボさん」とのロスト・イン・トランスレーションなやりとりにますます増幅してゆくのだった。

「ギボさん」は、患者の採血や点滴を取り仕切るベテランの看護士さんである(らしい)。じつのところ名前はよくわからないのだが、顔のつくりがあの霊能力者「宣保愛子」に似ているので、ぼくが勝手に「ギボさん」とひそかに呼んでいるだけのことだ。この「ギボさん」と、ぼくはどうしても上手にコミュニュケーションをとることができない。そして、それは思うに、ここにくる患者たちはみんな「プロ」であるはずだという「ギボさん」の確信めいたものに起因している。

これから生まれてはじめての点滴をするというとき、「ギボさん」は「じゃあ、血圧をはかってくださいね」とぼくに言い、測定器の前のスツールを指さした。拾われた子犬のような従順さでそこに腰掛けたぼくを尻目に、足早に「ギボさん」はどこかへと消えてしまった。「ギボさん」はいつも忙しそうなのである。そう、アマチュアのぼくにとって、血圧というものは誰か医者なり看護士さんなりが測ってくれるもの、そう考えて疑わなかったのだ。カフェのみならず、血圧測定の世界までセルフの波にさらされているとはまったく考えも及ばなかった。しばらくして戻ってきた「ギボさん」は、(しつこいようだが)測定もせずただ子犬のように従順に腰掛けているぼくを、まるで「霊」でも見るかのようにジロリと見やり、そうして早口でこう言うのだった。「腕をいれて、ボタンを押してくださいね」。先にそう言ってくれよ。おかげで、不必要に脈拍が上がっちゃったじゃないか。

また点滴中、様子を見にきた「ギボさん」は、ぼくの腕をチェックするなり唐突にこう語りかけるのだった。「アルコ-ル面、大丈夫ですか?」。ぼくはもちろん無口になる。アルコール面?大丈夫?って・・・。いや、下戸なんで、あまり大丈夫じゃないっすねー。と答えようかとも思ったのだが、なんか嫌な予感がしたので、思いっきりアマチュア感むきだしの無邪気さでこう訊きかえしてみた。「そのココロは?」。「ギボさん」がまたもや「霊」を見てしまったのは言うまでもない。一瞬、その表情を硬くこわばらせたあと、早口で「ギボさん」はこう言うのだった。「なんか腕が赤くなってるみたいだけど、ヒリヒリしたり痛んだりしませんか?」。だ・か・ら、先にそう言ってって。またもや動悸が速くなるのを感じるアマチュアのぼくなのだ。

点滴が終わるその少しまえ、あと10分ほどで終わる旨を伝えた後、会計のための書類や明日以降の予約について早口で説明した「ギボさん」は、そのまま書類をぼくのかたわらに置いて足早にどこかへと消えてしまった。しつこいようだが、「ギボさん」はつねに忙しい。10分が経過し、さらに10分ちかく経過しとっくに点滴は終わっているというのに、「ギボさん」が戻ってくる気配はない。まさか、針もセルフで抜けっていうのか?いやだ、絶対にいやだって。仕方ないので、カーテンのむこうを歩く誰かの影にぼくは語りかける。「あのぉ、終わったりしてるみたいなんですけど」。昼ごはんでも食べにいってしまったのか、そのまま「ギボさん」は姿をみせなかった。

それにしても、「ギボさん」のあの「霊を見てしまったかのような表情」はなんとかならないものだろうか。ぼくは、点滴のような「大がかりな治療」を受けるのは初めての人間である。しかも、言わせてもらえばそうとうの「小心者」でもある。よって、「ギボさん」の言動のひとつひとつにいちいちビビってしまうのだ。点滴が終わったのはいいが、心なしかきのうよりも早く済んだような気がしてならない。不安、である。様子をみにきた「ギボさん」は、じぶんの腕時計を確認したあと、またもや「霊を見てしまったような表情」でこうつぶやくのだ。「あら、なんか少し早いわねぇ」。おいおい、マジ頼みますよ、調節したのは「霊」じゃなくってあなたなんだから!

「ギボさん」との異文化コミュニュケーションは、まだはじまったばかりである。はたして「プロ」になれるのか?

日々の点滴 (2)

2005-12-27 21:07:05 | 「突難」になる
ぎらいのメッセージがどどっと激減してしまいそうですが、おかげさまでのんびりさせていただいていますというご報告かたがた。

いまかかっている大学病院を紹介していただいたSさんから、なにか「おたのしみ」をセットしたほうが治療も楽になるよとの貴重なアドバイスをいただき、さてどうしたものかと考えた結果、病院の近所でのんびりとごはんを食べたりお茶を飲んだりと、そんなささやかなことがいちばんリラックスできるかもということで、こんな具合にのほほんとさせていただいております。

朝いちばんで病院へ行き、検査や点滴を終えて会計が済むころには、たいていランチにはすこしばかり遅めの時間になっています。そこで、なんとなくぶらぶらしながら、あまり深いことも考えずお店を決めて、のんびりごはんをいただくのです。あったかいものを、匂いや音や時間を気にせず遠慮なく食べられるというのはしあわせなことだなぁ、とあらためて実感。

きのうは、「KUA`AINA」のハンバーガー。



まだ入ったことがなかったので、この機会にと入ってみました。黒ゴマたっぷりのバンズが、カリッとしていて食べにくいけどおいしい。食べにくいものって、いまオレは食べてるぞォっていう気にさせてくれるので好きなんです。

そして、きょうは「CAFE丸福珈琲店」を再訪しました。



前回はおなかいっぱいで挑戦できなかった「チーズトースト」を、濃厚なブレンドコーヒーといっしょに。おお、うわさに違わぬ分厚さ!「裏ごししたチーズ、卵黄、ミルクで味つけした」というこの「チーズトースト」、道理で色が黄身がかっていて、しかもふわふわなのか。こういう喫茶店の王道みたいなメニューもいいよなぁ、などとすこし仕事のコトも。

どうも薬の副作用で胃がもたれ気味でなんて言ったところで、きっとだれも信じてくれませんよね?

日々の点滴 (1)

2005-12-26 23:35:46 | 「突難」になる
「突発性難聴」という病気をわずらい、しばらくお店を休ませていただいています。

通院中だった地元の耳鼻科の先生から、検査結果に著しい改善がみられないため入院による点滴治療をうけなさいと診断されたのがクリスマスイヴのこと。そして連休明けのきょう、お客様でおなじ病気を経験しているSさんが以前かかっていたという大学病院へ行ってきました。手術を必要とするような病気ではないので、事情によっては通院による治療を引き受けてくれる場合もあるという話でしたが、年末年始にかかるこの時期ではおそらくむずかしいだろうということで、最低限の入院の準備をしたうえで病院を訪れました。

検査の結果、やや改善の兆しがみえること、そしていまのところ「めまい」の症状がないということから、なんとか「入院」という事態は回避し、通院による「点滴治療」をおこなうことになりました。治療は、10日間ほど連続で、毎日「ステロイド剤」という薬を点滴注射するというもので、当然のことながら大晦日も三ヶ日も返上で、毎日「点滴」のため病院へ通いつづけることになります。10日間も(若干の副作用もあるらしい)点滴のため通院しつづけるというのは、たしかにちょっとヘヴィーなことにはちがいありませんが、そんな「10日間」めったにあるものではないので、なにか前向きな要素をセットにして治療に取り組んでくださいというさきほどのSさんからエールをうけ、できるだけ仕事を離れてのんびりとした生活を楽しみたいとかんがえているところです。

たしかに入院は、体力的にはラクなのでしょうけれど、なれない病院で年を越すというのは精神的にはやはり相当にキツイことなので、予想外に入院を回避できたことで気分的にすこし楽になることができました。

moiのお客様にはフリーでお仕事をされている方も多いので、ここでぜひ耳を貸していただきたいのですが、病気というのはすべての予定を狂わし、場合によってはいままでの努力や苦労をいっぺんに水泡に帰してしまうほんとうに腹立たしいものです。フリーで仕事をしていると、まず確実にオンとオフの切り替えがヘタクソになります。仕事は休んでいても、ココロはつねにフル稼動でまったく休んでいなかったりします。また、気がつくと無理をすることが当然という感じでそのことに鈍感になっていたり、逆に「頑張らなくっちゃ」という気合いを支えに仕事をこなしてしまったりということがままあります。けれども病気になったら最後、そんな頑張りなんの意味も価値もありません。病気になってしまう前に、カラダとココロを休めてあげる「勇気」を忘れないでいただきたいと思います。

大好きな小説、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』のなかにこんな一節があります。「らくだ」にのって砂漠を旅する少年に、「馬」を買うよう錬金術師が命じる部分です。「馬を買いなさい。らくだは裏切る動物だ。彼らは何千歩歩いても疲れを見せない。そして突然ひざまづくと、死んでしまう。しかし、馬は少しずつ疲れてゆく。だからおまえはいつも、どれだけ歩かせてよいか、いつ馬が死ぬ時か、わかるのだ」。

馬にまたがっているように、じぶんのココロやカラダと上手につきあっていきたいものです。

こんなこともあろうかと

2005-12-25 21:44:57 | Weblog
外出先からもブログを更新できるよう、携帯を替えました。ということで、悪戦苦闘しつつようやくテストまでこぎつけたのですが・・・。

フィンランド語クラスは一年のしめくくりを、Liisa先生からのクリスマスプレゼント「Presidentti」コーヒーで。

ちょっと大事なおしらせ

2005-12-24 23:59:14 | 業務連絡
だいま、ご存知「a tes souhaits!(アテスウェイ)」のケーキをバカ喰い中、しかも2個・・・。

というのも、せっかくのクリスマスに水をさすような話で恐縮なのですが、いまぼくが抱えている「突発性難聴」という病気の治療に専念するため、大変申し訳ないのですが、明日25日からしばらくのあいだmoiの営業をお休みさせていただくことにしたからです。きょうの検診の結果からすると、どうやら年末年始は「都心の高級ホテル」ならぬ「病院」でのんびりさせていただくことになりそうです。

いまのところ、月曜日にならないとどの程度の時間の治療と静養が必要なのか定かではないのではっきり言うことはできませんが、ぼく個人としては1月中旬の再開を一応の目安にしています。また具体的なことは随時このブログでお伝えすることができると思います。

というわけで、お客様、そして関係者のみなさまにはご迷惑をおかけしますが、しばし充電して帰ってきたいと思っておりますので、今後ともお引き立ての程どうぞよろしくお願いいたします!

※なお、午前中の「フィンランド語教室」は予定通りです。生徒のみなさん、お待ちしております。

連休中の営業について

2005-12-22 22:54:29 | 業務連絡
て、今回の病気にあたっては、みなさまからあたたかいコメント、そしてたくさんの心のこもった激励のメールをいただき本当に感激しております。とても心強いです。どうもありがとうございます。

きのうお伝えしましたとおり、きょうは「臨時休業」をいただき、都内の大学付属病院であらためて診察を受けてきました。大学病院に行くのなんて、小学生のころ団地のエレベーターホールでスライディングに失敗し後頭部を強打し気絶、友だちの「1+1は?」という問いかけに、朦朧としながらも、しかしきっぱりとした口調で「1」とこたえ、そのまま救急車で搬送されて以来のことです。なんかもう、舞い上がっちゃって大変でした。

それはともかく、結果としては投薬を続けながらこまめに検査を行い経過を見守る。それでなお状況が思わしくないようであれば、入院してより本格的な治療にあたるという話でした。現時点で入院を免れたのは不幸中の幸いでしたが、当初の思惑通り通常どおりの営業を続けるというのは少しばかり考えが甘かったようです。

そこで、舌の根もかわかぬうちにという感じですが、連休中の営業につきましては下記のとおりと改めさせていただきます:

12/23(金・祝) 正午から19時までの営業
12/24(土) 「臨時休業」とさせていただきます※通院・治療のため
12/25(日) 正午より19時までの営業

なお、24(土)午前中に開催予定の「フィンランド語教室」につきましては通常通りです。生徒のみなさんはいつも通り出席されてください。

なんかこんなふうに書くと、いかにもヘロヘロの病人が店をやっているかのようで印象的に最悪だったりするのですが、ぜんぜんそんなことはありません。むしろステロイド剤の服用により、ドーピング常習犯のアスリートよろしくムキムキです(もちろんウソ)。まあ、いまのところは本当にふつうに仕事させていただいておりますので、お時間のある方はぜひお立ち寄りください。お待ちしております!