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moiのブログ~日々のカフェ

北欧&フィンランドを愛するカフェ店主が綴る日々のあれやこれや

旅のカフェ日記《最終回》

2005-06-30 10:01:21 | 旅日記
「森の火葬場」。今回の旅で、もっとも印象深かった場所。



広大な森となだらかな丘陵に抱かれるようにしていくつかの教会と火葬場、そして無数の墓地が点在するそこは、1940年、建築家のエリック・グンナー・アスプルンドとジーグルド・レウレンツの手によってストックホルム郊外につくられた。アスプルンドはときに「北欧近代建築の父」とも呼ばれ、アルヴァー・アールトにもたいへん大きな影響をあたえたひとである。

じつは当初、ここを訪れる予定はなかった。「森の火葬場」のことは以前から知っていたし、そのすばらしさについて何人かのひとの口から聞かされていたにもかかわらず。その理由をひとことで言えば、「『火葬場』という特殊な場所にゆくという感覚がわからなかったから」である。漠然とした恐怖心のようなものもあったし、なによりそこは「興味本位に訪れるべきではない不可侵の聖域」という印象がつよくあった。けれども北欧へと旅立つ数日前、やはりそこを訪ねるべきではないか、訪ねなければ後悔するかもしれないという思いがもくもくと湧きおこり、けっきょく予定に組み入れることにしたのだ。決断はまちがっていなかった。



さて、この旅行記を終えるためには、どうしたってこの場所について書かなければならないとずっとかんがえていた。けれども、遅々として筆が進まなかったのは、ここで受けたつよい印象、そして感じた情感は、けっして「ことば」によって語りうるものではないということがわかってしまったからだ。ここはだれかのために心静かに祈りを捧げる場所、つまり「『ことば』を必要としない場所」なのだ。

じっさい訪れた「森の火葬場」は、思いのほか殺風景でも、陰鬱でもなかった。ふくよかな木々の蒼(あお)、木立をわたる風の音、色とりどりの可憐な花々やキノコ、リスやさまざまな鳥たちの声とその姿、そしてこうした景色のなかに完全に溶け込んでしまったかのようにみえる慎ましいたたずまいの建物と無数の墓標群ーそこに立ち、たくさんの「いのち」の声が語りかけてくるものをききながら、むしろ、ぼくの心はとても平和におだやかになってゆくのを感じていた。

もうひとつ、どうしてもつけくわえたいのは、ここはアスプルンドとレウレンツというふたりの建築家によってつくられた場所にちがいないけれど、それだけではけっしてないということだ。ここを散策していた数時間に、ぼくはほんとうにたくさんのひとびとの姿を目にした。シャベルと花を手にお参りにきた老人たち、葬列に参加する老若男女、そしてこの場所ではたらく大勢のひとびとの姿だ。その姿からは、かれらがいかにこの場所を愛し、誇りに思っているかがひしひしと伝わってきた。かれらひとりひとりの思いと献身的なしごとがあってはじめて、この場所はいつまでも守られ、「特別な場所」でありつづけることができるのだ。そしてもしかしたら、そこでもっともぼくを感動させたものは、じつのところそんなさりげないかれらの「姿」であったかもしれない。



さて、お送りしてきました「旅のカフェ日記」はこれにておしまいです。ご愛読ありがとうございました。

旅のカフェ日記 番外編その5

2005-06-29 21:42:22 | 旅日記
ヘルシンキにある古くからの住宅街「エイラ地区」の一角で、石を積み重ねた外壁を取り壊している光景に出くわした。

壊しているのかと思いきや、よくよくみると一個一個の「石」にチョークで番号がふってある(写真)。どうやらこの番号、後で元通りに修復するための手段らしい。一個一個の石を取り外しそれらをふたたび元あった場所に戻すなんて、手間、ひま、おカネ、そのどれからしても効率的な作業とは言いがたい。だいたいが、考古学の話ではない。リフォームの話である。

これがもし日本であったなら、すぐさま分厚いカタログを手にしたリフォーム会社のセールスマンがやってきて、「この機会にぜひ、丈夫で長持ち、しかも新技術で本物の御影石の光沢を再現した『エクセレント高級外壁シリーズ『みやび DX』」に変えてみてはいかがでしょう?』などと提案するにきまっている。ところがここフィンランドでは、まるでそんな選択肢ははなっから用意されていないかのように、悠長な顔でひとつひとつ外壁の石を取りはずしているのである。

ここがいわゆる「高級住宅地」だからかというと、かならずしもそういうわけでもない。じっさい、公共工事の現場でもおなじような光景を目にした。さすがに番号まではふっていなかったが、街路の石畳をわざわざはずして道路工事をしていたのだ。いっそのこと、この機会にアスファルト舗装にでもしてしまえばよいと思うのだが、まったくそんな気配すら感じられない。あったものをあったままの状態に戻す、それはこの国のひとびとにとってごくごく当たり前のことなのだろう。

よく北欧は「エコロジーの国」などといわれるが、それはなにか大がかりなプロジェクトを通じて学ばれるべきものではなく、実際にはごく自然に、日々の営みのなかで育まれてゆくものであるにちがいない。そして北欧という場所は、おそらくそういう土壌なのだ。

旅のカフェ日記 番外編その4

2005-06-26 22:00:41 | 旅日記
ヘルシンキ中央駅のすぐかたわらにある「Posti (中央郵便局)」といえば、日本人観光客の多くがいちどは足をはこぶ人気のスポット。とりわけ、郵便博物館と切手やポストカードをあつかうショップは人気の的で、行けばかならず日本人と出くわす、そんな場所でもある。

その「Posti」のなかに、じつはとても使い勝手のいいカフェスペースが2カ所ある。まずは、「Kirje kahvila」



博物館の入り口わきにあるここはスペースもちいさくつい見逃してしまいがちだが、なかなかの穴場的カフェである。とりわけ、「スープ」は気軽なランチにうってつけだ。店名どおり、ここで手紙を書いてそのまま投函する、そんな使い方もいいかもしれない。

もうひとつは、2階にある「中央郵便局のレストラン」という名前の「Ravintola Paaposti」



ランチはサラダランチ、スープランチ、それにビュッフェスタイルのデリのランチで、月曜日~金曜日の10時半から13時半までやっている。値段はけっして安くはないが、明るく開放的なスペースが心地いい。どうやらここは「Postiの社食」を兼ねているらしく、昼時ともなると郵便局の職員たちが気ままにランチをほおばっている姿をながめることができる。

ランチといえば、北欧では「社食」や「学食」にかぎらずビュッフェ・スタイルをとっている店がすくなくない。これはなかなかよく考えられたスタイルだ。ビュッフェ・スタイルというと、日本ではホテルの「ランチビュッフェ」や「ケーキ・バイキング」のようについ食わなきゃ損、損みたいな世界になって結果「暴飲暴食」を悔やむことになりがちだが、本来はその日の体調やおなかの空き具合によってじぶんでメニューや量をコントロールできる合理的なシステムなのである。

日本でも、こんなカジュアルなビュッフェ・スタイルがもっと一般的になってもいいかもしれない。

旅のカフェ日記 番外編その3

2005-06-24 11:28:56 | 旅日記
ストックホルムの地下鉄は揺れる。むちゃくちゃ揺れる。乗り物酔いしそうなくらいに揺れる。



さしずめ、運転のヘタなひとのクルマに乗っているようなそんな感覚だ。さいしょは、たんにヘタクソな運転手にあたってしまったのだろうくらいにかんがえていたのだ。けれど、乗った列車が列車ぜんぶがそうなのだから、問題はもうすこしべつのところにありそうである。たとえば車両だとか、レールだとか。

じっさい乗客はみな、老いも若きもかならず走行中は手すりにつかまっている。きっとみんな「地下鉄は揺れるもの」、そう思っているのだろう。



ストックホルムで地下鉄に乗ろうというかたは、そこのところ覚悟しておいてください?!

旅のカフェ日記 番外編その2

2005-06-22 23:39:59 | 旅日記
ヘルシンキといえば、ポンコツ車の宝庫である。

これはトヨタ カローラ(?)。ぼくが子供のころ、よく街でみかけた記憶がある。いつとは言わないが。


そしてこちらは「ボルボ」。もはや「年代」すらわからない。


一方このアメ車はというと、ただ駐車しているわけではなさそうだ。フロントグラスのはり紙を見ると、「この車、売ります」の文字が。売ってるのかよ!


反則ギリギリというのはこういうことを言うのだろうか。

旅のカフェ日記 (7)

2005-06-18 14:16:47 | 旅日記
青空はのぞいているものの、はるかかなたには入道雲がもくもくと湧きおこっているのがみえる。午前中が「勝負」だな。そこでホテルをチェックアウトするまえに、24時間有効のツーリストチケットがまだあと30分ほど使えることを確かめてトラムにのりこむ。



行き先は、この旅行中で三回目になる「ヒエタラハティ」のフリーマーケット。ここはプロとシロウトが混在して出店しているので、数やメンツも日によってまちまち、ふたをあけてみないことには実態がつかめないのである。ここまでのところはややハズレ気味。使いかけの化粧品とか壊れた携帯電話、なにに使うのかもはやわからない電気コードなどなど、シロウトが家庭に眠っている不要品をもってきて並べているといった感じ。それでも、英語の得意でないおばあちゃんとカタコトのフィンランド語でコミュニュケーションをしていると、「まあ、あなたったらフィンランド語をしゃべるのねぇ」などと言いつつ、頼みもしないのにおマケしてくれることが二度ほどあった。ラッキーなこともあるのだ。よく晴れた週末ということもあって、きょうは店も客もいままででいちばん多い。目についたものをいくつか買いこむ。

大急ぎでホテルにもどるとチェックアウトをすませ、荷物を預けたらふたたび街へ。荷物の量はかなり大変なことになっている。ワレモノもおおい。前日ポストオフィスに確認したところ、ダンボール一箱を日本まで送るとだいたい送料が9,000円ほどもかかるという。そんな無駄はとてもできないということで、とにかくかつげるだけかついで、引きずれるだけ引きずってとゆこうという話になった。

大聖堂のあたりですこしおみやげものなどを買い、最短ルートでひたすら駅へと引き返すと計ったように通り雨が降りだした。昼食は、サノマタロの「Wayne's Coffee」でソーセージのキッシュとコーヒー。軽めにすます。もともとここには「modesty」というコーヒーショップがあったのだが、「modesty」がスウェーデン資本の「Waynes」に買収されたため、いまはこんな具合になっている。



ガラス張りのビルディングの吹き抜けに位置しているため店の雰囲気が大きく変わったというほどではないのだが、なんだかちょっと寂しい。今回の旅で、ヘルシンキの街はよくもわるくも変わっていた。もちろん、その変化の度合いは東京にくらべれば微々たるものかもしれない。それでも、確かにあったはずのものがなくなっているという現実は、この街もやはり、たとえそれが東京よりはずっとゆるやかな速度であるにせよ、確実におなじ方向へむかって変化しているのだという現実をつきつけてくる。東京がもはや失ってしまった「時間」を、ここヘルシンキにもとめるということがいかにナンセンスかということくらい、もちろんぼくだって了解しているつもりだ。けれどもmoiをオープンするとき、それに力を貸してくれた誰もがみな、フィンランドで感じたあのゆるやかな時間と空気とを東京の片隅で感じられる場所をつくろう、そんな気持ちでつながっていたのもまた事実なのだ。「変わらない」ということ、それもまた強い意志に裏打ちされたひとつのスタイルにちがいない。



つぎにこの国をおとずれるとき、いったいそこはどんな表情をもってぼくらを迎えてくれるのだろう。たのしみなような、そしてすこしばかりこわいような。

旅のカフェ日記 (6)

2005-06-17 11:54:56 | 旅日記
いざトゥルクへ、のはずだったのだが・・・。移動にかかる往復4時間弱の時間をヘルシンキでの仕入れにあてたほうがよいだろうという話になり、残念ながら今回は断念。個人的にはあの「ビミョー」な空気がきらいではないので、またチャンスがあればぜひ行きたいものだ。

さっそくHKLの窓口でツーリストチケットを買い、まずは地下鉄でハカニエミへ。おなじ「マーケット広場」でも、港に面した「マーケット広場」とは異なり、こちらはずっと地元密着型。マーケットホールは、食料品を中心とした一階と雑貨や骨董、おみやげを扱う店がならぶ二階とにわかれていて、客層も地元のおばちゃんや「おのぼりさん」風情のフィンランド人観光客などがほとんどだ。二階のまんなかには「休憩所」といった感じのカフェがあって、地元のおばちゃん、おばあちゃんたちが話に花を咲かせている。



ふと見ると、おばあちゃんたちが食べている「カレリア風ピーラッカ」がめちゃくちゃうまそうではないか。というわけで、急きょ予定を変更、ここで早めのランチをとることにする。



ほんらい家庭料理であるため、おいしい「ピーラッカ」にありつこうと思ったらどこかの家庭でごちそうになるしかないというのが実際のところなのだけれど、ここの「ピーラッカ」はそれでもかなりイイ線をいっているのではないだろうか。おばあちゃんの味覚を信用してよかったよ。

気づけばすっかり荷物が大きくなってしまったのでホテルに引き返し、仕切り直し。トラムにのって「ヒエタラハティ」へ。ここはフリマでよく知られているのだが、うっかり入れ替えの時間帯(清掃が入るため、午後にいちど全員が撤収する)にあたってしまったため出直すことにする。事前にチェックしていた店をのぞきながら、なかばキレ気味に「おやつタイム」である。

フィンランドのケーキというと主流はやはり焼き菓子で、日本人がイメージするようないわゆる「パティシェ系ケーキ」にはめったにお目にかかれない。フィンランド人にとっての「おやつ」は、ケーキよりはむしろ「プッラ」と呼ばれる菓子パンのたぐいなので、あまりニーズがないというのが実際のところなのかもしれない。いずれにせよ、そんなヘルシンキでパティシェ系のケーキが食べたくなったら、なにがなんでも「Kakkugalleria」に行くべきだ。



このお店をはじめて訪れたのは2001年のこと。当時ヘルシンキ在住だった建築家の関本竜太さんに連れてきてもらったのだった。残念ながらそのときお店はお休みだったのだけれど、すっかり気にいってしまい、以後ヘルシンキにきたらかならず立ち寄ることにしている。



今回はケーキをテイクアウトし、フィンランド人にならい近くの公園で太陽の光をいっぱい浴びながらたべてみた。友人や恋人と、あるいはひとりでと、思い思いの時間をのんびりすごすひとびとのいる「シアワセな景色」を見やりながら、こちらもしばしゆったりとしたひとときをすごす。



一服ついたら、さあ出発。あしたはいよいよ帰途につく日、のんびりしている時間はない。さてと、買い付け買い付け。

旅のカフェ日記 (5)

2005-06-16 00:36:11 | 旅日記
おかげさまで、本日も晴天なり。今回滞在しているホテルの窓からは、アルヴァー・アールト設計による「フィンランディア・タロ」をのぞむことができる。ソファーで読書していてふと目を上げれば、そこに白亜のフィンランディア・タロの姿が・・・こんな贅沢、そうあるものではない。



この日、さいしょに向かったのはDESIGN MUSEO。ちょうどいま、「マリメッコをつくった」そういっても過言ではないデザイナー、マイヤ・イソラの回顧展『マイヤ・イソラ~その人生、芸術、マリメッコ』が開催されているのだ。彼女のテキスタイルから感じられるのは「手」のぬくもりにほかならない。人間の手が描くからこそうまれる、ある種の「グルーヴ」。とりわけ素描にみられる「線」の、どこまでも単純でありながら、豊かでつややかな質感。相方いわく「迷いのない線」。納得。

DESIGN MUSEOを出てしばらく南下すると、地元で人気の「Cafe Succes」にたどりつく。ここは有名な「Cafe Esplanad」の姉妹店で、名物の顔の大きさほどもあろうかという超特大シナモンロールももちろん用意されているが、今回はランチをかねて「サーモンスープ」をチョイス。



大きなサーモンのかたまりがごろごろはいったサラリとしたスープ「Lohikeitto」は、フィンランドの代表的なたべもののひとつ。たっぷりとした器にもられたスープと大きなパンで、すっかり満腹に。一見ごくふつうのカフェだけれど、おしゃれな内装のお店より、じつはこういうお店ほどウケるのが「フィンランドらしい」。

「Cafe Succes」からさらに南下をつづけると、そこはヘルシンキの古くからの高級住宅街「エイラ地区」。観光客はほとんど訪れないけれど、「建築工匠」とよばれるひとびとが設計したユニークなフォルムや装飾をほどこした個性的な住宅が建ちならぶこの一帯は海にもほどちかく、まさに絶好の「お散歩コース」である。



ふくよかな緑の木々と白や紫のリラの花、鳥のさえずりしか聴こえてこない静かな邸宅街をステッキ片手に散歩する身なりのよい老紳士・・・ここで目にした光景はまるで「白日夢」のような、ベルエポックのヘルシンキ。

あるきつかれたら、小さなヨットハーバーに面したカフェで一服するのがいい。カイヴォプイストには「Cafe Ursula」が、よりエイラの近くなら「Cafe Carusel」がある。きょう立ち寄ったのは、「Carusel」のほう。



気温もぐんぐん上昇するこんな日は、まさに「海カフェ」ですごすのにうってつけの日というわけで、どこからともなくお客さんもどんどん集まってくる。店内がすいているのはほかでもない、みんな日光浴ができるテラス席に陣取ってしまうから。とにかく、日なたから日なたへと移動するのが北欧のひとびとなのである。

けっきょくまた、きょうもずいぶんと歩いてしまった。でも、まだ夕方。仕入れもようやく調子が上がってきたことだし、まだまだ歩みを止めるわけにはいかない。