MRIの検査結果がわかった。異常なし。「聴神経腫瘍」という病気が「難聴」を引き起こしている可能性もあるということでの検査だっただけに、ひと安心。とはいえ、
異常はないのに症状はたしかにあるというこのふしぎ。
科学の進歩とともに、病気は「みえるもの」になった。たとえば手術というのは、「みえる」からこそ有効なわけだ。いっぽうエイズのように、「みえる」のに現在の医学ではまだ手の打ちようのない病気というのも存在する。ところが、ぼくがいま患っている「急性低音障害型感音難聴」という病気は「みえない」のだ(だから「特定疾患」、いわゆる「難病」という話なのだが)。
いつか科学がいっそう進歩をとげれば「みえる」ようになるのか、はたまた相変わらず「みえない」ままなのか。検査結果がクリアであればあるほど、また一方では釈然としない。人間のからだの複雑さをあらためて思い知らされた出来事だった。
異常はないのに症状はたしかにあるというこのふしぎ。
科学の進歩とともに、病気は「みえるもの」になった。たとえば手術というのは、「みえる」からこそ有効なわけだ。いっぽうエイズのように、「みえる」のに現在の医学ではまだ手の打ちようのない病気というのも存在する。ところが、ぼくがいま患っている「急性低音障害型感音難聴」という病気は「みえない」のだ(だから「特定疾患」、いわゆる「難病」という話なのだが)。
いつか科学がいっそう進歩をとげれば「みえる」ようになるのか、はたまた相変わらず「みえない」ままなのか。検査結果がクリアであればあるほど、また一方では釈然としない。人間のからだの複雑さをあらためて思い知らされた出来事だった。